古渡城から、バイクで約15分、末森城へやってきました。
1548(天文17)年に織田信秀が築城し、古渡城から移りました。
実弟織田信光が守る守山城と合わせて三河国松平氏や駿河国今川氏などの侵攻に備えた東方防御線を構成するためのものであるようです。
城主に織田勘十郎信勝(通称信行、織田信長の実弟)をあて、信秀は1551(天文20)年にこの末森城で死去したといわれています。
なお、織田信勝は1556(弘治2)年、信長に叛旗を翻すが、稲生の戦いで敗れていったんは和睦します。
1557(翌弘治3)年、再び謀反を企てたのを柴田勝家が信長に内報し、信勝は清須城で謀殺されてしまいます。
「麒麟が来る」でもそうでしたが、ドラマでは2回目の謀反(の企て)だけしか紹介してないものが多いような気がします。
それによって、信長の冷淡なイメージがつくられているように思います。
1回目の謀反の際、母親や弟の家臣の懇願によって、一度は許しているのです。
信勝没後、末森城は放置され、いつしか廃城になりました。
末森城は、東山丘陵地の末端に位置する標高43mの丘に、東西約200m、南北約160mの規模で築城された平山城です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/79/ca51eaa6f0378cbce5b54a3a8e04465f.jpg)
現在も主要通りである末盛通沿いにあり、都市公園にする計画もあるようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/a6/0ae269ee93c92a51b8e095278ae426d7.jpg)
城山八幡宮
所在地: 名古屋市千種区城山町2丁目88番地
「こんもりとした丘の上に城跡があり、現在は神社となっている」よくあるシチュエーションですが、ここは地方の集落ではなく大都市の一等地なのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/d1/8837d7e2d9c588b1a59bba8dd12ae8e3.jpg)
一の鳥居脇にある説明板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/7f/e344527de0c73873b50eab4d04e9d304.jpg)
石段を上がると、空堀跡があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/bc/cad6be94fed283cf19b2199547ab33a4.jpg)
橋を渡って堀を越えると二の鳥居、さらに石段を登ると三の鳥居です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/6f/2db957fcdd23d253d2500681016d7022.jpg)
三鳥居脇には土塁があります。
丘の上の土塁ですから展望を楽しむためのベンチが置かれていました・・・が、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/68/cbc44647c7179d4c893e69cf14985ed5.jpg)
草木が思いっきり茂っており何も見えません。
自家用車は「末盛通2」交差点をいったん北上し、西側から境内の駐車場に入ることができます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/71/b4027b3725d4e8c48075965379d5fa30.jpg)
名古屋市内には珍しく「警笛ならせ」の表示があります。
道幅細く、急坂、急カーブで見通しが悪いからですが、スピードさへ落としていれば初心者でも大丈夫でしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/01/82d685d99f6be37c91f3ed86c03b4ced.jpg)
駐車場
このあたりに本丸があったと思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/9c/13fa70d4b36c4db04712be62941d14ce.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/29/38ad78a245d1c9da84f14a2304755135.jpg)
駐車場脇に末森城址碑がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/2f/1a022c70eac4351c38297a216cce9665.jpg)
現地案内板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/24/12d69ae72ddce36313a2ed5a42c5eb93.jpg)
本丸跡に建てられた靖国神社遙拝鳥居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/50/72e4faf3f1959be494368abbf39693a0.jpg)
豊玉稲荷社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/f6/b7e3bcf74a67e6444fecd81b858a188c.jpg)
神門
駐車場と神門の間に三日月堀とよばれた堀跡があります。
肉眼で確認できるのですが、草木が生い茂り、カメラには上手く収めることができませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/d1/d6ce789d9bce93e99a63dfbf9ce8c537.jpg)
狛犬
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/9f/65a6092afe6057adb1430db59c13be08.jpg)
拝殿
この城山八幡宮は、末森城に祀られた祠跡に付近にあった復数の神社を合祀しているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/c4/046ec811895ae7f668f2ff900b338432.jpg)
