また雨が降っていて、結局のお天気はきょうは曇りで、ときどき雪か雨、ということになる。なんだかやけに暗い一日だった。きょうに限ったことではないが、大体冬は暗くて、ということになる。でも、朝は晴れ間があった。
この明るいとか暗いとか、あるいは寒いとか、冷たいとかそれから薄暗いとか、要は陽の反対の言葉で表わせるイメージというのは、ただその位置が雪が積もるとか、あるいは日本海側だとか、そうゆうことだけでは言いあらわせないような気がする。だんだんに、老化の階段を下りてゆくと、そのように思えるというのが、自分としてはもっともな原因というか、わかりやすい説明のようである。なんでも、寿命というものがある。絶対に壊れないというものもありそうで、しかしそれが無限時間壊れないというのは、これは証明もむつかしそうだ。
無限時間と、有界な時間とは明らかな違いがあるようで、これは大体しか理解出来ない。何十億年という時間があるが、またその逆数の時間というのもあって、これまた理解出来ないものである。
多少は時間を遡ると、もう少し若かったけれど、そのときの方が、冬の暗さというのはこたえた。結構、体全体が変調を起こしそうで、そうゆう時期もあった。これは、恐らくもっと若いときにはなかったことだろうと思う。こうゆうことは、雪が降るとか、それから晴れ間が多くて夜は冷えるということとあまり関係がなく、いい加減齢を重ねると、いくら明るい、というか少しは暖かな、太平洋側にいても、感じることは同じだろう。
だから、雪深いところにいても、子供は大体にしてホッペを真っ赤にして、外で遊ぶ。また子供でも、小学校に上がるころからあとは、もう雪はいやとか、そうゆうことをいいそうな気もする。また、乾いた空気で、頬を赤くそめる人も、この乾いた空気は肌にも、体にも合わないということで、赤道の近くの国々に行ってしまうのだろう。外国に行ったこともなく、行こうという気もしないが、そうゆう方との違いを現わすなら、やはり本能的なものの違いであって、これに時間が加わるだろう。結局のところ、その時間で、なにかが変わって、空気との折り合いを付けないといけなく、どうもこの暗いお天気というのが続くと、気が滅入るし、いい感じはしない。
これと夏の暑さ、雨の降らない毎日というのは、あまりに関係はなく、暑くてもいいが、また雨も適度に降るのがよく、こうゆうときの暗さは歓迎される。
真っ黒けというのは光を出さないということだが、この宇宙はそうゆう暗黒物質というもので満たされているらしい。この正体はなんだか知らないが、重さがあるから、感知されるらしい。見つからない、真っ黒なもの。
寒さもなくなる時間と思ったが、なぜか雨である。雨でもいいが、雪も降ってくる。雷のなりそうな、きな臭いお天気になってどうするか迷ったが、迷ったところでどうしようもなく、またいつもの道を歩く。結構濡れた。帰って来て、慌てて衣服を布で拭いた。こんな雨が降っている。
気分としては、あまりよくはなかったが、なぜか短い道の行き来ではちょっと物足りない気もして、今日は特に荷物もないから、散歩道の後半を歩くことにした。少しだけ気温がある。後からわかった。そうでないとこんなびしょ濡れの雨のときにわざわざ遠回りはしない。珍しいこともある、自分でそう思った。体のほうが勝手に動いたようだ。これではいけないと脳みそが指令を出したのか。
傘を差していても結構濡れる雨だ。風があった。水しぶきもあった。きょうは暖かいという予報はあったような気がするが、雨かどうかは定かではなく、で、歩いていると、久しぶりに、もう毎度のワンちゃんでもなくなった、イヌの姿を追う。一人目、おうちの中にいるようで、外からは見えなかった。これはよかったと思う。最近の犬は寒がりだし、老犬は特に寒がりのようだ。この道を行くと
もう一人のワンちゃに会う。そのとおりになったが、こちらのワンちゃんは、なぜか外にいて、それで丸くなって、背中が少しだけ見えていた。まるで、ネコだなとか思うが、このお天気だと寒いのは当たり前で、ワンちゃんも表面積を最小にしていた。だから、むろん一瞥もない。それでいいと思う。
いい加減濡れてきたのがわかる、それでも、大した時間でもない。うちの中に入ったときは、少し汗ばんでいたから、これも気温が少しは高かったということ。去年だと、問題なく歩いていた雨の散歩。
でも、歩くときは少しは太陽があったほうが、冬はいい。そうでないと困る時間になってきた。しかしこちらは、冬は雪か雨か、たまには晴れで、雪が続くときが多い。このままだと、繰り返しになってしまう。このあたりで、ストップ。
暗いのは止めて、晴れ。
このときは晴れていたが、雲も出てきた。陰りが見える。経済に似ているかも。
明るすぎる太陽と、葉を落とした木と、向こうは松の木か。
雪に埋まるネギ。このネギはたぶんかなり甘い。
自分でもどうなっているのかわからない、雪をかぶった、カエデ。
黒いものと白いものはなかなか相性はいい。
