雨はさほど強くなかったが、夕方からまた本格的に降り始める。これだけよく降る、梅雨の
経験というのも、あるのかないのか、おそらくあるのだろう。まったく雨の降らない、快晴の続く
お天気という記憶はあるが、雨が降りっぱなしというものは、これは悲しいからか、虚しいから
か、思い出したくもないからか、すぐには出てこない。大体、雨が降らない、だから花にも雑草
にも勢いがない、せめてスズメの涙程度の雨が欲しい。恐らく、そうゆう感じで、書いている
文章は多く、雨よなぜ降り続ける、とかいうのはあまりない。これが雪だと去年から今年の大雪
があって、これには泣いた、というか泣かされたというか、なにしろぐちゃぐちゃになってし
まった。そうゆう、脳みその構造が出来たようだ。それで、2005年の終りの冬から、2006年の始ま
りの冬にかけても、つまり2005年の暮れから、2006年の春ころまでも大雪が降って、それで、その
大雪がどうにか片付いたというか、おさまったころにこのブログを始めていて、そうゆう意味で
は大雪と関係も深いものだという気がする。大雪がなかったら、やってなかったかも知れない。
まーどのようににも昔のことだから、解釈は出来る。ブログね、なんでこうなってしまったのか。
その理由もあるはずだが。
雨であって、ことしの梅雨は陽性で、それで大きな被害が出ていないというだけでありが
たいと思わないといけないだろう。大雪で、どうにか持ちこたえたが、明らかに前年度、それより
もまた一年前とも違いのはっきりした、大雪だった。今年の暮れのことを思うことはないが、また
大雪だとこれはどうしたものだろうか。先のことを考えると、今の鬱陶しいものを忘れること
も出来そうである。どっちにしても、老いの坂を転がり落ちる、その虚しさはあるが、限界とい
うものを感じ去るを得ない、この頃である。
雨はさほどひどくないが、まーよく降るし、考えるだけで鬱陶しい。この辺りが、これから
夏休みとかの小学生の皆さんとは違うところで、それにしてもあめも楽しいのが、大体小学生の
前半だろうか。これが、四年生になるとすると雨が降ればどこが儲かるかそうゆう考えをするよう
になる。雨が商売になる。そうゆうことも思うのではないか。それで、雨が降れば傘を差しランド
セルに黄色い安全カバーを付ける。こうして小学生の皆さんの安全が保たれる。雨が降ろうが、
槍が降ろうが、それでも楽しいのが小学三年生くらいまでだと、これは大変だな。鼻たれていた、と
いうことはなかったが、将来の不安というものも、長く感じたことはなかった。それゆえか、
かなり早くから、その不安を感じる人生へと方向転換を余儀なくされた。って、ここで書くこ
とではないですね。
雨が降っても降らなくても、それで今日はもしかしたら少し肌寒さがあった。それで、思いは
さほどないが、いつもと違う道を歩けば、夏の花、ノウゼンカズラが咲いているのは当然だが、
その花がこの大雨でみちに少し無残に落ちている。ノウゼンカズラの花が落ちるのは早すぎない
か。というのもいつだったか、よくゆくお寺のそれを見ていて、花は少ないというかまだ咲か
ないという程度であった。通わざるを得ない道があって、それでその道にもノウゼンカズラは
あった。それで咲いているなと思う。さらにもう少し赤い、リンゴの赤さのノウゼンカズラは、
もう少し前に、昔にもう咲いていた。で、今日の雨の歩いていたとき、あたかも初めて今日ノウゼン
カズラを見たと思う、そうゆう感じになったのはなぜだろうか。
雨の中、歩いていて、それぞれまた小さなチョウ、小さな花、これはネジバナ、なども見え始め
た。まー途中ざっと来たから靴の中は浸水したが、まずは程ほどの雨の中の散歩だった。
豪雨ではないが、雨のアジサイは少しだけ元気を取り戻した。
ヒメヒオウギズイセン。色具合が雨だからか、少しおかしい。
アスターの花でしょうか。
蔓性の花だから、ノウゼンカズラも道々の前まで、倒れるようにあった。
これは一眼で撮っていたときが多かったが、まー一眼の出番のないこと。
色具合だと、ちょっと赤味が強いかどうか。
蕾も多い。
なんだかわからない、というものもいいようである。
