Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

復活祭の最終公演へと

2023-04-13 | 
承前)復活祭月曜日は更に眠かった。天気は良かったのだが、前夜の「影の無い女」千秋楽が22時50分ほどに終わって、一杯引っ掛けて帰宅したのは午前様だった。翌朝の復活祭二日目の月曜日11時から連邦ユース管弦楽団の演奏会があった。昨年は「運命」交響曲を生まれて三回目に聴いて、ベーム指揮ヴィーナーフィルハーモニカと双璧の体験だったが、本年はそこ迄はいかなかった。しかし、テムポ変化やアゴーギクにビンビンに反応するユース楽団を振るペトレンコ指揮の面白味は格別であった。そのシューマン交響曲四番の演奏は前回はネゼサガン指揮フィリーの演奏だった。モーツァルトの小ト短調はムーティの日本デビュー公演での指揮であった。

夕方の最終公演迄に三時間ほどの時間があったので、復活祭二日目の祝日で街中も殆ど開いていなかったので、郊外のワインどころのレストランを当ってみた。一軒は仕事で使ったことのあるホテルレストランで、SWFのロスバウトスタディオからも通えるところである。そこまで出かけるとホテル客はいてもレストランは15時始まりで、16時始まりの公演には間に合わなかった。偶々その先に開いていたレストランに空き席を見つけた。流石にワインどころで田舎の割には綺麗に出した食事が楽しめた。ハウスワインは少し甘口であの程度のワイン農家のではそれは仕方がない。

少し時間があったのでワインの水割りなどを呑んで気持ちよくなった。気持ちいいと時間が経つのも早い。最短コースで祝祭劇場に戻っても、二回目のレクチャーも既に終わっていた。前回金曜日には「英雄の生涯」に関して触れられなかったのでと思ったのだが、「最後の四つの歌」に関してはやはり声を歌詞を超える音楽ということで、「影の無い女」において皇后の最大の叫びは「Ich will nicht」である。そこに共通するという事である。勿論最晩年の老作曲家にはそのような慟哭はない。

しかし、名歌手ディアナ・ダムラウの歌うそこには切実な叫びもあった。金曜日には、第三曲「眠りに就く時」の上に流れて行く時間の止まりそう且つ宇宙へと流れるオーロラの様な「何千回も生きる」の美しさは、ARTEに収録されているのでもう一度確かめられる。その点最終日には終曲のアイヘンドルフの「夕焼けに」が絶品だった。あそこ迄の歌唱となると少々の出来不出来で抜けてしまう芸術になるという事だ。まさに宇宙へと抜ける歌唱とその指揮演奏。この曲に関しては、今迄の度々の名録音もペトレンコ指揮ダムラウの名唱には叶わないと思う。更に歌においてと同時にミュンヘン座付き楽団でのツアーの時はそのどうして気づかされたマニエーレンの影が失せて、清涼な水が流れるような嘗てのベーム指揮やセル指揮のような音楽に近づいてきていた。

キリル・ペトレンコ指揮の最終的な評価はやはり独墺音楽において如何に過去の名演を越えていくかにあって、後半に演奏された「英雄の生涯」では、その曲を十八番としたヘルベルトフォンカラヤン指揮のそれとの比較となった。(続く



参照:
入れて貰えて一安心 2023-04-12 | 女
朝から晩までの一日 2023-04-03 | 文化一般

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