手水舎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/39/dad8b170d719346db9ce95c1609f234c.jpg)
神楽殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/a1/fd389d2941a7196e88533fbfc827d091.jpg)
末社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/77/4d72abb555183d47afceb7aac96a7561.jpg)
お市の方はここで生まれた?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/cd/282012c187a1d66d65dbc19545217931.jpg)
連理木(れんりぼく)
アベマキの大木で、地上約3mの所から二幹に分かれ、6m程で再び合一して連理となり、そこから上にも枝を出しています。
連理木は一つの枝が他の枝とつらなり、木目が通じたもので、古来吉兆とされています。また、縁結び、良縁祈願、夫婦円満の御神木として信仰されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/49/de601729937863217f68d4c8330e95ac.jpg)
二の丸跡は古い建築物があるので、立ち入り禁止になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/9e/4d2d3edb9548f6bf391292a660537faf.jpg)
フェンス越しに撮影
昭和塾堂といい、愛知県が1928(昭和3)年、青年向けの社会教育に資するために建設した建物です。
1943(昭和18)年には旧日本軍により接収され、戦時中には陸軍の東海軍司令部として使用されました。
戦後は、名古屋大学医学部基礎医学系諸教室や、愛知県教育文化研究所、千種区役所仮庁舎などを経て、愛知学院大学大学院歯学部研究棟として使用されました。
現在は使われてないようですが、貴重な戦前の建築物ですので、是非とも保存していただきたいと思っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/b2/768b459dc48a4e9f2d4983ce21c25dd2.jpg)
建物中央のドームの屋根は、城山八幡宮の木々より少し高く、覚王山通より見えるのでかねてから知っていました。
しかし、日泰寺の付属施設かなとずっと思っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/0c/7498cd04cb809648943724e092a41771.jpg)
養心堂
昭和塾堂付属の武道場
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/be/161fa596566875ac8e6a1587d6dcbec5.jpg)
所要時間:35分
1548(天文17)年に織田信秀が築城し、古渡城から移りました。
実弟織田信光が守る守山城と合わせて三河国松平氏や駿河国今川氏などの侵攻に備えた東方防御線を構成するためのものであるようです。
城主に織田勘十郎信勝(通称信行、織田信長の実弟)をあて、信秀は1551(天文20)年にこの末森城で死去したといわれています。
なお、織田信勝は1556(弘治2)年、信長に叛旗を翻すが、稲生の戦いで敗れていったんは和睦します。
1557(翌弘治3)年、再び謀反を企てたのを柴田勝家が信長に内報し、信勝は清須城で謀殺されてしまいます。
「麒麟が来る」でもそうでしたが、ドラマでは2回目の謀反(の企て)だけしか紹介してないものが多いような気がします。
それによって、信長の冷淡なイメージがつくられているように思います。
1回目の謀反の際、母親や弟の家臣の懇願によって、一度は許しているのです。
信勝没後、末森城は放置され、いつしか廃城になりました。
末森城は、東山丘陵地の末端に位置する標高43mの丘に、東西約200m、南北約160mの規模で築城された平山城です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/79/ca51eaa6f0378cbce5b54a3a8e04465f.jpg)
現在も主要通りである末盛通沿いにあり、都市公園にする計画もあるようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/a6/0ae269ee93c92a51b8e095278ae426d7.jpg)
城山八幡宮
所在地: 名古屋市千種区城山町2丁目88番地
「こんもりとした丘の上に城跡があり、現在は神社となっている」よくあるシチュエーションですが、ここは地方の集落ではなく大都市の一等地なのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/d1/8837d7e2d9c588b1a59bba8dd12ae8e3.jpg)
一の鳥居脇にある説明板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/7f/e344527de0c73873b50eab4d04e9d304.jpg)
石段を上がると、空堀跡があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/bc/cad6be94fed283cf19b2199547ab33a4.jpg)
橋を渡って堀を越えると二の鳥居、さらに石段を登ると三の鳥居です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/6f/2db957fcdd23d253d2500681016d7022.jpg)
三鳥居脇には土塁があります。
丘の上の土塁ですから展望を楽しむためのベンチが置かれていました・・・が、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/68/cbc44647c7179d4c893e69cf14985ed5.jpg)
