Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

更に振り返って見ると

2005-10-09 | 歴史・時事
ドイツ連邦共和国防軍の50周年記念で、その対抗馬ドイツ民主共和国軍の服装も話題となっていた。それはナチスを想像させるそのものだったからである。民族的な特徴を意図したというが、議会でのホーネッカー書記長へのハイルの挙手など隅々に至るまでナチスそのものであった。何故あれほどにナチスに迫害された共産党員がこれにアレルギーを示さなかったのかが未だに不思議である。多くのKPD生え抜きは、世界中からモスクワに避難した共産主義者と共にスターリンに大量粛清された事も関係するのかもしれない。

ニュルンベルクのナチ党式典の記念館を紹介した、二年ほど前に制作された番組も面白かった。学習目的で訪れる生徒や軍人の団体が多いようである。そして記念館の専門家の指導の下で、「差別とは」、「軍事行動とは」が真剣に議論されるように導かれる。映像資料が整っている。党大会の御馴染の同じ場面をプライヴェートな目的で写されたフィルムは貴重と云う。何故ならば、それ以外は全て宣伝目的で演出過剰に写されているからである。現在でも新資料の発見があるという。話は違うが二週間ほど前には、シュトッツガルトの飛行場の工事で、当時そこに存在したアルザスの強制収用所の支施設跡から縛られたりして埋められている人骨が多数出て来た。厳重に警察に現場保存されて発掘が進められるという。当時の所属SSを洗い直し証言を取るという。

軍の意義と云うものを考えて行くと、コソヴォ紛争の時の決断に思い当たる。特に緑の党のヨシュカ・フィッシャー外務大臣の党大会での演説は最も印象深いものであった。そして其れは、赤インクを党員に投げつけられるという暴挙を生む事になった。

フィッシャー氏は環境問題を党是とする中では現実路線の通称レアロに属して、オペル工場争議やRAFのテロ活動時にもフランクフルトで 実 労 しており、党の基盤を支える反戦平和主義者や代議士のローテーション制を強く主張して職業政治家を否定する理想主義者層とも元々幾らかは毛色が違うのだろう。しかし、自らの手で都市を、その市民を巻き込むことになる空爆攻撃をする決断は、過激派のハイジャック事件や誘拐事件に際して強硬姿勢をとったシュミット首相の其れを遥かに上回る辛酸に満ちたものであった。

「少数民族への差別は、ありとあらゆる些細な差別でも、迫害を生む。その時点で結果は見えている」。その手口の合理や潔癖に関わらず、全てはアウシュヴィッツへと連なる。当時英国やその他の諸国が採った戦略のように、自らは傍観しておいて、その結果を裁くことは出来ないどころかその責任の一端を持たなければいけない。軍事行動しかありえなかった。少なくとも、欧州大陸の何処かで、体を張ってでも、これを許す事は断じて出来なかった。

先月辺りから流される戦後政治の歴史番組で、赤軍派RAFを弁護したのは現在の内務大臣シリーである。当時国家権力の暴力へと立ち向かっていた弁護士は、今やその権力の座に居り、フランクフルトの街頭で戦っていたアナーキストは外務大臣である。議会解散後に七年間の連立政権の成果をチェックする企画が新聞で連載されていたが、この政権はこう考えると将来とも歴史に残るオーラがあった。

リアルタイムでは、どんな目利きも理解出来なかった事象が、時間を置くと然るべき場所に位置付ける事が出来て、全体像が確認出来る事が多い。先ほど挙げたバイロイト音楽祭での、シェローの前夜祭を含む四部作「指輪」の演出や其れに抗議した多くのオーケストラ団員の翌年の公演参加への辞退やモルティエー博士時代のザルツブルク音楽祭への右翼ポピュリスト・ハイダー博士の攻撃など、様々な事象は時代を映す鏡となっている。振り返ってみるとなるほどと思い当たる。

少し振り返って見ると [ 雑感 ] / 2005-10-08 から続く



参照:
暑気の隙間に感傷旅行 [歴史・時事] / 2005-07-03
雇用が無い事が失業か [ 文学・思想 ] / 2005-09-16
ニューオリンズを聞いたボブ [ 歴史・時事 ] / 2005-09-06
鋼の如く頑丈で、革よりも [ 生活・暦 ] / 2005-01-25
コメント (4)
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