光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

ルドベキアのベニシジミ

2010-07-31 18:33:26 | 植物・花(夏)
  暑い一日。それで実際に暑いし、体に不都合なことも多い。頭も痛くなる。頭が痛く
なることも多い。
  それで思うのは、暑いという困難よりも、暑いからこうなるのではないかという不安の方
がどんどんと成長しているということ。これが始まるとどうしようもない。そうゆう風にして
暮らしてきて、突然暑くなったわけでもない。暑かったって何もしないでいいということ
もない。多少は我慢をして、不必要な不安も除くことが必要だろう。そう思う。

  で、あまりいい気分でもないが、一応いつもの歩く時間に外に出て、それまでもなんど
も出ていたが、この暑さはまずは普通で、それでも書いているように、緊張感はあるもので
ある。不安も多いに成長する。これが自分の90%くらいを占めているようだ。でも残りの10%
で、鈍感さというのがある。これを頼りに、多少は歩けるだろう。情けない話しを書いて
いる。
  それで、今日は土曜日で、学校は休みで、そういえばもう夏休みででも中学生にも休み
はないらしく、もう野球のユニフォームに着替えた、まだちょっと小柄と思える、中学生が
か、猛スピードで自転車を転がしていて、一瞬その元気さにあきれ返り、もう一瞬で危な
く、衝突しそう
  な感じがあって、若い人あるいは、まだ子供のようでもあるその、紙一重の危なさという
ものも感じたのだが、何ごともなかったし、衝突の可能性も後から考えると低かったよう
だ。要するに、そのもしかしたら小学生のスポーツサークルかも知れないものに通う子供の、
あるいは中学生の勢いというものも少しは見習わないといけないなと思い、それから遠い
昔の自分もあのように元気はあったかどうか、考えてみるがこれはあまりに意味はないの
で、もうすぐ止めた。

  勢いで出かけて、その後は調子が出ればいい。でも、そうでないことも考えられる。今日
は、まだ暑さに慣れている訳でなく、もう十分に熱中症なる、その他の病について注意を
払う年齢である。自分のやっていることが果たしてこれでいいのか、ずっと歩きながら考えて
いたようで実はやはり恐怖感が先に出て、極々短い距離を歩いて、それで終わってしまった。
この先、まだまだ暑い夏が続くが、いろいろ困難なこともあるのだがせいぜい、そうは緊張
せずにあるときは気休めに、歩いて暑いななど思えたら、いいのではないか。
  そのためには多少なりとも、そとの空気に触れるということが必要なようだ。それにして
も少し神経質になり過ぎている。体の方は実際のところどうなのか、これもわからないもの
だが。

  ヒマワリは、これは2度くらい出しているか、背は高いが茎は細めのもの。これは空中で
フラフラと風に揺れる。この花の色の似たものが、ルドベキアの今で、もともとよく似た色
だ。ただ背の高さ、花の大きさは違いすぎるが。そのルドベキアをなぜというのは、その花に
ベニシジミがいたからで、よくいてくれたと思う。「チョウよ、花よ」とかいうらしいが、
ルドベキアのベニシジミは、大きさからいって、ベニシジミがルドベキアになった、という
べきだろうか。うまく、ベニシジミがルドベキアの花に溶け込んで。チョウが花になった
とか思えるもの。




  ひょろひょろとしたヒマワリ。これは順光だと思うが、プラス補正を
  すべきだった。




  背だけ高くて、今ひとつヒマワリの元気は伝わらない。




  花の色がもう少し出ないか。




  もう一度撮ったものがあって、これは補正があったが、少しだけ花その
  ものの色に近付いたか。




  いつものルドベキア。今度は下を見ないと。そこにベニシジミがいたの
  を見逃さなかった。




  まー正直なところ、なかなかどうゆう風に写っているかはわからない
  ものである。
  でも、これを見るとベニシジミはルドベキアの花の一部になってしま
  った。それから花の色でいうと、ヒマワリに似ている。




  ルドベキアの花は新しく、ベニシジミは、色も薄く、老化している。




  ルドベキアの花と一体になったベニシジミだと思う瞬間がここにある。


  

雲の地平に沈むような夕日

2010-07-31 15:56:51 | 散策
  相変わらず、暑い日の一日に戻った。
  湿気がひどいし、気温も34℃くらいまで上がったようだ。
  で、雲が多いというのが少しだけ救われる。
  今頃になって、西からの風が強いがこの風が
  うまく入れば涼しさを味わえる、そのときだけだが。

  夕日、夕日のいいもの悪いものもないと思うけれど、
  今回のは、地平辺りの視界がよくなく、あたかもそこに
  地平、地平線がないような、まるで雲に沈むような
  感じの夕日。もちろんそこを無理に明るくすると、
  地平の建物なども見えてくるが。
  それをやらないと若干だが幻想的。



 
  夕日そのものもきれいで、夕焼けもきれいで、雲ももちろんきれい。




  その二。




  その三。




  その四。いずれも地平辺りが暗く、そこに雲があるようで、また視界は
  実際に悪いようだ。
  これには、工場のストロボ・ライトは写っているが。




  その五。




  その六。




  その七。TVアンテナが一部、薄っすらと写っている。
  少しだけ、不思議で、幻想的かも。



いつもの、まぶしい朝が戻る

2010-07-31 06:33:22 | 散策


  富山駅の北口にある、ガラス工芸品の展示物。
  三つの展示用ケースがあるようで、これが最後。
  一番明るい感じがあって、これはそのまま絵になりそうな。


  朝のお天気は、晴れ。きのうの宵の時間、それから真夜中も曇っていたと思う
が、朝は晴れ。南の風が少し強く、これが入ってくるから程ほどに涼しい。朝は
いつもの生き物の鳴き声で、賑やか。今日から、また35℃という日が続くと思うと、
なんだか朝から元気はない。

  アメダスの6時の気温、26.8℃。気圧は1007.1hPa、湿度は83%。南西の風が3m
とある。この風はたしかにあって、適度に涼しい。今のところ。それから室温は、
27.5℃。

  よく年齢によって、疲労というのは2日後とかに出るという。私の場合はその
日も出て、翌日も出て、また二日後にも出た。グターとなってしまった、気力なく
ただただ布団で横になって目を閉じているだけ。それでも眠気は来ないがかなり
楽だ。一体どれだけ体が弱っていくのか、末恐ろしいものがあるが、何しろ今の
時間というのは誰も体験したことがない、からどうしようもない。長く生きていれ
ば、ものすごく疲れる、そうゆう時間もあるだろう。それを恐れてもしょうがない。
恐れるものは他にありそうだ。それが何だというのが、自分自身だったり。

  朝が来た。いつもの朝だ。雨が降らないと、セミの鳴き声も早い。薄暗いとき
から鳴く。ツクツクボウシも鳴くし、ヒグラシも鳴く。アブラセミも鳴く。
  鳥だと、早いのはモズだ。モズの雛鳥がいるのはわかっていて、もう大人と
変わらないが、でも親鳥は鳴くのだろう。他に、カラスの鳴き声、これはドスの
きいた声。カッコウもなく。今日は珍しく、トビも鳴いている。なんだか悲しそう
な鳴き声である。どこにいるのか、起きた時間も鳴いているので探すと電信柱に
いる。双眼鏡を持って、見ようとすると飛び立った。大きな羽に白いようなまだら
があった。成鳥は、そうゆうのはないようだ。しかし、トビは大きく、幼鳥かど
うか不明。もっとたくさんの音、鳴き声がしていたが、
  思い出すのはこれくらい。