Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

変わり目の季節に

2024-09-07 | 
発注した夏用パジャマが届いた。早速手触りを確かめた。完全に危惧が外れた。ジャージであるからシングルでもどれだけの厚さになるかは一切分らなかった。誰かが分厚いと書いていたのはボーデンゼーのシーサーのセカンドブランドの極薄生地と比較してだ。その生地も純綿としてもその表面加工や織機の薬剤の使い方などによっては若干変わる。つまり余りに密で空気を通さないと身体にくっつく感じで暑くて着ていられない時もある。

それに比較すると分厚いのだが表面がメッシュ状なのでくっつきはしない。冬物がダブルにしているのは空気を通すと寒いからで、夏用としてこれはいいのではないか。洗濯しても密にならなければいいが、試してみないと分からない。後ほど袖を通してみて、大きさも含めて検討する。

月曜日に走りに出かけると、大きな摘み取り機が走って来た。この高級の地所しかないこの辺りでは見かけることは少ないのだが、農協や大手の醸造所では使うこともある、特に今摘み取るのはどぶろく用の単純な葡萄の実なのでごっそりと人手を掛けずにやる。砂糖を入れて簡単に発酵したまま市場に出す。週末から世界一のワインフェストとなれば掻き入れ時となる。

そこで金曜日には毎年の様に予約していたナーヘのグローセスゲヴェックスをとって更に谷奥で試飲してくるのをどうしようか考えている。先ず車を無駄に走らせたくない事、更にそこで何を購入してというのが若干迷いがある。そこのリースリングは先日も開けたのだが今一つだった。つまりグローセスゲヴェックスには価値があるがそれ以外は果実風味が強過ぎて甘すぎると感じるからだ。先日試飲した様に超辛口に慣れてくると、少しでも残糖が多いと盃が進まない。量を制限するようになるとその質の厳選も進むのは当然だろうか。アルコールの為に飲まなくなったというのが大きい。

そこで、既にラインガウで6本を安売り価格で予約してあるが、更に買う6本は通常飲み用になる。本年は最も困るのはそこの価格帯のリースリングが揃っていないことで、すっきりしていてどんな食事にでも合うものが欲しい。2021年のラインガウは素晴らしかったのだが、2023年はそこ迄期待できないとしても、もしかすると9本買えないかとも思ったりする。これは試してみないとなんとも言えない。先日の試飲会でお気に入りが売り切れていて買えなかったからである。ワイン街道で調達してもいいのだが、ラインガウの土壌の良さはまた様々な食事に楽しめる品がある。

一本22,50ユーロを高いと思うか。一人で二回ぐらいで飲み干してしまうと、一食10ユーロ以上だ。遥かに食事の材料費よりも高価だ。毎日ではないが週に三回ワインを飲むと、一人で月150ユーロを超える。それに引き換え缶ビールは一食50セントである。20倍のこの差は大きい。

月曜日にグランクリュのリースリングの熟成度を見てきた。既に柔らかくなっていた。大きさに二種類あるのは、小さい方は寒の戻りで後に展葉したものかもしれない。然し総じて出来は悪くなさそうで色づいて早めに熟成しそうなので、場合によって先落としヴィラージュでいいものが出来上がるかもしれない。なにもワインはグローセスゲヴェックスばかりとは限らない。



参照:
三日間の運動日を経て 2024-08-08 | アウトドーア・環境
味のあるフラッシュ 2024-09-04 | 雑感
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期待する天才の裏側

2024-09-06 | 
ザルツブルク音楽祭の歌手降板に関しての記事を読む。殆どキャンセルをしない若手のベルナイムが新制作日程を最後まで歌わなかったのは抗議が含まれていたということだ。要するに指揮者の名声などの都合で声を潰されるのは歌手だということで、長く歌えて大成功しない歌手が増えているのは何も自らに責任があるというものではないという声明である。これに関しては「オペラ、過酷な世界」のドキュメントの主題になっていて、そこで人気スターテノール歌手のヨーナス・カウフマン、既に声を失ったアスミク・グリゴーリアン、そしてその後人気の出たエルザ・トライジーク、ベチャラ夫妻などが自らの経験から後継者らに注意を喚起する番組だった。要するに圧力に負けて無理して歌手生命を短くするというものだ。

今回の事件は音楽祭のヴィーナーフィルハーモニカーを十分にコントロールできない指揮者の下で歌っていると、歴史的なピッチとその楽器からのダイナミックスに合わせて、歌手が張り合って歌うと知らず知らずに限界に達して故障してしまうということである。

そこで嘗て、ミュンヘンの大劇場でサロメを歌って大成功したマルリス・ペーターセンの話しが取り上げられていた。そもそもあの大劇場で出ずっぱりの娘役を歌い通せる歌手は少なく、コロラトゥーラで始めたリリックなソプラノのペーターセンが、十八番のルルだけでなく、サロメ、マリオネッタなどを歌えたのは音楽監督ペトレンコが振ったからだと語る。

今回初めて知ったのは、最初の管弦楽稽古の時にペトレンコは冒頭座付き管弦楽団に話しかけた内容である。

「マルリスに合わせて音楽的オートクチュールでやりましょう。」と、それはペーターセン曰く、「私の音楽への尊重の表現でしかない。」と同時にその娘のような声とそしてその舞台の為への芸術への飽くなき姿勢でしかなかったであろう。幸い最後の楽劇指揮「トリスタン」の直前に最終公演も観ることが叶った。初演シリーズに続いて二回目のだった踊って歌ってのまさに全てを賭けた一夜の舞台が披露されたのも決して偶然ではないのだった。

何故、偶々とは言いながら、この話しを大書きしなければいけなかったか。それはこうした指揮者ペトレンコの姿勢は、勿論その人格もあるのだが、よりむしろ芸術家としての本望を示すものでしかなく、今日現在我々が彼の期待しているものに他ならないからだ。

子供のころから劇場で指揮台の廻りで遊んでいたペトレンコが、ベルリンにおいてもこうした歌手に関わると同じぐらいに管弦楽団の奏者との関係を結んできているからこその成功があるとザタイムズ紙は先日のロイヤルアルバートホールでのブルックナー交響曲五番の演奏をして特大評価をしている。

ペーターセンは、「こうしたことはなにも業界での論議だけでなく、聴衆も皆が一緒になって考えるべきものだ」と結んでいる。ペトレンコがアンチマエストロと呼ばれたこととこれは全く同じことなのである。



参照:
Stars im Abseits: Sind Orchester zu laut?, Markus Thiel, Markur.de vom 31.08.2024
陽性が出ない抗原検査 2021-05-29 | 雑感
超絶絶後の座付き管弦楽 2021-07-29 | 音
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楽譜にないものとは?

