Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

描き切れない普遍的価値

2024-09-01 | 文化一般
今晩はBBCでプロムスを生中継聴く。なぜかプログラム順が裏から表へと明日へと進む。その裏プログラムの「我が祖国」は定期公演から数えて8晩目となるのだろうか。7晩であれだけの演奏をこなして、それ以上はとはいかないだろうが、びっちり今日もサウンドチェックで練習しただろうか。その細かな音楽的な裏のつけ方とかまでに音楽的意味合い、つまり聴力も失う作曲家がどのような音を頭の中で描いていたかまでは到底容易に描き切れない。

だからこそ芸術音楽は何百年も同じ楽譜が繰り返されて演奏されても今でもそこに何かが見つかる。少なくとも指揮者ペトレンコの熱心なお勉強がなかったならば、一般音楽愛好家のみならず奏者もなんらそのことには気が付かずに一生を終えたに違いない。それは、共産党治世での民族解放的なイデオロギーでも、そしてその後の自由を謳歌する民族でも見落とされたようなものが殆どで、表面的な理解はより創作の意思を見出す妨げになった。

ルツェルンでのプログラム冊子は、ペトレンコのブレーンのクラスティング氏が書いている。興味深かったのは、「モルダウ」の発想からどうも全てが流れ出たようで、その証拠として友人の指揮者でヴァイオリニストのアンガーが作曲家とボヘミアの森のヒルシェンシュタインのクレマルナとヴィドラの小川がオターヴァへと合流する川辺で川面を見てじっと佇む作曲家の姿を描写していて、そこに長く魅入られていたとある。聴力を失うずっと前の1867年の夏のことで、読者もその二つの流れの詩的な水音に耳を奪われる。まさしくあのハープの音がそして重なり合って、木管がひとつづつ絡み合って水量が増えていくあの心の響きである。

スメタナが音楽好きのビール醸造所の家庭出身で支配者のドイツ語で教育を受けて、後に名前もフリードリッヒを捨てて、チェコ語も学んだのは知られているが、そもそもチェコ語は田舎のその日暮らしのような人々にしか使われていなかったとある。丁度現在のプファルツ方言と同じアルザス語にも似ているかもしれないが、正しくウクライナ語そのものではなかろうか。

音楽も当時はドイツの劇場だったプラハでもチェコ人、ユダヤ人の劇場などが割拠してお互いに競っていた様である。スメタナの理想は技術的にはリストであり、芸術的にはモーツァルトだったと語っていて、所謂新独逸学派に属する。そして1948年の蜂起事件後に嫌気がさして、スェーデンのイェーテボリに移っていたようで、そして娘と妻を失うことになった。1874年になって初めて「我が祖国」が着手されたのは、丁度作曲家個人にとってもとんだ絶望と失意の時期だったとなる。

この連作交響詩の激しさとその連関する動機やその表情付けに決して親しみ易さだけでもないものを皆が感じるのは事実だろう。然しそうした呻吟慟哭を強く我慢しているような表情をここではチェコの民族の被支配の歴史として映し出している。まさしくそこには目標としていたモーツァルトのオペラに描かれているように、例えばそのポルカの余りにも素朴な響きに創作が昇華されている。

私達がこうした芸術作品からまだ学ぶことがあるとすれば、世界の大文学と同じように、こうしたことに、普遍的なそうした価値観に触れることで導かれることではないか。



参照:
美しい響きをお土産に 2024-08-30 | 音
インタヴュー、時間の無駄二 2016-07-24 | 歴史・時事
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