光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

寒中の、明るさ

2009-01-07 18:51:56 | 散策
  きょうは、暖かいと思えるときもあったが、その後は、やはり大体に冷えてくる。悲喜こもごもを味あう感じで終始したということだが、ま、早くいうとこれで終わってしまう。もう少し付け加えると、晴れのお天気、子供の声が今も聞こえそうな、でも真っ暗になっているのは当然で、南西の空高く、金星が輝いている。孤高の星という感じがあるが、金星そのものが、震える寒さの惑星かというと、そうではなくて、灼熱の地獄ということになっている。わからんものである。

  明るいことと、またその明りが有効に使えるかというと、これは話しが違う。明るすぎる、まぶしくてという妙な問題が起こる。ブラインドみたいのが欲しくなる。これは昔のカレンダで代用している。ここには、昔のカレンダは多い。でも、これは大体がゴミと化すもので、その中でも少し本物の写真というものがある。この印刷された、風景は美しいが、まずは一枚目、というか、0月というか、表紙というか、それを破ることもないし、またうまくめくれる構造には出来ていない。よって、そのままの状態で、いくつかぶら下がっている。
  書いたように、ブラインドのものもある。色が変わっているかも知れない。その他、はっきりとした、例えば学校の「美術の教科書」に載るような、大家の書かれた、日本画の複製もあるが、これも、ある時期のみで、それはあるところに押し込んである。カレンダのいいところは、薄っすらしていて、しまうのにはあまり場所を取らないこと。でも、それは忘れられる運命にあって、また二度と開かれることのないものである。あまりに、きれいすぎるというのも、使うのがもったいないという気にさせて、そのままお蔵入りになる。これがお金だったら、どうだろうか。
  
  明るいのもありがたいものだが、ときにまぶしく、また、ほどほどの明るさというのも、むつかしいものだと思う。こうゆう状態になっていることは、しかし嬉しいこと、ありがたいことに変わりはない。これに、文句をいうのはおかしい。滅多にない。

  少し書いたが、外の温度は体感で上がっていなく思える。ガラスの部屋の中だと、そのようなことは想像も付かない。また、回りがコンクリートという、人工の照明の中にいても、外の現実はわからない。ビルでいうと、大きな左右に開くドアがあってそれから回転ドアがあって、順次気温が下がってゆくことがわかる、そうゆう感じだ。もうそのとき、コートを忘れたは遅すぎて、コートがあってちょうどいい。ビル街にはビル風が吹く。この寒さも、北風同様大したものだ。あっという間に、飛んでゆくものがある。窓から手を出して、観点望気はしなかった。
  さっさと歩いた。今日までという、冬休み中の子供の姿を見る。一人の子供が、死角から走って来て、もしかしたらぶつかったかも知れないが、大丈夫だった。ときに、たまにありそうだ。コンクリートの塀の向こうは見えない。そこから、子供が走ってくることもあって、ぶつかりそうにもなる。年齢が問題だな。機敏な動きが出来なくなる。出来なくなるというと、「何もかも」と言いたいが、いやでもやらなければいけないことがあって、なるほど、こうして老化の階段を登ってゆく。下がってゆくという表現でも、結果は同じ。

  このままでは、ちょっといけない、つぶれるようで、つぶれないためには、引っ張リ合う力と、反発する力の、バランスがとれていることが必要。このために、少しはこの北風の中を、もう少し歩いたほうがいい。時計を持ってその時間を見ながら。
  早い話しが、寒かったが、少し重めのカメさんを持って、ただ当てがなかった。どこに何かがあるが、今の時期はわからない。なにもないというところもあるようだが、ここには何かがある。だからむつかしい、勘でいって、帰って来た。

  ずいぶんと長くなった。「ただ、寒風の中、明るいが、その北風もそのうちに慣れると、衣類の下に汗がという状態にもなってきて」、で、もうこの辺りで、書くこともなくなってしまった。 

  
  晴天が続いて、若干、引き出しの余裕が出来た。そう思う。で、しばらくするとそれは間違いだとわかる。この繰り返し。いくつかの、明るめの風景。




  真っ赤なはだの、サザンカがある。雨のしずくが少し残っている。




  複雑な茎と葉の構造を持つ、でも花はというとタンポポに見える、いつも出る花。これが多くあって、でも花以外というとなかなか出ない。




  緑色した、ある植物、これは草よりは「木」であって、杉に似ているが、垣の一部。で、あるものの先が、このように、茶色い小さなラグビーボールのようになる。米粒以下の大きさ。この中に、花粉が入っていそうな気がする。