草木が思いっきり茂っており何も見えません。
自家用車は「末盛通2」交差点をいったん北上し、西側から境内の駐車場に入ることができます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/71/b4027b3725d4e8c48075965379d5fa30.jpg)
名古屋市内には珍しく「警笛ならせ」の表示があります。
道幅細く、急坂、急カーブで見通しが悪いからですが、スピードさへ落としていれば初心者でも大丈夫でしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/01/82d685d99f6be37c91f3ed86c03b4ced.jpg)
駐車場
このあたりに本丸があったと思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/9c/13fa70d4b36c4db04712be62941d14ce.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/29/38ad78a245d1c9da84f14a2304755135.jpg)
駐車場脇に末森城址碑がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/2f/1a022c70eac4351c38297a216cce9665.jpg)
現地案内板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/24/12d69ae72ddce36313a2ed5a42c5eb93.jpg)
本丸跡に建てられた靖国神社遙拝鳥居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/50/72e4faf3f1959be494368abbf39693a0.jpg)
豊玉稲荷社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/f6/b7e3bcf74a67e6444fecd81b858a188c.jpg)
神門
駐車場と神門の間に三日月堀とよばれた堀跡があります。
肉眼で確認できるのですが、草木が生い茂り、カメラには上手く収めることができませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/d1/d6ce789d9bce93e99a63dfbf9ce8c537.jpg)
狛犬
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/9f/65a6092afe6057adb1430db59c13be08.jpg)
拝殿
この城山八幡宮は、末森城に祀られた祠跡に付近にあった復数の神社を合祀しているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/c4/046ec811895ae7f668f2ff900b338432.jpg)
手水舎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/39/dad8b170d719346db9ce95c1609f234c.jpg)
神楽殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/a1/fd389d2941a7196e88533fbfc827d091.jpg)
末社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/77/4d72abb555183d47afceb7aac96a7561.jpg)
お市の方はここで生まれた?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/cd/282012c187a1d66d65dbc19545217931.jpg)
連理木(れんりぼく)
アベマキの大木で、地上約3mの所から二幹に分かれ、6m程で再び合一して連理となり、そこから上にも枝を出しています。
連理木は一つの枝が他の枝とつらなり、木目が通じたもので、古来吉兆とされています。また、縁結び、良縁祈願、夫婦円満の御神木として信仰されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/49/de601729937863217f68d4c8330e95ac.jpg)
二の丸跡は古い建築物があるので、立ち入り禁止になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/9e/4d2d3edb9548f6bf391292a660537faf.jpg)
フェンス越しに撮影
昭和塾堂といい、愛知県が1928(昭和3)年、青年向けの社会教育に資するために建設した建物です。
1943(昭和18)年には旧日本軍により接収され、戦時中には陸軍の東海軍司令部として使用されました。
戦後は、名古屋大学医学部基礎医学系諸教室や、愛知県教育文化研究所、千種区役所仮庁舎などを経て、愛知学院大学大学院歯学部研究棟として使用されました。
現在は使われてないようですが、貴重な戦前の建築物ですので、是非とも保存していただきたいと思っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/b2/768b459dc48a4e9f2d4983ce21c25dd2.jpg)
建物中央のドームの屋根は、城山八幡宮の木々より少し高く、覚王山通より見えるのでかねてから知っていました。
しかし、日泰寺の付属施設かなとずっと思っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/0c/7498cd04cb809648943724e092a41771.jpg)
養心堂
昭和塾堂付属の武道場
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所要時間:35分