Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

妻に告白されたバラック

2023-03-28 | 
楽劇「影の無い女」のお勉強、三幕から戻ってみた。構成がよく分かるようになるようだ。三幕が一番問題があると同時に先日の染物屋バラックを歌うヴォルフガンク・コッホが語っているように最も美しい音楽が三幕の初めのデュオだとありそれにも注目した。

正直な話染物屋バラックとその妻の絡みは一幕から二幕のフィナーレへと何処も同じように映っていた夫婦関係なのだが、流石に十代や二十歳過ぎの時とはその受け止め方が大分変わってきている。それどころかコロナ前にはハムブルクの劇場で生涯三回目の上演を終えた時ももう一つその夫婦の心理は実感としては受け止められなかった。それどころか引けた後顔を見て気になっていたウクライナの娘さんにご一緒にと勧められたのだが、一体何を話そうかと思って辞去したのだった。要するに、楽劇のそこが分かっていなかったということでもある。

しかし今は痛いほどそこが分かる様になった。この年齢になって一体何を今更と思うのだが、やはり暫く結婚生活でもしていないと、ああいう夫婦の心のすれ違いは実感が出来ないのかも知れないと思っていた。

二幕のフィナーレにおいては、染物屋の妻は影を売る契約を受け入れたことをバラックに告白する。そこからの水に石をつけて沈めようとする怒りを導くのだが、そこでの夫婦の心理も興味深く、妻はそれなら殺して呉れと叫ぶ。ここをただの刃傷沙汰の痴話騒ぎと感じるのかそうではないかでその後の三幕の意味が全く変わってくる。

ミュンヘンでのヴァリコフスキー演出新制作時のプログラムを開けている。中々内容が多く高度なので全てを網羅していない。そのお陰で役立つ情報が沢山ある。二幕の前半の主題である皇帝と皇后の出会いとその関係を説明している。討った鹿が血を出して、それが変容して皇后となっているのは、ピカソのミノタウリスを出すまでもなくミュトスとされるものであるが、当然の事ながらこの二幕では男性の性的な攻撃性が扱われている。

三幕の感動はこの構造無しには成立しない。その前提となっているのが赤裸々な人間関係でしかない。三幕のミュンヘンでの演奏は迫力もあり歌手も健闘しているのだが、週末のベルリナーフィルハーモニカーの演奏が待たれるところではやはり音が出し切れていない。なるほどペトレンコ監督になってから最初の作品でもあったので、最後の頃の出来とは座付き管弦楽団の腕も違った。猶更恐らく楽劇の中でも最も分厚い響きの楽譜となっているこの曲は、そこでのペトレンコ指揮のコンセプトは綺麗に定まっているものの若干物足りない面がある。三幕の繋ぎには省略もありようで、今回どのように演奏するのかもあり詳しく確認しておく必要がある。

アドルノがけばけばしいといったその音響は、「英雄の生涯」などの事を考えれば正しく鳴らし切ることで画期的な音楽になるのではなかろうか。少なくともコンサート形式などでは到底本気には慣れない音楽内容である。楽劇には興奮と感動しか想定されていない。



参照:
人を一人前にする裸の関係 2023-03-27 | 文学・思想
惚れ直すその育ちの良さ 2023-03-25 | 女

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