曇りで、もしかしたら、目の勘違いではないかという夕日が、赤く笹の葉から透けて見えていて、この先しばらく、太陽の顔を見ることがないような、印象である。本当に、明日は最高気温が、3℃なのだろうか。まーなるようにしかならない。
今年ももう9日。お正月の感じはいいが、お正月を押し付けられるのは嫌で、ようやく普段に戻ったような気もする。それで、目の前を見ていると、年賀状は、もうなく、これはもともと、目の前にはなかった。その他、いろいろ相変わらず、紙やら、ペンやら、その他時計に、さらにいざというときのカメさんも、小型だが、置いてある。邪魔だなー、そう思いつつ、ずっと置いている。小さな机で、キーボードを置くと、
他に例えば、A4サイズのノートを置けるかというと、否であって、手元に10cmくらいの隙間を作るので精一杯である。だから、やりにくいが、しかし、この形、ガタガタ乱雑であること。なんでもここにあるという幸せ感は、やはりある。これをどこかにやろうといつも考える。で、そのまま。本当にこれでいいのか。わかるものも、わからなくなる。その時期がいつ来るかわからない。そのためには、移動するものは移動して、さっと別れるものは別れて、ポイ捨てする。年始にもそう思うし年末もそう思うし、いつも思っている。この書き込みのときもいつも思う。これがあると、このことのおさらいをやりたくなる。
台所、チキンといいそうで、キチン、キチンドリンカという言葉もあるが、そのキチンの、下はというとかなりの空間があって、ものが置いてある。大概は、空き瓶やら、普段は使わない、季節物の笊(ざる)みたいのやら、それから、醤油にみりんにソースに、お酒、お酒は別か。他に、梅酢もあれば、梅酒もあって、しかし後者の梅の付くものは、なぜか姿を消している。だれが最後まで飲んだのだろうか。
それから空き瓶やら、空きペットボトルも、大体になくなってしまった。これは、要らないと判断したら、そうゆうものは捨てるという考えの持ち主の、姉のやったことで、これは去年のいつだったか、行なわれた。それで、350mlのペットボトルだと、少し水の量が足らないときがあるから、500mlのものをとって置いたのだ、と言い訳をして、何でもかんでも捨てれば言い訳でもない、ということを言いたかったが、はたしてそれが伝わったか、これはたしかではない。ものをあっさりと捨てる性格というのは、なかなかに理解出来ないものだ。でも、たしかに、台所の下のもの置き場は、少し空いていて、でも、ここに何か私のものを置けるかというと、そんなことは出来ない。
どうするのがいいか、年々、もののようで、ゴミと化すものは増えている。最近は、手帳の数も増えた。この手帳も今は、物忘れもあるし、忘れてはいけないことも増えたから、そう粗末に扱うわけにもいかない。何冊かすぐ横にある。これは四捨五入すると10冊になる数だが、新年度、ここでは「2009年」のことだけど、この手帳をポイと置くと、するりと手帳の山からこぼれ落ちてゆく。やりにくいなー、昔なら、さっと腕がのびた。今はただ、見るだけである。あー、あーというわけで、いやになる。この手帳の置き場所もない。段ボール箱があるから、これに古いのを、まとめて入れるのが一番いいようだが、これは今思い付いた。
さらに、この段ボール箱を持つと、すでに少し重いというものがある。空気よりは重く、しかし、その比重はというと、紙のもののようで、すでに使っていたりもする。毎年年始に思うことを、またおさらいして書いてみて、でも、その極限状態にあることは事実。解決策はしかし見つからない。
その肝心の、2009年度の手帳の使い勝手はというと、これがやはり「いまいち」なのである。本屋さんで見て、大きさはこれが一番と思ったが、中の一ヶ月の日付曜日を一覧できるそのページが、見開きではなく、片方のページだけでおさまってしまう。これだと、罫線の幅が小さく、文字もその分小さくなる。失敗だった。ここまで、深くは考えなかった。本屋さんで見たときはこれでいいと思った。まったく、手帳一つの選び方というのも、出来ないでいる。逆に言うと、気に入りの手帳は一冊あるかないか、ということになるのでは。
新年から、ぼやいてみた。その他、細かい文字というのは、勘弁してくれーとちょっと大きめの声で、書いておきたい。TVのニュースに使われる、文字の画面ほどの大きさの文字はいらないが、適度にはっきり見える文字の大きさというのは、ちゃんとあるのではないか。
曇りである。いい加減くたびれている。で、ここにもある小春はというと、何だろうか。きのうか一昨日か、氷が張った辺りに、フキがある。フキの葉というのも、まだ完全に枯れていない。雪はちょろと降ったが、2、30cmは積もってはいない。すると、フキの芽、フキノトウがあるのではないか。そうも思いたくもなる。
ツバキは、なかなか見つからない。また、知っているものも少ない。これは忘れていたもので、花がすでに一個だけだが、完全に落ちていて、サザンカではなく、ツバキということにした。木の影というところにある。無理やり明るくしてみる。
感覚でいくと、小春の気分があるね、勝手に思う。
寂しすぎる、梅の花芽。
それで、フキ。
フキの芽は大きいから、見つかると、これはそうだとわかる。そばに、葉っぱも茎もあるし。しかし、フキノトウのイメージには遠い。でも、フキ。
あー、小さいけど、フキの芽。ことしは、というか、去年からことしにかけての気温というのは高め?。よくはわからない。