2024-09-05 | 
承前)三楽章スケルツォは前の楽章の同じ様に始まり数倍速となる。同じようにニ短調からニ長調の調性までとなる。それをしてバロックのパロディーだとも書かれている。興味深いのはやはり一つ目主題からレントラーに入りというアッチァランドによるテムポの移動でもあろう。

車中のラディオで今し方オーストリアの地方指揮者が語っていたが、そのボヘミア風のポルカに始まってと、その後のシュタムプターの中声部にはヨーデルがこだまするとなる。そしてそういう音楽は記譜が出来ないものだと断定する。然しそこで鳴らされるヴィーンの放送交響楽団を振る演奏では何が何だか分からない。ある声部を強調すればそれは創作の本望ではなく、そもそも全体像をこういう演奏ではとても示せない。

ペトレンコ指揮において、こうした地方の二流指揮者が鳴らすようなものは、そのヴィーンでの修行から彼ら以上に正統的に鳴らされる。ロンドン公演において英国の二大高級新聞がこぞって絶賛しているが、そこにおける特に後期浪漫派におけるその表現はその辺りの指揮者がどんな言葉を尽くしても表現できるものではない。

創作家は何もそこでポルカやレントラーをまるで楽屋落ちのようにして大交響曲の中で演奏させることを目的にしていたのではない。それはルネッサンスにおいてのパロディミサ曲と同じく、あり得るべきこととして創作しているのである。

同じようにトリオにおいては更に田舎の楽師風の光景が繰り広げられる。それは嘗てブルックナー自身が小遣い稼ぎにそうしたところでヴァイオリンなどを演奏した適当な演奏をもしていると呼ばれるところである。そしてそれは勿論正しく記譜されている。

上のラディオ放送で、そうした音楽的な極端に大きな動きは、リンツの大聖堂などの巨大なオルガンを弾く作曲家の肉体的な感覚から来ていると語られる。それは勿論そうなのだろうが、大管弦楽団を指揮して残された楽譜から創作の正しい意思を引き出して、音として言語では表現不可能な表現をすることが全てなのである。

今日9月4日が作曲家ブルックナーの生誕200年祭となっている。そしてこの前後年に盛んにその交響曲が演奏される。その中で今迄これといった特別な演奏の話しは聞いていない。然し、先月の初日から続いて、三回演奏された第五交響曲は取り分け演奏が困難だった曲であり、コムパクトに演奏が不可能で、その為に最も理解されがたい曲であった。そして、三回目のロンドン公演で、そして中旬からのベルリンでの三回の公演で、その全容は明らかになる。

同時に二年前にマーラー交響曲七番でそのように語られたように、この交響曲において最早それを越えることが出来ないことが明らかになって、それどころか11月には北米で演奏されることによって、恐らくこの交響曲も博物館行きとなるだろう。(続く)



参照:
描き切れない普遍的価値 2024-09-01 | 文化一般
我が祖国の高み 2024-08-10 | 文化一般
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味のあるフラッシュ

2024-09-04 | 雑感
朝の肉屋の帰り道、自転車の少女とすれ違った。この辺りでは見ない顔で初めてだった。最初は肌色などが濃い目なのでラテン系の子かなと思った。スペインでもないしと思って、これを書いていると似た娘がいたと思い出した。スイスでロシア人ゆえにボイコットになったことから有名になって今最も売りに出されてチェリスティンである。余り売り込み方がよくないのでちょっかいを掛けるのだが、恐らくすれ違った子はあの黒海周辺の血筋だと予想する。西側でもなく、ウクライナでもなく、南でもないという感じである。ユダヤ系セム系としたら余計に話が合うか?勿論ミドルティーンの感じだから、もう一つその特徴も分かりにくいのだが、その若干はにかむ表情やペダルを踏み込む動感がとても良かった。朝から気持ちがよい。

安い夏用のパジャマを発注した。先に目をつけていた30%引きはよく見ると腹のところにに紐の穴が開いて、金具の輪っかが嵌めてあった。着心地には関係がないと思ったが、洗濯でそこから傷むことが予想された。それで安売りなら買わない。

そこで同じブランドのノンブランドの銘柄を見ると長袖と同じようにあった。生地はぶ厚くなるが少し涼しいこれからは使いやすいかと思った。何度か洗濯をすれば着ざらしで爽やかになる筈だ。冬物はジャージー作りでこれはまた特殊だが、それはそれで使いようがある。先ずは手に取ってみないと生地感も分からない。夏ものだからそれ程分厚くはないであろう。価格は35ユーロに対して14%引き30ユーロなら悪くはない。

サイズは52を発注した。54でもよいが流石に50は小さいということが認識されたからで、安売りで購入して使えるものはあるが、やはり痛みも早くなるだろう。三着保持の冬物は洗濯が乾かなくて着るものに欠けると眠れないが、夏物はそれほど重要ではないので先延ばししておいたのだ。然し穴が開いて来ると何時までも着ていられないので決断した。

いつものように送料無料最低金額へと10ユーロ程あったので、これまた先延ばししていたダージリンを発注。前回はセカンドフラッシュでも高価だったが、その良さが分かったので、多めのビオの250gを14ユーロで発注。初めてのブランドであるが、いつもセカンドフラッシュが欠けていて、今回入手していたので試してみることに。

セカンドフラッシュで、そんなに不味いものもなく、評判も悪くないので、秋にはこの味と香りを楽しめるセカンドのダージリンが嬉しい。価格が安いか高いかは飲んでみないと分からない。なによりもティーバックでは我慢できなかったり不味かったりするのとはさすがにそれは違うのは分かっている。

