相当暑いようだ。
キカラスウリの花を一箇所だけ咲いているのを見ている、それで、まずはそこへと出かけ
るというか歩いた。ちょっと最初だけ方向を変えると、先にそこにゆくことが出来る。つまり方向
に関係なくゆけるが、逆戻りをするのが嫌で、最初のそのキカラスウリの花、まだ咲いているか
な、を探した。
探すとあって、これももう干乾びる感じもした。さらに、ちょうど日が当たる。だからどうす
るか、一番いいのは、望遠側で撮ることで、マクロと比べて大して差はない。マクロだとカメさ
んの影が出来てしまう。よくどうしたらいいか考えるがこの場合はすんなりといった。でもマクロ
でも、枯れ葉をレンズの胴体で、どける感じで撮ったりもした。この花がもう少し小さいと、
マクロを使わないといけない。結局、マクロでどう撮るかはいつも考えておかないといけない
ことだ。
キカラスウリの花は意外に大きいから、望遠側のマクロで、程ほどのものが撮れたが、これ
は新鮮味はない。刺身の繊切りダイコンに比較して、100倍くらい鮮度は落ちる。でも場所がいつ
でも日が当たるというところではなく、それで長持ちしていると思う。お寺のものは、まだ咲き
そうにないか咲かないのかもとも思ったりもする。キカラスウリ一つで大変である。
大して長い付き合いではない。このブログを初めてそれから偶然というか、それ以外にな
いが、あのダイコンの繊切りのような花を見て、最初に見たものはものすごく新鮮で、そこにウリ
ハムシもさらにスカシバの大きなものもいたような気がするが、そのものに、ウリハムシとか、
スカシバとかである、巡り会うよりこのキカラスウリの花に巡り会えたのが嬉しかった。
このような奇妙な花があるのだね。真っ白なダイコンの繊切りの花。新鮮で、それからやっ
ぱり影の問題があって、写したものの出来具合はよくはなかった。でも一番きれいなキカラスウリ
の花だと後から思って、この印象は変わることはない。
後は実が出来て、それが木にぶら下がるという単純さが面白い、色も変わる。段々と茶色くな
って、あるときは年を越してまだそのキカラスウリの実はぶら下がっていた。いつの日にかは
落ちるだろうが、そのいつまでもぶら下がる実の様子も単純で明快であった。そうゆうものも
ある日、ばっさりと剥ぎ取られるがごとくなくなってしまう。あまり他に影響はないとか思う
のだが。何かがいけないのか。
ここのいえにはなぜかカラスウリはあるようで、花も咲くのだろうが草深く、そこまでいけ
ない。いつもあるというのを思うのは実が出来てから、きっと花は夕方に咲いて、朝に閉じる。
それが朝開いて、昼に閉じてもそれを見るというわけにはいかない。カラスウリは多いかも知れ
ない。で、大概赤い実を見てカラスウリだと思う。それでおしまいである。実の状態というか、
シワシワ状態にはならないようだから、そうゆう意味でもカラスウリはあっさりとしている。
キカラスウリの花、元気はないが、をしょうしょう、他にノリウツギの今も。
これはお寺のキカラスウリと思われる、花の咲きそうなところだが、ま
だ全然気配はない。去年はいつに咲いていたかな。
側溝というか、小さな用水というか、どぶとかもいえそうだが、そうゆ
う方へと葉っぱは伸びて、花は咲く。カラカラの花。
マクロでと思って、まずは影が写った。
中央のは楽だ。これは問題なく、切り出している。
左側のもの。手前にある枯れ草とか邪魔で、それにやっぱり影が出来そう。
望遠側を使ってみる。影の問題など全然なし。一応マクロにして近付け
ている。さらに、これも切り出した。
いい花だと、まずは白いし、それからもっとモジャモジャしているし、
水気も多そうで、繊切りダイコンなのである。
他に、ノリウツギ。
花が終わって出来ている実は色は違うが、ヤブデマリのそれに似る。
ノリウツギで、アジサイのようで、ヤブデマリに似る。
なぜかネコの子供、仔猫である。どうしてこうなってしまったか。
