Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

音楽会を愉しめるように

2020-08-29 | マスメディア批評
ベルリンからの中継放送を聴いた。定員の四分の一465人が入ったベルリンのフィルハーモニーからの新シーズンオープニング演奏会であった。先ずは30分ほどの時差でのラディオ中継。ARD網のキー局をSWR2がやっていたが、敢えてRBBから録音した。スタッフはそこの人たちだ。音質も悪くないので現地主義を取った。それが終了したのが21時30分前で、番組は無観客で演奏された「グランパルティータ」のアーカイヴへと移って行った。22時30分から今度はRBBのTV中継録画が放送されるので、それを録画する準備に入った。

内職の成果は、録音は綺麗に出来たと思う。まだ確かめる時間はないが、先ずが映像を見ないでどのような配置でどれぐらいの大きさかなどを想像していた。特に「浄夜」は5月23日に放送されていたのでそれとの比較となる。人数は、今回が40人で、前回は20人と倍になっている。その配置のバラバラ感とか、原曲の六重奏曲に近いのは前回の演奏だった。この曲に関しては、ザルツブルクのティケットが7月に売り出された時もあまり期待していなかった。必ずしも六重奏版がいいとは思っていないのだが、最初に生演奏を聴いたのが岩淵龍太郎指揮の室内合奏団で、その演奏自体はロマンティックだったのだが、室内楽の延長でその楽器間の受け渡しやその音響の手もとがよく見えた。どうしてもそれが欲しいのである。

だからその当時から手元にあったフォンカラヤン指揮の録音は全く駄目な録音であることは分かった。その後に聴いたのはマンのジュリアード四重奏団にトラムプラーとマが入っている録音だ。その後、ダニエル・バレンボイム指揮のシカゴ交響楽団の録音を聴いて、これが決定版となった。シカゴを世界一番だと思っている私にはもう選択が無い程の出来である。

当然のことながら制作録音とライヴ放送とは比較などは出来ないのだが、なによりもそのテクスチャ―の透明さを求めると、今回の演奏ではやはり具合が悪い。ペトレンコの楽曲紹介のヴィデオを見ていないのでその趣旨はよく分からないが、やはりこのプログラムの原型だったヴェーベルン作曲「パッサカリア」に続いてメンデルスゾーン交響曲一番ハ短調には代えがたい。

11月のアルテオパーでの公演はこのオリジナルプログラムは残されている最後のものであるが、何とか実現して欲しいと思っている。フランクフルトのアルテオパーは、9月分に関しては、見込みの無いシュターツカペレドレスデンなどの公演の中止を除くと、短くしたプログラムを倍額近くにして売っている。減員して、倍額払っても人が集まる演奏会というのが本物だと思う。

アルテオパーでのベルリナーフィルハーモニカー演奏会は、2月にも筆頭スポンサーのドイツェバンクが招待などで、格安で提供している。その意味から倍にしてくれても個人的には構わないのだ。それどころか、もっといい席に代えてもいいと思う。

間隔を空けて、倍額、それでも解決しないのは舞台上の間隔で、新たにシァリティが提出した配置提案によれば、遮蔽などを使って管楽器の前の間隔を2mへと縮め、弦楽器奏者間も1mへと縮める。当然のことながら、客席も1席空けて半分まで入れれるようになる。そして長めの休憩を入れれると良いだろうか。その前提には、現地だけでなく連邦共和国内のコロナの新感染がぐっと下がっている事だろう。

その意味からもTVの司会者が、「皆が規則を守れば、もっと新感染者が減って、普通に音楽会を愉しめるようになりますよ」と態々声明を出していた。同時に最新の空調が効いているフィルハーモニーの券がまだ余っていると宣伝していた。このことが多くの事を語っていたと思う。



参照:
実績を踏まえての期待 2020-05-24 | 音
怖くないコロナ第二波 2020-06-12 | 雑感

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