遠いようで、近いようなそうゆう位置から、雷鳴。雷鳴がまだ明るい状態で聞こえるの
はなかなかない。すでに暗くなって聞こえるのが普通。で明るいまま積乱雲は、少し前から
見えていたか、はっきり記憶になく、雷鳴が聞こえて、そしてふと窓から外を見ると、さほどでもない
積乱雲が発達して、消えかかる感じがあった。ラジオによると、どこどこで土砂降り。こうゆうのがある
と、わかりやすいが、しかしそこがどこか正確にはつかめない。大体、学生さんの帰宅があって、
夕刻がある。それから、勤めの方の帰宅があって、その他もろもろ、時間とともに複雑怪奇な
人の動きがあるようだが、そうゆう経験ももちろんあった。こんなことは、遠い昔の出来事で、
それにしても夜中まで、よくウロウロとしていたと感心する。そうゆう話しではなかった。
珍しく、お昼前のTVニュースの天気予報の雨情報は当たったようで、これだとすでにTVの
画面の前にいられない方は、この予報はわからないだろう。それで、そうゆうことはないこと
はない。山間部はもう8月が近いから、雷などが落ちる、接近するのは当たり前だとか、体験してい
る。そこに育った方の観天望気がある。で、何とかは忘れてもいいが、傘は忘れるなとかい
う。で、今は学校にもよるが、夏休みか。それでも皆さん、学校へと出かける。列車、電車、そ
うゆう公共交通網を利用しているが大雨にあって、電車が気動車が止まったとなると、これは
大変だ。きっと自分がそうゆう立場ならそう思う。
例えば健康で、2、3時間くらいなら歩いても帰れるよとかいう人でも、雨の中は大変だろ
う。そうゆう時間の体験をしないといけない、いまの天候の不幸を思うが、これもたしかに
今の時代に特有かも知れない。
忘れたというので、最近のあれあれと思うのは、母の医療保険証をかばんに入れて、入れた
ままというのがある。これがカバンから出てきてよかった。結構緊張して、出かける前に確認
し、しかし用事が済むとボケっとして、確認すべきことをしないで、そのままになったりも
する。まだ、父が生きていたころは、母と父との両方の医療保険証、父の介護保険証を持って
いたときがあるが、父の場合はッもう入院してからは、そうしてそこから帰って来ることは
なかったが、さほどがたがたすることはなかったようだ。その点、母の場合はありがたいこと
にまだ半分くらいは元気で、でももう半分は何ともいいがたいが、その医療保険証は結構あちこ
ちで必要になる。こうゆう大切なものも、慣れもあるがあー済んだという安心感で、ボッとして
そのままということがあった。自分で驚いた。なんてことをという感じだ。今度病院にゆくと
き、いつも入れてある病院関係のファイルの中に、その保険証がないと大いに慌てたことだろ
う。それが幸い、いつも使っている、バッグだからよかった。でもふだんはちゃんとすべて、
出したものは元にしまうということを、確認するのだがそれをしなかった。暑い、たしかに
それで緊張もし、たしかに不快指数も上がるが、冷静さを失ってはいけない。
そう思うというのは、やっぱり冷静さを失うことがあるということだろう。そういえば、
毎日がそうゆう日かも知れず、これは繰り返しになった。
暑くて、外歩きもしない、出来ない。用事も朝早くなるべく済ませてとなると、カメさん
の出番もない。狭いところで、毎度の同じようなところで、花とか虫とかを撮っている。それ
も、出来ないというかやめた方がいい天候。落穂ひろい。
誰でも知っていて、私もこの花だとか合点したものだが、なんだか
わからない。同じように見えるものもあるようだ。
アガパンサスも終わってしまった。名残のアガパンサス。
田んぼ、水稲、イネの様子。それほど古くなく、今のイネの状態を現わ
していると思う。
何でも撮っておこうということでやっている。なんだか黄色い、それか
ら菊の感じ、というところまでわかるが。
ミソハギの花、というのはどこにでもといっていい感じで、特にこの
辺りではある。
秋風が吹けば、ススキであるというのがわかると思う、今の状態。
センニチコウ。
センニチコウに寄ってみる。この花もマクロでぼけやすい。
ヒャクニチソウがある。それで、サルスベリ(百日紅)がある。センニチ
ソウはどうか。