キカラスウリの花を一箇所だけ咲いているのを見ている、それで、まずはそこへと出かけ
るというか歩いた。ちょっと最初だけ方向を変えると、先にそこにゆくことが出来る。つまり方向
に関係なくゆけるが、逆戻りをするのが嫌で、最初のそのキカラスウリの花、まだ咲いているか
な、を探した。
探すとあって、これももう干乾びる感じもした。さらに、ちょうど日が当たる。だからどうす
るか、一番いいのは、望遠側で撮ることで、マクロと比べて大して差はない。マクロだとカメさ
んの影が出来てしまう。よくどうしたらいいか考えるがこの場合はすんなりといった。でもマクロ
でも、枯れ葉をレンズの胴体で、どける感じで撮ったりもした。この花がもう少し小さいと、
マクロを使わないといけない。結局、マクロでどう撮るかはいつも考えておかないといけない
ことだ。
キカラスウリの花は意外に大きいから、望遠側のマクロで、程ほどのものが撮れたが、これ
は新鮮味はない。刺身の繊切りダイコンに比較して、100倍くらい鮮度は落ちる。でも場所がいつ
でも日が当たるというところではなく、それで長持ちしていると思う。お寺のものは、まだ咲き
そうにないか咲かないのかもとも思ったりもする。キカラスウリ一つで大変である。
大して長い付き合いではない。このブログを初めてそれから偶然というか、それ以外にな
いが、あのダイコンの繊切りのような花を見て、最初に見たものはものすごく新鮮で、そこにウリ
ハムシもさらにスカシバの大きなものもいたような気がするが、そのものに、ウリハムシとか、
スカシバとかである、巡り会うよりこのキカラスウリの花に巡り会えたのが嬉しかった。
このような奇妙な花があるのだね。真っ白なダイコンの繊切りの花。新鮮で、それからやっ
ぱり影の問題があって、写したものの出来具合はよくはなかった。でも一番きれいなキカラスウリ
の花だと後から思って、この印象は変わることはない。
後は実が出来て、それが木にぶら下がるという単純さが面白い、色も変わる。段々と茶色くな
って、あるときは年を越してまだそのキカラスウリの実はぶら下がっていた。いつの日にかは
落ちるだろうが、そのいつまでもぶら下がる実の様子も単純で明快であった。そうゆうものも
ある日、ばっさりと剥ぎ取られるがごとくなくなってしまう。あまり他に影響はないとか思う
のだが。何かがいけないのか。
ここのいえにはなぜかカラスウリはあるようで、花も咲くのだろうが草深く、そこまでいけ
ない。いつもあるというのを思うのは実が出来てから、きっと花は夕方に咲いて、朝に閉じる。
それが朝開いて、昼に閉じてもそれを見るというわけにはいかない。カラスウリは多いかも知れ
ない。で、大概赤い実を見てカラスウリだと思う。それでおしまいである。実の状態というか、
シワシワ状態にはならないようだから、そうゆう意味でもカラスウリはあっさりとしている。
キカラスウリの花、元気はないが、をしょうしょう、他にノリウツギの今も。
これはお寺のキカラスウリと思われる、花の咲きそうなところだが、ま
だ全然気配はない。去年はいつに咲いていたかな。
側溝というか、小さな用水というか、どぶとかもいえそうだが、そうゆ
う方へと葉っぱは伸びて、花は咲く。カラカラの花。
マクロでと思って、まずは影が写った。
中央のは楽だ。これは問題なく、切り出している。
左側のもの。手前にある枯れ草とか邪魔で、それにやっぱり影が出来そう。
望遠側を使ってみる。影の問題など全然なし。一応マクロにして近付け
ている。さらに、これも切り出した。
いい花だと、まずは白いし、それからもっとモジャモジャしているし、
水気も多そうで、繊切りダイコンなのである。
他に、ノリウツギ。
花が終わって出来ている実は色は違うが、ヤブデマリのそれに似る。
ノリウツギで、アジサイのようで、ヤブデマリに似る。
なぜかネコの子供、仔猫である。どうしてこうなってしまったか。