リッター162,9セント で満タンにした。18時16分の会計だった。当日の近所の最低価格で先ずは良し。宴会入れた価格が高めで167,9だったが、110ユーロ程で750km程走れたらそれは悪くない。宿から駅前駐車場に二往復するので70km程余分に走るためにどこかで少し入れないと帰れない。新しい車なら830kmは越える筈なので、無給油で更に充電満タンでその後急いで給油しないでも困らない筈だ。今年も良ければ来夏も泊まれるアパートメントである。エンジンオイルも前回のヴュルツブルクから帰宅後に多めに補充して今でもオイル棒の半分少しのところにあるので余りエンジンを回さなければ往復は問題がない筈だ。
インスタグラムのことを言及したら練馬区の国道沿いから不正アクセスがあったようだ。そもそも写真もここに出しているようなものが殆どで、電信内容も個人情報は殆どない。先方のサイトにはそこからアクセスできるのだが400人以上のフォロワーがいて商売用の写真は殆ど消去して仕舞っている。昔のお客さんの為に連絡用に置いてあるに過ぎない。個人的な通信内容は読めるが、成り済ましにでもならない限りあまり面白くないだろう。抑々ストーカー防止に殆ど情報は出していない。パスワードがどのようなものであったかは記憶がないのだが、変えろというので変えておいた。
涼しくなってきたのでワインを開けているが、九月の買い付けのための確認のようなものが多く、これ以上寝かす必要のないものを飲み干して、新たに買い付けするという算段である。中途半端に開けて旅行に残りを持って行かないといけないかなど、若干の問題もある。スイスのワインを滞在二夜で開ける迄の余裕はないかもしれない。スイスであまり無駄に金を落とさないように留意しよう。
ルツェルンの音楽祭からのお知らせで、ブルックナーの1880年のスイス旅行に関する記事のリンクがあった。有名なモンブラン見学への旅行記からの引用で、興味深いのはチュリッヒのグロースミュンスターのオルガンを弾いて、そこからヅルヒャー湖のラッパースヴィルから船で対岸に渡ってジュネーヴへ、そして帰りにルツェルンのリギ山のまだ新しいケーブルウェーで上がって、上のホテルで一泊したらしい。そうした情景やらそこへのアマルガウでの17歳の女性とのストーカー文通が「トリスタン」アダージョに、また彼女を見かけた駅での交響曲六番のフィナーレのイタリアン交響曲に続く列車の揺れとなるらしい。
ベルリン初日での五番のFAZの批評を読むと、五番においてはヴィーンの対位法の音楽教授へのキャリアで、あまりにも評価されずにアカデミックな拒絶からの深い後悔の念を以って、それが希望や絶望、歓喜や悪夢としてではなく世界観として音楽にしたのはブルックナー以外にはいなかったとなる。それをして、余りにもペダンディックな対位法的な作品で以って、とことん書き上げたのがこの交響曲であったとなる。それは些か、ペトレンコ指揮では、神は何処にといわれるほどに、あまりにも内面的で且つ感覚的な作曲家の意思が表れているのではと感じさせる点と共通している。そもそも音楽の動機は理念的なものでもあるのだが、そこには列記とした創作の動機が存在するのは当然なのである。まだ合わせて先ず夏に六回演奏されるところで、動機群の整理が為されて、聴衆よりも先に奏者がそれを身に纏うことでより創作意思が明白にされてくるだろう。
参照:
一夏の旅行体験へ 2024-08-27 | 雑感
写真整理で色々と考察する 2013-07-24 | アウトドーア・環境
インスタグラムのことを言及したら練馬区の国道沿いから不正アクセスがあったようだ。そもそも写真もここに出しているようなものが殆どで、電信内容も個人情報は殆どない。先方のサイトにはそこからアクセスできるのだが400人以上のフォロワーがいて商売用の写真は殆ど消去して仕舞っている。昔のお客さんの為に連絡用に置いてあるに過ぎない。個人的な通信内容は読めるが、成り済ましにでもならない限りあまり面白くないだろう。抑々ストーカー防止に殆ど情報は出していない。パスワードがどのようなものであったかは記憶がないのだが、変えろというので変えておいた。
涼しくなってきたのでワインを開けているが、九月の買い付けのための確認のようなものが多く、これ以上寝かす必要のないものを飲み干して、新たに買い付けするという算段である。中途半端に開けて旅行に残りを持って行かないといけないかなど、若干の問題もある。スイスのワインを滞在二夜で開ける迄の余裕はないかもしれない。スイスであまり無駄に金を落とさないように留意しよう。
ルツェルンの音楽祭からのお知らせで、ブルックナーの1880年のスイス旅行に関する記事のリンクがあった。有名なモンブラン見学への旅行記からの引用で、興味深いのはチュリッヒのグロースミュンスターのオルガンを弾いて、そこからヅルヒャー湖のラッパースヴィルから船で対岸に渡ってジュネーヴへ、そして帰りにルツェルンのリギ山のまだ新しいケーブルウェーで上がって、上のホテルで一泊したらしい。そうした情景やらそこへのアマルガウでの17歳の女性とのストーカー文通が「トリスタン」アダージョに、また彼女を見かけた駅での交響曲六番のフィナーレのイタリアン交響曲に続く列車の揺れとなるらしい。
ベルリン初日での五番のFAZの批評を読むと、五番においてはヴィーンの対位法の音楽教授へのキャリアで、あまりにも評価されずにアカデミックな拒絶からの深い後悔の念を以って、それが希望や絶望、歓喜や悪夢としてではなく世界観として音楽にしたのはブルックナー以外にはいなかったとなる。それをして、余りにもペダンディックな対位法的な作品で以って、とことん書き上げたのがこの交響曲であったとなる。それは些か、ペトレンコ指揮では、神は何処にといわれるほどに、あまりにも内面的で且つ感覚的な作曲家の意思が表れているのではと感じさせる点と共通している。そもそも音楽の動機は理念的なものでもあるのだが、そこには列記とした創作の動機が存在するのは当然なのである。まだ合わせて先ず夏に六回演奏されるところで、動機群の整理が為されて、聴衆よりも先に奏者がそれを身に纏うことでより創作意思が明白にされてくるだろう。
参照:
一夏の旅行体験へ 2024-08-27 | 雑感
写真整理で色々と考察する 2013-07-24 | アウトドーア・環境
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