日曜日に燃料を入れた。旅行前よりも安くリットル161だった。まだ残りはあったがその時点で無給油走行距離800kmを越えていた。この車はタンクさえ大きいままであったらなんでもなかったのだろうが、スキースルーをつける為に小さくなったので、これだけの走行距離は殆ど経験していない。エコ運転とエンジンオイルに準拠するとして、オイルの方は200㏄は消費したかもしれない。倍の距離もミラノ往復となると500㏄は見積もっておかないといけないかもしれない。車自体もどう見ても今回は30万キロメートルまでは乗ることがないのが明らかになった。



参照:
一夏の旅行体験へ 2024-08-27 | 雑感
睨み合いの国境越え 2024-08-31 | 雑感
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大らかに響き亘る伽藍

2024-09-03 | 
承前)ベルリナーフィルハーモニカー夏のツアー最終公演生中継を聴いた。とても素晴らしい中継で、今迄のペトレンコ指揮フィルハーモニカー演奏生中継としては最高の一つではなかろうか。他に思い浮かばない。会場にいれば生放送では聴いていないからだ。

本月14日には今度はベルリンに戻っての二晩の最後が中継されるので、そこまでは少なくともこのブルックナーを何人も越えられない。つい数日前とは大きく異なっていた。勿論修正と慣れが最も大きな要素であろうが、それ以外の要素もあったのかもしれない。

なによりもホルンを中心に緊張が勝っていた金管がおおらかに鳴り響いた。あの大きなドームの外的状況下で効を奏したのだろう。ざっと考えるに、ルツェルンの様には細かな音の伸びが期待できないアルバートホールの音響の中ではピアニッシシモも若干強めに吹奏されており、逆に音を割らない配慮よりも会場の天井までを轟かす響きが要求されたのだろう。悪く言えば雑になるのだが、それは二年前のマーラー七番の時とは異なって決して否定的な要素とはならなかった。逆に木管などとの音量差はコントラストとしてより大きく効した。前夜の「我が祖国」と同様に奏者の身体についた技がその指揮の下で雑になる要素は殆どなかった。それ以上に積極的な発音が感じられて、慣れてきたのが明白だ。

Notre Dame vs Michigan 2011 - Seven Nation Army Chant and Michigan Stadium LOUD


Bruckner: Symphony No. 5 in B Flat Major, WAB 105 - 1. Introduction (Adagio) - Allegro (Mäßig) cf.2m56s

それによってこの交響曲の主要主題である例のサッカーの雄たけびも、コラールの咆哮のみならず、展開においておおらかになり、攻撃性と共に高揚感を与える重要な要素が開花する。ある意味その為に他の動機などが組み合わされているに過ぎない。特にブルックナー唯一である遅い序奏の葬送が加えられている構成はこれによっても明白になる。逆にこの交響曲の難解さはその抽象性にあって、立派な交響曲の所以でもある。改めてのブルックナーの中二病の炸裂である。

その音の実在への確信はサッカースタジオでだみ声を張り上げる彼らの生き様となんら変わらない。子供がインコが音を立てて喜ぶのとあまり変わらない。然し創作家は、なにをどのように示すかを考えるのが仕事である。然しそこでオルガン弾きであった作曲家には対位法的な構図と自らのオルガン演奏にあるような肉体的な音への確信が基本にあって、衒学的試みが実際の演奏上の困難さを生じさせ、多くの交響曲では改定作業などに迫られた中にあって、生前管弦楽では演奏されなかったことによって、記譜上の誤りなどが修正されるのみで其の儘の形で存在している様である。

今回の一連の演奏でも明白になったのはアダージョ楽章のニ短調から最後に長調へと抜けるところでもあり、その間の長い長い高まりは、永遠の童貞ブルックナーにおけるエクスタシー感覚でしかない。勿論カトリックにおけるそれは信仰へと昇華されるのであり、音響による悦びとなる。

ポリリズムによる二と三の合一は西洋音楽における三分割の意味合いを見ていけば、ブルックナーの三主題の三位一体と同じように明白なのである。持続と高揚そして、ミニマル音楽として繰り返す波の如くの恍惚、ブルックナーにおける音楽芸術のそして信仰の核心にあるものだ。ここは結構重要なところだと思うのだが、こちらで解説者が弾いているのを観ると、これではこの楽曲は到底理解されない、若しくは誤解されているのではと気が付くのである — なんと音楽出版社が出すべき動画だろうか。
【連載連動】髙木竜馬のガイドで登る 名峰ブルックナー8月号/ブルックナー「交響曲第5番」第2楽章


そして最後の昇華されることで、次なるスケルツォへと連なっていく。(続く
Bruckner: Symphony No. 5 in B Flat Major, WAB 105 - 2. Sehr langsam



参照:
シーズン幕開けのアイデア 2024-08-25 | 文化一般
独り立ちできない声部 2024-08-23 | 雑感
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先代からの大きな相続

2024-09-02 | 試飲百景
秋の試飲会第一号。今回は初めて世代替わりしてのグランクリュ試飲に申し込んだ。昨年は時間がなかったからだ。結論からすると、ゆっくりと味わえてよかった。20ユーロ取るのだが、先に予約していて、最終的には支払額は最小購入額200ユーロを超えので、最初からただ券を貰った。ただ券が好きなのだ。というか現金を持ち歩かない。

会場が新しい醸造蔵だったので響いてとても聴き取り難かったが、おやじさんとの差はスマートさで、偏屈さがないことだ。お爺さんが更に偏屈だったのは想像できるのだが、なんといってもおかあさんがワイン女王で超一流人と絡むぐらいだからやはり洗練されてくる。受け付けしていたのはどうも彼の奥さんのように思ったが、器量はおかあさんに劣るが、ぴちぴちしていてよかったのだろう。醸造所の付き合いも長くなると三代と付き合うようになるのが多くなってきた。そうなると余程跡継ぎに意欲がないとか馬鹿でない限り付き合いが続く。

