暑い一日。それで実際に暑いし、体に不都合なことも多い。頭も痛くなる。頭が痛く
なることも多い。
それで思うのは、暑いという困難よりも、暑いからこうなるのではないかという不安の方
がどんどんと成長しているということ。これが始まるとどうしようもない。そうゆう風にして
暮らしてきて、突然暑くなったわけでもない。暑かったって何もしないでいいということ
もない。多少は我慢をして、不必要な不安も除くことが必要だろう。そう思う。
で、あまりいい気分でもないが、一応いつもの歩く時間に外に出て、それまでもなんど
も出ていたが、この暑さはまずは普通で、それでも書いているように、緊張感はあるもので
ある。不安も多いに成長する。これが自分の90%くらいを占めているようだ。でも残りの10%
で、鈍感さというのがある。これを頼りに、多少は歩けるだろう。情けない話しを書いて
いる。
それで、今日は土曜日で、学校は休みで、そういえばもう夏休みででも中学生にも休み
はないらしく、もう野球のユニフォームに着替えた、まだちょっと小柄と思える、中学生が
か、猛スピードで自転車を転がしていて、一瞬その元気さにあきれ返り、もう一瞬で危な
く、衝突しそう
な感じがあって、若い人あるいは、まだ子供のようでもあるその、紙一重の危なさという
ものも感じたのだが、何ごともなかったし、衝突の可能性も後から考えると低かったよう
だ。要するに、そのもしかしたら小学生のスポーツサークルかも知れないものに通う子供の、
あるいは中学生の勢いというものも少しは見習わないといけないなと思い、それから遠い
昔の自分もあのように元気はあったかどうか、考えてみるがこれはあまりに意味はないの
で、もうすぐ止めた。
勢いで出かけて、その後は調子が出ればいい。でも、そうでないことも考えられる。今日
は、まだ暑さに慣れている訳でなく、もう十分に熱中症なる、その他の病について注意を
払う年齢である。自分のやっていることが果たしてこれでいいのか、ずっと歩きながら考えて
いたようで実はやはり恐怖感が先に出て、極々短い距離を歩いて、それで終わってしまった。
この先、まだまだ暑い夏が続くが、いろいろ困難なこともあるのだがせいぜい、そうは緊張
せずにあるときは気休めに、歩いて暑いななど思えたら、いいのではないか。
そのためには多少なりとも、そとの空気に触れるということが必要なようだ。それにして
も少し神経質になり過ぎている。体の方は実際のところどうなのか、これもわからないもの
だが。
ヒマワリは、これは2度くらい出しているか、背は高いが茎は細めのもの。これは空中で
フラフラと風に揺れる。この花の色の似たものが、ルドベキアの今で、もともとよく似た色
だ。ただ背の高さ、花の大きさは違いすぎるが。そのルドベキアをなぜというのは、その花に
ベニシジミがいたからで、よくいてくれたと思う。「チョウよ、花よ」とかいうらしいが、
ルドベキアのベニシジミは、大きさからいって、ベニシジミがルドベキアになった、という
べきだろうか。うまく、ベニシジミがルドベキアの花に溶け込んで。チョウが花になった
とか思えるもの。
ひょろひょろとしたヒマワリ。これは順光だと思うが、プラス補正を
すべきだった。
背だけ高くて、今ひとつヒマワリの元気は伝わらない。
花の色がもう少し出ないか。
もう一度撮ったものがあって、これは補正があったが、少しだけ花その
ものの色に近付いたか。
いつものルドベキア。今度は下を見ないと。そこにベニシジミがいたの
を見逃さなかった。
まー正直なところ、なかなかどうゆう風に写っているかはわからない
ものである。
でも、これを見るとベニシジミはルドベキアの花の一部になってしま
った。それから花の色でいうと、ヒマワリに似ている。
ルドベキアの花は新しく、ベニシジミは、色も薄く、老化している。
