Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

認知されるアレゴリー

2023-04-09 | 文学・思想
聖土曜日のコンサートは秀逸だった。数え切れないほどのベルリナーフィルハーモニカー演奏会の中でも屈指の体験だった。演奏もチェロのソロも勿論ダイシンとハラックとの掛け合いも素晴らしかった。オーボエのケリーが特別に指揮から花束を贈呈されたのも頷ける。そして何よりも指揮のアイムが素晴らしかった。彼女は比較的初期にフランクフルトの会で呼んだのだが残念ながら行けなかった。もう少し重い指揮かと思ったが、全くそのようなことはなかった。

そして歌手のジャロウスキに代わったレジェノヴァが思いがけなくよかった。デビュー当時にこれまたフランクフルトの会で呼んだが声は太くなっているものの音楽的には驚くほど大物になっていた。

そして公演前のレクチャーは態々東海のロストックからフレデリカ・ヴァイスマンという教授が来ていた。ヘンデルもオペラの専門家らしいが、なぜこの曲がオラトリアかの説明から入った。当時ローマではエロティックに享受担ってしまうオペラ公演が禁止されていたというのである。それでもこの曲のテキストはカーディナルのパンフィーリが受け持っていた。

そして四つのアレゴリーで描かれているものは「美」、「享楽」、「時」、「認知」であってそれらがお各々の歌手で謳われる。そして特徴的なのは最初から「美」が儚いものであること謳われる。つまり終曲の朝露に濡れる花片がそうしたものであるという認識は最初からなされている。二部に分けて演奏されたが、歌手陣も含めてとても味わい時間を皆が共有した。そして、そのアレゴリーの在り方こそは「影の無い女」においても「人とは」というテーマで以て使われている芸術的な表現方法であった。

前夜の「四つの最後の歌」そして皇帝の主題と同じ変ホ長調の英雄の主題と、この復活祭において「芸術とは何ぞや」を思い知らされる。これほどのプログラミングは今迄になかった深さである。

そして復活祭初日、今夜は新制作「影の無い女」最終日の公演を迎える。そしてまた二幕に思いを馳せた。なによりもフィナーレへの染物屋バラックの怒りの心理であり、それへの染物屋妻の心理へである。

二人の心理がここに来てようやく実感できたような気がする。それは幕の前半で皇帝の妻への一刺しの出血そしてカイコーバートの見えない存在へと並行して存在していた。三幕で以て皇后と父親との関係でそれはまた解決されるのだが、それを以って初めて人となる。

カイコバートとはどのような存在なのか、そしてバラックのその怒りで以って何が解消されたのか。殆どカーニヴァル以降こうして身体を張って過ごしてきな日々が復活祭で以って明確な認知となってきた不思議。(続く



参照:
妻に告白されたバラック 2023-03-28 | 音
初めてのファンクラブ 2023-03-01 | 女

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