同じような色の花だとか思って、赤いノウゼンカズラは、この色に似る。
経験というのも、あるのかないのか、おそらくあるのだろう。まったく雨の降らない、快晴の続く
お天気という記憶はあるが、雨が降りっぱなしというものは、これは悲しいからか、虚しいから
か、思い出したくもないからか、すぐには出てこない。大体、雨が降らない、だから花にも雑草
にも勢いがない、せめてスズメの涙程度の雨が欲しい。恐らく、そうゆう感じで、書いている
文章は多く、雨よなぜ降り続ける、とかいうのはあまりない。これが雪だと去年から今年の大雪
があって、これには泣いた、というか泣かされたというか、なにしろぐちゃぐちゃになってし
まった。そうゆう、脳みその構造が出来たようだ。それで、2005年の終りの冬から、2006年の始ま
りの冬にかけても、つまり2005年の暮れから、2006年の春ころまでも大雪が降って、それで、その
大雪がどうにか片付いたというか、おさまったころにこのブログを始めていて、そうゆう意味で
は大雪と関係も深いものだという気がする。大雪がなかったら、やってなかったかも知れない。
まーどのようににも昔のことだから、解釈は出来る。ブログね、なんでこうなってしまったのか。
その理由もあるはずだが。
雨であって、ことしの梅雨は陽性で、それで大きな被害が出ていないというだけでありが
たいと思わないといけないだろう。大雪で、どうにか持ちこたえたが、明らかに前年度、それより
もまた一年前とも違いのはっきりした、大雪だった。今年の暮れのことを思うことはないが、また
大雪だとこれはどうしたものだろうか。先のことを考えると、今の鬱陶しいものを忘れること
も出来そうである。どっちにしても、老いの坂を転がり落ちる、その虚しさはあるが、限界とい
うものを感じ去るを得ない、この頃である。
雨はさほどひどくないが、まーよく降るし、考えるだけで鬱陶しい。この辺りが、これから
夏休みとかの小学生の皆さんとは違うところで、それにしてもあめも楽しいのが、大体小学生の
前半だろうか。これが、四年生になるとすると雨が降ればどこが儲かるかそうゆう考えをするよう
になる。雨が商売になる。そうゆうことも思うのではないか。それで、雨が降れば傘を差しランド
セルに黄色い安全カバーを付ける。こうして小学生の皆さんの安全が保たれる。雨が降ろうが、
槍が降ろうが、それでも楽しいのが小学三年生くらいまでだと、これは大変だな。鼻たれていた、と
いうことはなかったが、将来の不安というものも、長く感じたことはなかった。それゆえか、
かなり早くから、その不安を感じる人生へと方向転換を余儀なくされた。って、ここで書くこ
とではないですね。
雨が降っても降らなくても、それで今日はもしかしたら少し肌寒さがあった。それで、思いは
さほどないが、いつもと違う道を歩けば、夏の花、ノウゼンカズラが咲いているのは当然だが、
その花がこの大雨でみちに少し無残に落ちている。ノウゼンカズラの花が落ちるのは早すぎない
か。というのもいつだったか、よくゆくお寺のそれを見ていて、花は少ないというかまだ咲か
ないという程度であった。通わざるを得ない道があって、それでその道にもノウゼンカズラは
あった。それで咲いているなと思う。さらにもう少し赤い、リンゴの赤さのノウゼンカズラは、
もう少し前に、昔にもう咲いていた。で、今日の雨の歩いていたとき、あたかも初めて今日ノウゼン
カズラを見たと思う、そうゆう感じになったのはなぜだろうか。
雨の中、歩いていて、それぞれまた小さなチョウ、小さな花、これはネジバナ、なども見え始め
た。まー途中ざっと来たから靴の中は浸水したが、まずは程ほどの雨の中の散歩だった。
豪雨ではないが、雨のアジサイは少しだけ元気を取り戻した。
ヒメヒオウギズイセン。色具合が雨だからか、少しおかしい。
アスターの花でしょうか。
蔓性の花だから、ノウゼンカズラも道々の前まで、倒れるようにあった。
これは一眼で撮っていたときが多かったが、まー一眼の出番のないこと。
色具合だと、ちょっと赤味が強いかどうか。
蕾も多い。
なんだかわからない、というものもいいようである。
同じような色の花だとか思って、赤いノウゼンカズラは、この色に似る。