  今頃に多いのが、スズメの中でも、寒スズメで、その姿がきょうは一番印象が強かった。




  かなり遠くからでも、ピイピイ結構大きめの声で鳴くから、ああ、スズメがいるなというのはわかる。
  道の端により、知らん顔をして通り過ぎる。それで、さっと振り向くと、一斉に寒スズメは飛び立つ。ズズメ以外に、柿の実の、恐らく鳥に食べられた痕、というのが同じような大きさで写っている。




  少し離れている。別の木で、逃げたスズメもいそうである。ある程度距離があって、他の画像も見ていると、残っているのはそのままのようだ。

第三の、日の出

2009-01-07 16:32:26 | 散策
  きょうは珍しく、一日晴れるようで、これはいい。
  お天気の神様のご機嫌がようやく直った。
  温室の中にいるとポカポカ、であるが、むろんある程度の
  暖房があってということになる。

  で、晴れはいい。が、である。大体こうゆうときは
  北風が吹く。これで、暖かい、あるいは明るい空と外の景色があるが、
  さて、その北風をまともに受けて歩くと、少しゆるんでいる
  肌に、ピリピリ来る。いいようで、この北風は冷たく、
  明るさがあるから、余計に寒く感じるという矛盾というものを
  感じる。

  子供は風の子で、今日は外で遊んでいるようだ。


  第三の、日の出。そのような日の出があるかどうか、
  一昨日、きのうとは、また違った、日の出の時間があった。
  まー手を抜いているというか、なかなか時間もないというか。




  日はまだ出ていないが、明るい、紫がかった、空がある。 




  橙色に空が変わり始める。朝の空の変化、これは夕時も同じだろうが、
  結構早いもので、あれよあれよという表現が出来る。




  きょうは冷えているから、窓ガラスも結露。毎度の、ガラスフィルタを
  とおして見てみた。 




  日が出ているが、完全に稜線から出きっているかというと、
  これはまぶしくてわからない。
  また、だんだんと暗く見えているが、むろん実際の空は明るい。
  ただ、一昨日のもののように、真っ暗にはならない。




  だんだんと暗くなる、そうゆう、日の出の様子が出来上がった。
  裏を返すと、この条件での明るくなる日の出の様子を
  まだ表現出来ないということである。

目の前に、月があった。

2009-01-07 06:46:34 | 散策
  朝のお天気、一言先に、寒い。お天気は、うす曇。もう東の空は、明るくなり始めている。少し前だと、雲の多いお天気だが、星が透けて見えている。かなりに、放射冷却がある。アメダスの6時の気温、0.5℃、ウー寒い。気圧は1027.6hPa、積雪は、0cm。室温、5.5℃、この気温は寒い、3回も書いた。

  お正月は、大体夜は星は見えていない。夕刻に、金星くらいは見えたかも。元日の午後、月は雲の向こうに見えていて、それっきりである。月は結構動く。月と、付きは、関係がある?。月の運動を支配しているというか、決めているのが、地球か、太陽かということを考えたくなる。が、それよりも、月の運動、これを位置で代表させると、それを決める方程式というのは、今の言葉でいうと「めちゃくちゃ」むつかしく、計算式は多い。たぶんそのはずで、またやたら、無限に計算をしないといけないような、そうゆう性格のものでもあったように記憶している。
  この月の位置というものに、憑かれた人がいるようで、この方がその仕事をやった。大仕事。

  きのうは金星が見えていて、ただ少し雲もあって、さほど明るいという感じはなかった。で、この金星のまわりに、月に、木星に、水星もいたときがあった。それは、去年も暮れも押し迫ったときで、その写真は見ごたえがある。興味のある方は、AstroArtsさんのこちらの、ページをご覧下さい。

  さて、肝心な月だが。元日以来見ていなくて、きのうの夜も、あまり外を眺めなかったから、どこにあるのかもわからない。行方不明という感じもして、これも月だからしょうがないか、と思ったが、日付が変わって、今朝の丑三つ時ごろに、ガラス越しだが、明るいものがあって、それは結露の窓ガラスからも、月だとわかった。もう少しだけ、お腹が出ている。ちょうどいい。あーここにあったのか、お月さんは。それで、少しブルブル震える。寒い。

  もう朝も、少しというか、かなり明るく、晴れている。きょうも晴れそうな感じで、この辺りだと、この晴れは歓迎される。