Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

新自由主義なる似非文明

2005-10-01 | 文化一般
床屋に行って、先日のつまらなかった二回の花火の話やTVで放送された隣町のジャマイカ連立の話をした。

散切り頭で、ドイツ中に知られてしまった、隣町の政治懸案について考えてみた。懸案の歩行者天国が出来る可能性のある道は、小さな町であるので何処か判っている。

何故そこを通行止めとしようとするのかも良く分かる。商店街振興に手を打たなければいけないからである。新たな店舗が出店しても一年ももたないのである。そこの商店街自体の先が見えている。寧ろ、現在までもって来たのが不思議なぐらいである。車でしかいけない新商業地が開発されてから、結果は火を見るより明らかにだったのではないだろうか。

歩行者天国にする事で、既に存在する使用率の悪い町の駐車場を活用して、商店街に消費者を呼び戻すというものだろう。一度車に乗れば駐車場の広い郊外へ行く前に、誰が態々ここで車を止めようか。新たに駐車場を整備する投資の価値はそもそも無く、行政の失策である。

歩いて来れる人に対して、町を整備しようとするのは良いのだが、それだけでは十分な需要を見込めない。観光の町である近隣の町でもそれは到底困難のようである。つまりこのような商店街が郊外型の商業施設と競合共棲するのは所詮不可能なのである。

すると、消費者の便利や町の経済活動を市場原理から逸脱しないように保護して推し進めるために法や行政の繊細なる酌量が初めから必要である。この目的を可能とするのがバランスと云うものなのである。

こうして考えていくと、現代の芸術が目指す方向は、社会を先取りしている事に気が付く。そこに必要なのは、グロテスクな両極化や収まりの無い平行推移ではなく、制御された平衡感覚に満ち溢れた表現である。ネオリベラリズムなどは、その過激さで従来の価値観を一挙に瓦解させる否文化的思潮であることに留意すべきである。その試みの時期は過ぎ去ったのだろうか。具体例は、先取りの文化活動を注意しながら追々と見て行こう。



参照:
ワイングラスを皆で傾けて [ 歴史・時事 ] / 2005-09-24
三色スカラとベクトル合成 [ 文学・思想 ] / 2005-09-19
今年の花火は去年より [ 生活・暦 ] / 2005-09-14
三十五年前からの使者 [ 歴史・時事 ] / 2005-09-11
昔は良かったな [生活・暦] / 2005-06-18
コメント
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