ドイツで驚いたのはメルセデスのような古い巨大会社でもそういう関係がとても強く、丁度昔の船場などとの関係に似ていて驚くこともあった。要するに何代もの顧客関係が続くというものだ。要するに一見さんとはやはり付き合いが変わる。至極当然のことではないか。つまり経済合理性だけでははかれない社会が存続しているということでもある。

2023年のグローセスゲヴェックス「ガンツホルン」は思ったよりも閉じていて、問題になる還元臭がなかったが、その分水っぽく感じる程に閉じていた。理由は分からないのだが、可也果実を選定することで、過熟成の葡萄が取り除かれて、可也ハードテューンになったということがあり得るかもしれない。それは先代に比較して、洗練と同時に一種のファインテューニングになっているところにも通じる。

その対照として繋がる地所である「ゾンネンベルク」における貝殻石灰の独特なスモーキーさが素晴らしかった。隣のオヤジはその両方を選択していたのだが、石灰特有の賞味期限切れが早いことを質すと同意していた。

反対に酸が効いていい感じのロートリーゲンデス土壌の「カスターニアンブッシュ」のそれには還元臭の問題を感じたようで、それをどのように判断するかで評価が分かれたようだ。

先ずはともあれ最低限の本数だけは購入したので二年後ぐらいにどのように瓶熟成で開いてきているかで、その価値が決まるだろう。収穫量も少なかったようなので、価値はある。同時に酸もいい感じなので、それ程悪くはならない。急いで帰宅したので、先代とも本人とも話さなかったが、「とても価値のあるいいものを相続したね」と声を掛けたかった。

来週にはナーヘにも引き取りに行くつもりなので、陽が沈んでからグランクリュワインの先落としで別けて貰った6本のイ1本を開けてみようかと思う。週明けには残暑も夕立で徐々に秋らしくなりそうなので、愈々摘み取りも始まって、一挙に秋らしくなってくると思う。



参照:
分かるようになる話 2019-06-02 | 試飲百景
偽りの無い熟成過程 2024-01-04 | ワイン
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描き切れない普遍的価値

2024-09-01 | 文化一般
今晩はBBCでプロムスを生中継聴く。なぜかプログラム順が裏から表へと明日へと進む。その裏プログラムの「我が祖国」は定期公演から数えて8晩目となるのだろうか。7晩であれだけの演奏をこなして、それ以上はとはいかないだろうが、びっちり今日もサウンドチェックで練習しただろうか。その細かな音楽的な裏のつけ方とかまでに音楽的意味合い、つまり聴力も失う作曲家がどのような音を頭の中で描いていたかまでは到底容易に描き切れない。

だからこそ芸術音楽は何百年も同じ楽譜が繰り返されて演奏されても今でもそこに何かが見つかる。少なくとも指揮者ペトレンコの熱心なお勉強がなかったならば、一般音楽愛好家のみならず奏者もなんらそのことには気が付かずに一生を終えたに違いない。それは、共産党治世での民族解放的なイデオロギーでも、そしてその後の自由を謳歌する民族でも見落とされたようなものが殆どで、表面的な理解はより創作の意思を見出す妨げになった。

ルツェルンでのプログラム冊子は、ペトレンコのブレーンのクラスティング氏が書いている。興味深かったのは、「モルダウ」の発想からどうも全てが流れ出たようで、その証拠として友人の指揮者でヴァイオリニストのアンガーが作曲家とボヘミアの森のヒルシェンシュタインのクレマルナとヴィドラの小川がオターヴァへと合流する川辺で川面を見てじっと佇む作曲家の姿を描写していて、そこに長く魅入られていたとある。聴力を失うずっと前の1867年の夏のことで、読者もその二つの流れの詩的な水音に耳を奪われる。まさしくあのハープの音がそして重なり合って、木管がひとつづつ絡み合って水量が増えていくあの心の響きである。

スメタナが音楽好きのビール醸造所の家庭出身で支配者のドイツ語で教育を受けて、後に名前もフリードリッヒを捨てて、チェコ語も学んだのは知られているが、そもそもチェコ語は田舎のその日暮らしのような人々にしか使われていなかったとある。丁度現在のプファルツ方言と同じアルザス語にも似ているかもしれないが、正しくウクライナ語そのものではなかろうか。

音楽も当時はドイツの劇場だったプラハでもチェコ人、ユダヤ人の劇場などが割拠してお互いに競っていた様である。スメタナの理想は技術的にはリストであり、芸術的にはモーツァルトだったと語っていて、所謂新独逸学派に属する。そして1948年の蜂起事件後に嫌気がさして、スェーデンのイェーテボリに移っていたようで、そして娘と妻を失うことになった。1874年になって初めて「我が祖国」が着手されたのは、丁度作曲家個人にとってもとんだ絶望と失意の時期だったとなる。

この連作交響詩の激しさとその連関する動機やその表情付けに決して親しみ易さだけでもないものを皆が感じるのは事実だろう。然しそうした呻吟慟哭を強く我慢しているような表情をここではチェコの民族の被支配の歴史として映し出している。まさしくそこには目標としていたモーツァルトのオペラに描かれているように、例えばそのポルカの余りにも素朴な響きに創作が昇華されている。

私達がこうした芸術作品からまだ学ぶことがあるとすれば、世界の大文学と同じように、こうしたことに、普遍的なそうした価値観に触れることで導かれることではないか。



参照:
美しい響きをお土産に 2024-08-30 | 音
インタヴュー、時間の無駄二 2016-07-24 | 歴史・時事
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索引2024年08月