寒いと思いつつ、温度を見ると、へー、7℃もあるの。こうゆう範囲での、高い、低いの話しのようだ。
今年ももう9日。お正月の感じはいいが、お正月を押し付けられるのは嫌で、ようやく普段に戻ったような気もする。それで、目の前を見ていると、年賀状は、もうなく、これはもともと、目の前にはなかった。その他、いろいろ相変わらず、紙やら、ペンやら、その他時計に、さらにいざというときのカメさんも、小型だが、置いてある。邪魔だなー、そう思いつつ、ずっと置いている。小さな机で、キーボードを置くと、
他に例えば、A4サイズのノートを置けるかというと、否であって、手元に10cmくらいの隙間を作るので精一杯である。だから、やりにくいが、しかし、この形、ガタガタ乱雑であること。なんでもここにあるという幸せ感は、やはりある。これをどこかにやろうといつも考える。で、そのまま。本当にこれでいいのか。わかるものも、わからなくなる。その時期がいつ来るかわからない。そのためには、移動するものは移動して、さっと別れるものは別れて、ポイ捨てする。年始にもそう思うし年末もそう思うし、いつも思っている。この書き込みのときもいつも思う。これがあると、このことのおさらいをやりたくなる。
台所、チキンといいそうで、キチン、キチンドリンカという言葉もあるが、そのキチンの、下はというとかなりの空間があって、ものが置いてある。大概は、空き瓶やら、普段は使わない、季節物の笊(ざる)みたいのやら、それから、醤油にみりんにソースに、お酒、お酒は別か。他に、梅酢もあれば、梅酒もあって、しかし後者の梅の付くものは、なぜか姿を消している。だれが最後まで飲んだのだろうか。
それから空き瓶やら、空きペットボトルも、大体になくなってしまった。これは、要らないと判断したら、そうゆうものは捨てるという考えの持ち主の、姉のやったことで、これは去年のいつだったか、行なわれた。それで、350mlのペットボトルだと、少し水の量が足らないときがあるから、500mlのものをとって置いたのだ、と言い訳をして、何でもかんでも捨てれば言い訳でもない、ということを言いたかったが、はたしてそれが伝わったか、これはたしかではない。ものをあっさりと捨てる性格というのは、なかなかに理解出来ないものだ。でも、たしかに、台所の下のもの置き場は、少し空いていて、でも、ここに何か私のものを置けるかというと、そんなことは出来ない。
どうするのがいいか、年々、もののようで、ゴミと化すものは増えている。最近は、手帳の数も増えた。この手帳も今は、物忘れもあるし、忘れてはいけないことも増えたから、そう粗末に扱うわけにもいかない。何冊かすぐ横にある。これは四捨五入すると10冊になる数だが、新年度、ここでは「2009年」のことだけど、この手帳をポイと置くと、するりと手帳の山からこぼれ落ちてゆく。やりにくいなー、昔なら、さっと腕がのびた。今はただ、見るだけである。あー、あーというわけで、いやになる。この手帳の置き場所もない。段ボール箱があるから、これに古いのを、まとめて入れるのが一番いいようだが、これは今思い付いた。
さらに、この段ボール箱を持つと、すでに少し重いというものがある。空気よりは重く、しかし、その比重はというと、紙のもののようで、すでに使っていたりもする。毎年年始に思うことを、またおさらいして書いてみて、でも、その極限状態にあることは事実。解決策はしかし見つからない。
その肝心の、2009年度の手帳の使い勝手はというと、これがやはり「いまいち」なのである。本屋さんで見て、大きさはこれが一番と思ったが、中の一ヶ月の日付曜日を一覧できるそのページが、見開きではなく、片方のページだけでおさまってしまう。これだと、罫線の幅が小さく、文字もその分小さくなる。失敗だった。ここまで、深くは考えなかった。本屋さんで見たときはこれでいいと思った。まったく、手帳一つの選び方というのも、出来ないでいる。逆に言うと、気に入りの手帳は一冊あるかないか、ということになるのでは。
新年から、ぼやいてみた。その他、細かい文字というのは、勘弁してくれーとちょっと大きめの声で、書いておきたい。TVのニュースに使われる、文字の画面ほどの大きさの文字はいらないが、適度にはっきり見える文字の大きさというのは、ちゃんとあるのではないか。
曇りである。いい加減くたびれている。で、ここにもある小春はというと、何だろうか。きのうか一昨日か、氷が張った辺りに、フキがある。フキの葉というのも、まだ完全に枯れていない。雪はちょろと降ったが、2、30cmは積もってはいない。すると、フキの芽、フキノトウがあるのではないか。そうも思いたくもなる。
ツバキは、なかなか見つからない。また、知っているものも少ない。これは忘れていたもので、花がすでに一個だけだが、完全に落ちていて、サザンカではなく、ツバキということにした。木の影というところにある。無理やり明るくしてみる。
感覚でいくと、小春の気分があるね、勝手に思う。
寂しすぎる、梅の花芽。
それで、フキ。
フキの芽は大きいから、見つかると、これはそうだとわかる。そばに、葉っぱも茎もあるし。しかし、フキノトウのイメージには遠い。でも、フキ。
あー、小さいけど、フキの芽。ことしは、というか、去年からことしにかけての気温というのは高め?。よくはわからない。
寒いと思いつつ、温度を見ると、へー、7℃もあるの。こうゆう範囲での、高い、低いの話しのようだ。