ルドベキアの花と一体になったベニシジミだと思う瞬間がここにある。
なることも多い。
それで思うのは、暑いという困難よりも、暑いからこうなるのではないかという不安の方
がどんどんと成長しているということ。これが始まるとどうしようもない。そうゆう風にして
暮らしてきて、突然暑くなったわけでもない。暑かったって何もしないでいいということ
もない。多少は我慢をして、不必要な不安も除くことが必要だろう。そう思う。
で、あまりいい気分でもないが、一応いつもの歩く時間に外に出て、それまでもなんど
も出ていたが、この暑さはまずは普通で、それでも書いているように、緊張感はあるもので
ある。不安も多いに成長する。これが自分の90%くらいを占めているようだ。でも残りの10%
で、鈍感さというのがある。これを頼りに、多少は歩けるだろう。情けない話しを書いて
いる。
それで、今日は土曜日で、学校は休みで、そういえばもう夏休みででも中学生にも休み
はないらしく、もう野球のユニフォームに着替えた、まだちょっと小柄と思える、中学生が
か、猛スピードで自転車を転がしていて、一瞬その元気さにあきれ返り、もう一瞬で危な
く、衝突しそう
な感じがあって、若い人あるいは、まだ子供のようでもあるその、紙一重の危なさという
ものも感じたのだが、何ごともなかったし、衝突の可能性も後から考えると低かったよう
だ。要するに、そのもしかしたら小学生のスポーツサークルかも知れないものに通う子供の、
あるいは中学生の勢いというものも少しは見習わないといけないなと思い、それから遠い
昔の自分もあのように元気はあったかどうか、考えてみるがこれはあまりに意味はないの
で、もうすぐ止めた。
勢いで出かけて、その後は調子が出ればいい。でも、そうでないことも考えられる。今日
は、まだ暑さに慣れている訳でなく、もう十分に熱中症なる、その他の病について注意を
払う年齢である。自分のやっていることが果たしてこれでいいのか、ずっと歩きながら考えて
いたようで実はやはり恐怖感が先に出て、極々短い距離を歩いて、それで終わってしまった。
この先、まだまだ暑い夏が続くが、いろいろ困難なこともあるのだがせいぜい、そうは緊張
せずにあるときは気休めに、歩いて暑いななど思えたら、いいのではないか。
そのためには多少なりとも、そとの空気に触れるということが必要なようだ。それにして
も少し神経質になり過ぎている。体の方は実際のところどうなのか、これもわからないもの
だが。
ヒマワリは、これは2度くらい出しているか、背は高いが茎は細めのもの。これは空中で
フラフラと風に揺れる。この花の色の似たものが、ルドベキアの今で、もともとよく似た色
だ。ただ背の高さ、花の大きさは違いすぎるが。そのルドベキアをなぜというのは、その花に
ベニシジミがいたからで、よくいてくれたと思う。「チョウよ、花よ」とかいうらしいが、
ルドベキアのベニシジミは、大きさからいって、ベニシジミがルドベキアになった、という
べきだろうか。うまく、ベニシジミがルドベキアの花に溶け込んで。チョウが花になった
とか思えるもの。
ひょろひょろとしたヒマワリ。これは順光だと思うが、プラス補正を
すべきだった。
背だけ高くて、今ひとつヒマワリの元気は伝わらない。
花の色がもう少し出ないか。
もう一度撮ったものがあって、これは補正があったが、少しだけ花その
ものの色に近付いたか。
いつものルドベキア。今度は下を見ないと。そこにベニシジミがいたの
を見逃さなかった。
まー正直なところ、なかなかどうゆう風に写っているかはわからない
ものである。
でも、これを見るとベニシジミはルドベキアの花の一部になってしま
った。それから花の色でいうと、ヒマワリに似ている。
ルドベキアの花は新しく、ベニシジミは、色も薄く、老化している。
ルドベキアの花と一体になったベニシジミだと思う瞬間がここにある。