2024-08-31 | Weblog-Index


睨み合いの国境越え 2024-08-31 | 雑感
美しい響きをお土産に 2024-08-30 | 音
何処に見出すのであろうか 2024-08-29 | 文化一般
明白にされていく動機 2024-08-28 | アウトドーア・環境
一夏の旅行体験へ 2024-08-27 | 雑感
週明けまでの荷造り 2024-08-26 | ワイン
シーズン幕開けのアイデア 2024-08-25 | 文化一般
否応なく使うただ券 2024-08-24 | 暦
独り立ちできない声部 2024-08-23 | 雑感
涼しい森を想う夕刻 2024-08-22 | 生活
シャムプーの効果期待 2024-08-21 | 音
木霊する時の隆盛 2024-08-20 | 歴史・時事
視界を秋へと拓く 2024-08-19 | 暦
シュヴァ―ルテンマーゲンS 2024-08-18 | 料理
穴が開いて大きくなる 2024-08-17 | 生活
贅沢カイザーフライシュ 2024-08-16 | 料理
夕方に雹が降った翌日 2024-08-15 | 生活
今夏一番の暑さに 2024-08-14 | 生活
一晩の一種の夏バテ 2024-08-13 | 暦
刻まれる夏の想い出 2024-08-12 | 暦
覗き込む深い溝 2024-08-11 | 雑感
我が祖国の高み 2024-08-10 | 文化一般
少しづつ見えてきた今日 2024-08-09 | 雑感
三日間の運動日を経て 2024-08-08 | アウトドーア・環境
ユダヤ人は知っている 2024-08-07 | ワイン
プラズマに曝される先端 2024-08-06 | 雑感
節約には整理整頓 2024-08-05 | 生活
反面教師的大名演 2024-08-04 | 音
初のシャムプーかけ 2024-08-03 | 生活
月末の旅行の準備計画 2024-08-02 | 料理
8月終わりへの準備 2024-08-01 | アウトドーア・環境
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睨み合いの国境越え

2024-08-31 | 雑感
14時過ぎに帰宅した。旅行中二回程微妙なところがあった。なんと復路の二回のドイツ入国の時だ。夏休みで国民だけでなく、多くの観光客などが出入りするのでコントロールしているのだろう。混むときにやらないでもと思うが、先方にすれば効率よく人が捕まる。絶対無駄にならない。スイスからは若い一寸賢そうな南方系の黒髪のお兄さんと眼で通じてしまった。それで分かった。あそこで眼をそらしたら停められておいた。今迄はそこ迄やったことがないからだ。それはアルザスからのプファルツ入りでも同じことがあった。こちらも何か黒髪系でくまさんみたいな若い警官だった。国境の警備とはまた違う警官だ。これも当然のことながら睨み合って其の儘通された。停められると色々あってもこちらはそんなことでは負けない。

なによりも往復で途中給油無しに792km走れた。計算からすると800km走れた。今迄の最高記録ではないか。復路は下りなので通常は飛ばすことで燃費は悪くなる。しかし、夏休み帰りの車が多いのかいい加減に交通量が多くてストップアンドゴーはないものの出来るだけ定速で走れた。その代わりブレーキは往復で20回以上は強めに踏んだはずだ。平素は交差点でしかブレーキは掛けない。

数字からすると往路も100キロ7.7リットルだったが復路には一時7.6まで下げたが、最終的には8.0までだった。だから決して760km程度のミュンヘン往復と比較して良くはない。それ何に何故?更に宿泊所から駅前駐車場への30kmの往復二回が含まれている。

技術的に考えられるのはエンジンオイルではないかと思う。最近は減りが少なくなっていて、更に若干多めに注油しておいた。それが効いて滑らかな回転が得られたように思う。路面も乾いていて、減り加減のタイヤとの相性も良かったのではないか。残すは最後の外国旅行で、往復で五回の国境越えだ。今回と同様に往路はフランスに入らない方が躓きがないだろう。

復路のその買い物も無事適った。今晩の夕飯用のキッシュ類である。チーズも一つ買いブルゴーニュだけでなく、グルナッシュのロゼを購入。3ユーロ程度のビオワインだがカンカンに冷やして夏のなごみを惜しみたい。今日は何処も可も30度を超えるようなカンカン照りだった。

宿泊所に庭を掃除している地元のおばさんと挨拶した時に、暑いねと話したら、影ならいいわという。選んで恐らく私の部屋を掃除するのを待っていたのではないか。車が熱くなってというので、地下が一杯だったからねと。小奇麗なおばさんなのだが、言葉から典型的な中央スイスのそれだった。アーヴィダルーガとは言ってたら吃驚したかもしれない。

国境を抜ける時の為にTシャツの上にシャツをしっかり羽織っていいた。それどころかスイスから出る時にはボタンも締めた。そういうのもにらみ合い迄の推測で、ビジネスマンか商用で、それでもマフィアではなくという微妙な印象を車と共に与えたと思う。車の細かなところはじっくりと見ない。印象でしか見ない。新車になっても遊び車や特別ゴージャスでないというのも重要になる。さもなければマネーロンダリングと思われる。それでなければただの遊び人でしかない。



参照:
美しい響きをお土産に 2024-08-30 | 音
何処に見出すのであろうか 2024-08-29 | 文化一般
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美しい響きをお土産に

2024-08-30 | 
久しぶりに美しいベルリナーフィルハーモニカーの響きを聴いた。カラヤン時代以来一番美しかったかもしれない。ラトル時代にも「パルジファル」や「ファウスト刧罰」の響きも美しかったが、「我が祖国」の特に最初の二曲の響きは特筆すべきものだった。見るからに前日のブルックナーとは異なり奏者にとって身になり血となった表現がなされた。あそこまでなると指揮者も余分なことはしないでよくなる。最も満足すべき状況だろう。それもこれもやはり会場の音響が物を言った。欧州でも一二の音響の会場でひらいた。今年になってから定期演奏会そしてプラハで二回演奏しているので、ザルツブルクを含めて七回目だろうか。それに引き換え表プログラムのブルックナー交響曲五番は三回目だった。七回目は米国ツアー前のフランクフルトの壮行演奏会で聴くことになる。その差はとても大きい。(続く)

木曜日は8時前にパン屋に出かけて昨年とは異なるものを購入、7km先であるが巧二閉鎖がなかったので街には早く着いたが駅前通りに出るまでに時間がかかった。それでもそれほど時間がかからずパンのスイート類を購入で約25フランケン。ドイツの二倍以上の支払い。

二日目も特設駐車場が空いていた18時過ぎで6台分である。やはり昨年までとは違う。その証拠にやはり観光客も少ないが、招待様も少なかったのだろう。勿論コロナ期間中の人数とは異なりのだが、サイドバルコンがかなり空いていた。支配人が変わることで引き継ぎが敢えてなされないのかもしれない。