青い空はなくても、ぜいぜい明るい空はもう少しあっていいのではないか、そうゆう思いを強くする、なぜかはわからないが、一日である。
この明るいとか暗いとか、あるいは寒いとか、冷たいとかそれから薄暗いとか、要は陽の反対の言葉で表わせるイメージというのは、ただその位置が雪が積もるとか、あるいは日本海側だとか、そうゆうことだけでは言いあらわせないような気がする。だんだんに、老化の階段を下りてゆくと、そのように思えるというのが、自分としてはもっともな原因というか、わかりやすい説明のようである。なんでも、寿命というものがある。絶対に壊れないというものもありそうで、しかしそれが無限時間壊れないというのは、これは証明もむつかしそうだ。
無限時間と、有界な時間とは明らかな違いがあるようで、これは大体しか理解出来ない。何十億年という時間があるが、またその逆数の時間というのもあって、これまた理解出来ないものである。
多少は時間を遡ると、もう少し若かったけれど、そのときの方が、冬の暗さというのはこたえた。結構、体全体が変調を起こしそうで、そうゆう時期もあった。これは、恐らくもっと若いときにはなかったことだろうと思う。こうゆうことは、雪が降るとか、それから晴れ間が多くて夜は冷えるということとあまり関係がなく、いい加減齢を重ねると、いくら明るい、というか少しは暖かな、太平洋側にいても、感じることは同じだろう。
だから、雪深いところにいても、子供は大体にしてホッペを真っ赤にして、外で遊ぶ。また子供でも、小学校に上がるころからあとは、もう雪はいやとか、そうゆうことをいいそうな気もする。また、乾いた空気で、頬を赤くそめる人も、この乾いた空気は肌にも、体にも合わないということで、赤道の近くの国々に行ってしまうのだろう。外国に行ったこともなく、行こうという気もしないが、そうゆう方との違いを現わすなら、やはり本能的なものの違いであって、これに時間が加わるだろう。結局のところ、その時間で、なにかが変わって、空気との折り合いを付けないといけなく、どうもこの暗いお天気というのが続くと、気が滅入るし、いい感じはしない。
これと夏の暑さ、雨の降らない毎日というのは、あまりに関係はなく、暑くてもいいが、また雨も適度に降るのがよく、こうゆうときの暗さは歓迎される。
真っ黒けというのは光を出さないということだが、この宇宙はそうゆう暗黒物質というもので満たされているらしい。この正体はなんだか知らないが、重さがあるから、感知されるらしい。見つからない、真っ黒なもの。
寒さもなくなる時間と思ったが、なぜか雨である。雨でもいいが、雪も降ってくる。雷のなりそうな、きな臭いお天気になってどうするか迷ったが、迷ったところでどうしようもなく、またいつもの道を歩く。結構濡れた。帰って来て、慌てて衣服を布で拭いた。こんな雨が降っている。
気分としては、あまりよくはなかったが、なぜか短い道の行き来ではちょっと物足りない気もして、今日は特に荷物もないから、散歩道の後半を歩くことにした。少しだけ気温がある。後からわかった。そうでないとこんなびしょ濡れの雨のときにわざわざ遠回りはしない。珍しいこともある、自分でそう思った。体のほうが勝手に動いたようだ。これではいけないと脳みそが指令を出したのか。
傘を差していても結構濡れる雨だ。風があった。水しぶきもあった。きょうは暖かいという予報はあったような気がするが、雨かどうかは定かではなく、で、歩いていると、久しぶりに、もう毎度のワンちゃんでもなくなった、イヌの姿を追う。一人目、おうちの中にいるようで、外からは見えなかった。これはよかったと思う。最近の犬は寒がりだし、老犬は特に寒がりのようだ。この道を行くと
もう一人のワンちゃに会う。そのとおりになったが、こちらのワンちゃんは、なぜか外にいて、それで丸くなって、背中が少しだけ見えていた。まるで、ネコだなとか思うが、このお天気だと寒いのは当たり前で、ワンちゃんも表面積を最小にしていた。だから、むろん一瞥もない。それでいいと思う。
いい加減濡れてきたのがわかる、それでも、大した時間でもない。うちの中に入ったときは、少し汗ばんでいたから、これも気温が少しは高かったということ。去年だと、問題なく歩いていた雨の散歩。
でも、歩くときは少しは太陽があったほうが、冬はいい。そうでないと困る時間になってきた。しかしこちらは、冬は雪か雨か、たまには晴れで、雪が続くときが多い。このままだと、繰り返しになってしまう。このあたりで、ストップ。
暗いのは止めて、晴れ。
このときは晴れていたが、雲も出てきた。陰りが見える。経済に似ているかも。
明るすぎる太陽と、葉を落とした木と、向こうは松の木か。
雪に埋まるネギ。このネギはたぶんかなり甘い。
自分でもどうなっているのかわからない、雪をかぶった、カエデ。
黒いものと白いものはなかなか相性はいい。
青い空はなくても、ぜいぜい明るい空はもう少しあっていいのではないか、そうゆう思いを強くする、なぜかはわからないが、一日である。