買い物も初日に済ましていたので、駐車料金とプログラムとダブルエスプレッソ以外には支出は一切なかった。所持していた20フランケンは温存した。燃料は残りが30リットルを割っていて、通常は帰宅できない。復路で安いところで入れることを考えなければいけない。目がしょぼしょぼしにくいのと、何よりも運転するときに楽である。もう少し試してみたい。

旅行日そして催し物、宿泊所に戻って夕食で、やはり寝不足になった。朝がスッキリ目が覚めない。今回は目薬を持参したので車での運転や日差しを受けての疲れにいくらかは効いたと思う。音楽会でも

因みに宿の部屋は昨年と同じだった、昼になると郵便局がやってきて、部屋の窓の前に車を停めて、配送していく。結構時間をかけている。冷蔵庫は冷凍室もついていて使いいい。小型オーブンも、電子レンジもついている。昨年はその横においてる扇風機を使ったが今年は要らない。昨年と比較して大分鈴うしい夏である。

宿から駅前駐車場までの四回も往復すると流石に走り慣れた。距離は30KMを越えるのだが、自宅からハイデルベルクを比較するとそれほど遠くは感じない。理由はわからないが、渋滞さえなければ通える距離である。

今回始めて旅行でシークレットシューズを使っている。最大で1.5cmしか大きくならないが、それ以上に気持ちが違う。矢張り姿勢が変わるだと思う。女性でハイヒールでないと歩けないというのがあるが、なるほどと思う。



参照:
何処に見出すのであろうか 2024-08-29 | 文化一般
見事な素材とその出し方 2023-09-01 | 雑感
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何処に見出すのであろうか

2024-08-29 | 文化一般
旅先で保険会社からメールが入っていた。スパムかと思ったが気持ち悪いので開けると、1月のベルリンでの事故に関するもので、当方に100%責任があるので支払わなけばいけないというものだ。当方の警察からの文章の受取りも貰っていない。調べたというから知っている筈だが、先ずは帰宅後それをメールでもう一度示して異議としておく。全てを承知ということならばこちらも自動車クラブ経由で弁護士を立てないといけない。その弁護士保険に入っている。先ずはそれからだろうか。

一方、ルツェルン迄の旅行は予定通りに捗った。敷いて言えば腹が減って早くから握り飯を食べていてフランスへの下り口を見逃していた。それでもカールツルーへ経由で燃費を7.7にまで抑えられたので良かった。国境では道路税を未払いの車に人手が必要で、少し手前で購入した我々の列には誰も来なかった。要するにフリーパスであった。その分、通行券を購入したりトイレに行ったりで手前で10分ほど時間を取った。

道中にブルックナーの初日のラディオ録音を通したが、やはりまだ落ち着いていないところが多かった。生で聴いてから語れることがあることは間違いがない。余談ながら、車の調子は良いながら、路面の音やその他で結構邪魔になった。ノイズキャンセルの効き方がおかしかったのか。

その後にdchの我が祖国を流したのだが、こちらの方は全然そうした外の騒音が気にならずダイナミックスレンジゆえの相違ではないかと気がついた。

朝一番で部屋の鍵のコードも部屋番号も知らせてきたので、地下駐車場に外で15分ほど待って、周りの写真を撮ったり、搬入する荷物を整理していたりしたら時間になった。地下駐車場は昨年よりもホテルの領域が狭まって、他のアパートメント用が増えている感じがした。しかし一番に入ったので、一台しか先約の客の車はなかった。

案の定、22時前に戻ってきたらもう場所がなかった。やはりアパートが増えて、ホテル用の場所が減ったようで、外に停める。荷物を下から運ばないでいいので、その点は都合がいい。コープでお土産のワイン二本と冷えたビールにチーズや朝食用のビュンドナーフライシュや果物類を購入したからだ。

一日目の客の入りは今一つだった。ブルックナー交響曲五番ではスポンサーがつかないということで、なんと最近には珍しく18時過ぎでもP2が空いていて、ホールの真下に駐車できた。何年ぶりのことか。なぜならばベルリナーフィルハーモニカー演奏会の晩はスポンサーに抑えられるからだ。そうした客層が少なくて、地元の若しくは質の高い客層が寄っていたことは分かった。それは珍しく、ステーア女史のレクチャーが満員御礼だったことでも分かる。所謂観光客が少なくこの難しい交響曲をを聴いてやろうという人が集った。一昨年のマーラー七番などとは比較にならない関心の高さだった。

これはとてもカルヴァン派の多いそしてオーソドックスユダヤ人コミュニティーの大きいチューリッヒの近郊ということからしても、取り分け興味深い。それはレクチャー骨子が如何に主題的な限定から変容が起きているかなどを認識させるに十分で、カトリック的な視座を客観視するものでもあった。それ故に昨今のブルックナーの解説においては欠かせない神秘主義への言及はなかった。彼女はベルリンのフィルハーモニーでもレクチャーをしているように、南ドイツの人ではない。

やはりそこから導かれるのは、FAZ評の根幹になっていたように、ブルックナーがアカデミックな教育を受けることなく、ヴィーンの大学での教職の座を確保するためにもこの交響曲において如何に持てる技巧を駆使したかとなる。ペダンティックなるがゆえのこの交響曲の難解さであり、生前には二台のピアノでしか演奏されなかった原因でもある。そしてブルックナーの交響曲の事始めはリンツでの「タンホイザー」上演に接してのことであったと話された。(続く



参照:
事件の真相は現場にも無し 2024-02-24 | 雑感
夜の歌のレムブラント 2022-10-22 | 音 

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明白にされていく動機

2024-08-28 | アウトドーア・環境
リッター162,9セント で満タンにした。18時16分の会計だった。当日の近所の最低価格で先ずは良し。宴会入れた価格が高めで167,9だったが、110ユーロ程で750km程走れたらそれは悪くない。宿から駅前駐車場に二往復するので70km程余分に走るためにどこかで少し入れないと帰れない。新しい車なら830kmは越える筈なので、無給油で更に充電満タンでその後急いで給油しないでも困らない筈だ。今年も良ければ来夏も泊まれるアパートメントである。エンジンオイルも前回のヴュルツブルクから帰宅後に多めに補充して今でもオイル棒の半分少しのところにあるので余りエンジンを回さなければ往復は問題がない筈だ。

インスタグラムのことを言及したら練馬区の国道沿いから不正アクセスがあったようだ。そもそも写真もここに出しているようなものが殆どで、電信内容も個人情報は殆どない。先方のサイトにはそこからアクセスできるのだが400人以上のフォロワーがいて商売用の写真は殆ど消去して仕舞っている。昔のお客さんの為に連絡用に置いてあるに過ぎない。個人的な通信内容は読めるが、成り済ましにでもならない限りあまり面白くないだろう。抑々ストーカー防止に殆ど情報は出していない。パスワードがどのようなものであったかは記憶がないのだが、変えろというので変えておいた。

涼しくなってきたのでワインを開けているが、九月の買い付けのための確認のようなものが多く、これ以上寝かす必要のないものを飲み干して、新たに買い付けするという算段である。中途半端に開けて旅行に残りを持って行かないといけないかなど、若干の問題もある。スイスのワインを滞在二夜で開ける迄の余裕はないかもしれない。スイスであまり無駄に金を落とさないように留意しよう。

ルツェルンの音楽祭からのお知らせで、ブルックナーの1880年のスイス旅行に関する記事のリンクがあった。有名なモンブラン見学への旅行記からの引用で、興味深いのはチュリッヒのグロースミュンスターのオルガンを弾いて、そこからヅルヒャー湖のラッパースヴィルから船で対岸に渡ってジュネーヴへ、そして帰りにルツェルンのリギ山のまだ新しいケーブルウェーで上がって、上のホテルで一泊したらしい。そうした情景やらそこへのアマルガウでの17歳の女性とのストーカー文通が「トリスタン」アダージョに、また彼女を見かけた駅での交響曲六番のフィナーレのイタリアン交響曲に続く列車の揺れとなるらしい。

ベルリン初日での五番のFAZの批評を読むと、五番においてはヴィーンの対位法の音楽教授へのキャリアで、あまりにも評価されずにアカデミックな拒絶からの深い後悔の念を以って、それが希望や絶望、歓喜や悪夢としてではなく世界観として音楽にしたのはブルックナー以外にはいなかったとなる。それをして、余りにもペダンディックな対位法的な作品で以って、とことん書き上げたのがこの交響曲であったとなる。それは些か、ペトレンコ指揮では、神は何処にといわれるほどに、あまりにも内面的で且つ感覚的な作曲家の意思が表れているのではと感じさせる点と共通している。そもそも音楽の動機は理念的なものでもあるのだが、そこには列記とした創作の動機が存在するのは当然なのである。まだ合わせて先ず夏に六回演奏されるところで、動機群の整理が為されて、聴衆よりも先に奏者がそれを身に纏うことでより創作意思が明白にされてくるだろう。



参照:
一夏の旅行体験へ 2024-08-27 | 雑感
写真整理で色々と考察する 2013-07-24 | アウトドーア・環境
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一夏の旅行体験へ

2024-08-27 | 雑感
週が明けた。いつものように怠い。然し、旅行迄に片付けることを片付けるしかない。帰ってきたら月末で、何も出来ない。

ジャガイモサラダと豆煮もやらなければいけないが、最も気を遣うのは価格の乱高下が激しい燃料を如何に安く満タンにするかである。底値がはかれないので困っている。原油価格が上がってもドルが弱くなっている。

現在リッター162セント迄落ちているのだが、150セント台にならないかとひそかに期待している。前回入れたのが167であったから、50リットル入れたとして4ユーロ安くなる。一寸した額である。

宿泊の宿から連絡が入っていた。入り口を開ける為のコードはチェックイン時刻に発信するということで、タブレットで受けてやらなければいけない。タブレットには課金しておいたから使える筈だが、いざとなった時に電話番号と予約コードだけは書き留めておかないと時間の無駄になる。

一年前の旅日記を読み返すと、全く同じ感じで出かけて、早めに到着している。感じからするとチェックイン前に既にコード番号は届いていたらしく、宿泊所前で待っていたのを思い出す。掃除の人などがいた。最初は駐車場入れなどが分かり難かったのだが、それは問題がない。玄関脇の前回よりも少しでもいい部屋ならうれしい。

「我が祖国」のベルリンでの演奏はまだ観ていない。金曜日に無料券を溶かしてから48時間以内には時間がなかった。仕方がないので火曜日の夕方に再び無料券を使うと、木曜日の公演前ぐらいまではそれが使えることになる。金曜日のアーカイヴはその時点では間に合わないだろうが、もう一枚を残しておけば一先ず足りる。

会計士のところに書類を送ったのだが、既に着いているだろう。メールで連絡事項もあるのだが、明日にしておいて、昨年の会計処理も段取りをつけておかないといけない。面倒なことはどうしても後回しになるが、残っているとどうしても余分な時間を得られなくなるので早めに処理をしたい。

車輛の税金も200ユーロ程が、6月頃に時期が来ていて、毎年のように遅れるが、今年は8月までで強制徴収で脅かされたので掃っておいた。最後の額になるが、どうしても催促などで4ユーロ多く払ってきた。来年は廃車になるので、来年はまた異なる額になる。基本はハイブリッドで40ユーロへと大幅減額となるのだが、計算して貰わないと端数が分からない。

チャットパートナーに一言書いておいた。ここ暫くなりが潜んでいるが、外国旅行でもしているのではなかろうか。例の学校先生風と一緒に稼いだ金で動いている感じもする。近くまで来ているなら声を掛けてよとも言いたくなるが、一度本格的に外国旅行を体験してしまうと、ああいうタイプの人はなかなかじっとできなくなるだろうなと想像している。



参照:
想定内外の旅絵日記 2023-08-31 | 雑感
週明けまでの荷造り 2024-08-26 | ワイン
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週明けまでの荷造り

2024-08-26 | ワイン
雨が降って一挙に晩夏らしくなった。荷造りの準備である。古い髭剃りの旅行専用としてのデビューで、見ると放電していたので、フル充電する。念のためにケーブルを偲ばせていくかどうか。二泊でミニノートブックを持って行くかどうか?最近使っていないので持って行ってもいいが、でなければタブレット用にキーボードにするか?どちらも最近は使っていないので持って行けるように充電して、荷物の量などに応じて選択すればよい。スイスはEUでないのでYAHOOなどが入るので、そこから日本の放送などを聴いたりするにはPCの方が使いいい。その前に音楽ファイルを整理しておきたい。

夕食、ピクニックの準備も週明けにする。乳酸豆を煮込んでパックして冷蔵庫へ、ジャガイモサラダも作って仕舞って持って行けるように冷やしておく。アイスバインの缶詰は冷やしてある。バターは残り少なくなっているので、それを持って行ってもよい。紅茶はティーバックをハーブティーの詰め合わせと一緒に十分な量を。果物やプチトマト、蕪類も早めに洗って、また茹で卵も三つほど準備。ピクニック用の握り飯は二号の手配を考えておく。

往路は宿まで320kmで3時間20分ほどで着くが、途上スイスの道路税ヴィニェッテを購入して、検問で停められると、4時間以上は見ておかないといけない。渋滞で4時間半として、チェックイン14時なので10時までに出れば、何かあった時も対応可能である。

なかなかそういうことはないのだが、14時にチェックインするとして、そこから駅前駐車場まで35kmを40分の距離なので、17時30分ぐらいに出れば逆向きラッシュ時刻でもなんとかなる。演奏会前にゆっくり出来れば最高だ。往路の車中での試聴で気になったところの楽譜を見ておくとなによりもすっきりする。

昨年の宿の写真を確認する。気になる冷蔵庫の写真などはないのだが、朧気乍ら思い出す。食事は持って行った煮凝りなどを食していた。今年は似てる様で若干違う。一番異なるのはキュウリや蕪以外には新鮮な緑を持って行かない事だろう。

然し初日からチーズを購入してきているので、これも早めに駅で購入しておく方が都合がいいだろう。それ以外にもパイのようなものを購入しているが、豆に合わせたものがあるのかどうか、オードブルのようなものの方が、面白いかもしれない。

持ち込むリースリングは決めたが、出来るだけテッシンのワインを購入して飲めるだけ飲んでおく方が得な気がする。精々持ち帰るのは二本ぐらいだからだ。昨年は一本はアスコーナの2020年物のメルローを購入しているが、それも美味かった。今年は予定通りならば、10月には現地に向かうので、それ迄のお勉強にも購入する。然し調べてみると宿泊予定のコモの国境沿いよりも遥かに手前のルガーノと峠との間のベリンゾーナにワイン産地があるので直接の買い付けは難しいかもしれない。なるほどあの辺かというチェネリ山地の谷間である。アウトバーンからも見える登ったアルプスの谷最長の32ピッチルートがある所の手前か。



参照:
シーズン幕開けのアイデア 2024-08-25 | 文化一般
旅絵日記一時帰宅編 2023-09-02 | 雑感
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シーズン幕開けのアイデア

2024-08-25 | 文化一般
ベルリンの新シーズンが始まった。中継を食事の傍ら流していた。ラディオでは指揮者ペトレンコが短く楽曲を語っていた。放送で注目された最後のコーダーでのフルートを浮かび上がらせるところは、まさしくその話しのフーガを経て最終的な浄化である。それを長い一晩の舞台神聖劇にしたのがヴァ―クナーであった。まさしくフルートの木管群。

ヴァ―クナーにおいては、ブルックナーから直接総譜を献呈されていたりして「あのトラムペット」と呼んでいたようだ。この五番とその交響曲三番とは校訂時期も重なり繋がり深い。それ以前に最終フィナーレで最初からの動機が回帰してくる方法など、既に「ラインの黄金」で試みていることから、時代の趨勢としての偶然ばかりとは言い切れないブルックナーのアイデアとの共通性もある。

楽器配置は予想通り独伝統的な配置で左右にヴァイオリンが別れて、左奥にバスが入る。この形でしかこの交響曲を鳴らす方法はないと思うが、コンセルトヘボ楽団のみならずチェリビダッケのミュンヒナー、ヴァントの放送交響楽団などもアメリカン配置を取っていていかにも鳴らす為のアンサムブルが厄介だということらしい。

確かに支配人が当日ラディオの前宣で語っていたが、ベルリナーフィルハーモニカーの指揮者ビュローが「ブルックナーは半分天才で半分阿保」揶揄した様に演奏のことなどよりも理念で筆を進めて仕舞って、結局修正に奔らなければいけなかった。

初日の放送でいつものように緊張でとちったりする奏者もいて、尚且つ最初から最後まで通して管楽器陣が特にソリスティックに音楽を為していくことも困難で、ある程度ルーティンにならなければペトレンコ指揮の細部に拘る音化は叶わない。そういうとても密な楽譜となっている。

一寸見た目にはロゴの様に組み合わせて行けば済むようにも思うのだが、それではそこにはやはり音楽はない。フィルハーモニカーが語るように身体全体で感じてとそのシステムの意味が感覚的に会得できれば正しいバランスで正しいアンサムブルが可能になるに違いない。彼のチェリビダッケが極度の緊張を奏者に強いて初めてそこから出てくる音楽をというのとは異なるものも、如何にも自主的に音楽することでの演奏実践という意味では似ている。

然し、ベルリンの新フィルハーモニーでは音は聴けてもその交わりのアンサムブルは壁がない為に発散されて音楽とはならない。特に低音が下支えしないので同じ対位法的な書法でも本来の響きとはならない。毎夏の演奏旅行ではシューボックス型のルツェルンでしかこうした伝統的な配置での正しいバランスが得られないのである。初日の中継での最も欠けた点はまさにそこであり、そしてそこに作曲家が描いた響きがある。

観客にはメルケル夫妻以外にもノーベル文学賞のヘルタ・ミュラーやブラント元首相の末っ子の俳優マティアス・ブラント、バレンボイムなどがいて、ペトレンコを囲んでの会食が目撃されている。



参照:
否応なく使うただ券 2024-08-24 | 暦
独り立ちできない声部 2024-08-23 | 雑感
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