光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

冬眠人間

2009-01-17 18:44:54 | 散策
  秋口から、いろいろと歩くところを変えたり、また気分転換ということで、もともと歩いていた道を歩いたりもした。お正月も、大体その辺りを歩くことを目的に、歩いていてしかしこれでは体重は減らない。その後は、この習慣もなくなってしまって、歩いている距離は少ない。歩いていても、痩せることは考えられないが、しかし気分の良し悪しがあって、歩かないほうがよかった、という日はないこともないが、やはり歩いていたほうがいい。これはたしかなようだ。
  依存というのを無理にやめるため、今日は歩かないというのは、ありだと思う。これは、人間の臓器などにも言えることで、「きゅうかん」という日が推奨される。しかも週に2回がいいらしい。これと、ちょっと違うというか、関係ないといわれそうだが、「きゅうしん」というのは、これは薦められない。当たり前か、あっさりと、そのものの名前を出さないと、きゅうかんがあるなら、きゅうしんもなど書きたくなる。人の臓器に休みはない。それから、もう一つは、食べないということも考えられるが、これもあまりに非現実で、とても薦められない。
  朝はたっぷり食べて、というのがいいようで、しかもそれは昔の日本食というから、ご飯に味噌汁に、漬物か、という気がする。こんな食事をとった記憶というと、今は思い出せない。ずいぶんと昔から、パンに切り替わっている。

  寒い「いえ」というのはある。これは何度も書いたが、居心地から寒くなる場合がある。でもどこかに行って、やはり帰りたいとなると、我が家であることは間違いない。我が家といっても、どうゆうものと突き詰めたくなるが、いつもの寝て起きてといううち。寒くても、ここが、また居心地が悪くても、ここしかない。やっぱり、ここがいいということになる。
  ラジオで、住宅のCMというのは多い。結構新築住宅の宣伝は流れる。これを聴いていると、大体いいことしかない。というか、いいことしか話しとしては出て来ない。それでいて、毎年新しいタイプのいえというのが出て来る。うまいこというなー、そうゆう気分で、その話しを聞く。大体、CMはというと、それで完結していて、それ以上の話しというか、現実は、まったく様相が異なるというのが本当のところ。いくらやっても、それに飽きたり次の何かが出て来る。人の考えというのは、コロコロ変わるものだと思う。
  お正月に、いえを建て替えるTVを見ていたときがあるが、これはそのとき以外にそうゆうTV番組が流れないからで、たぶん見ないからではない、と思う。あるいは特番か。これで、へーというものを見る。これも見ていると、なかなかに面白く、しかしそうゆう「いえ」がいいかというと、話しは別だ。

  ことしはやけに寒く感じるが、考えてみると、ここのうちも窓ガラスは一枚で、ほかは大体、紙と木で出来ていて、寒いのは当たり前という感じがする。昔と違うのは、気密性で、雇えばその部屋にドアが二つあると、片一方が少し開いていても、もう一方のドアを閉めると、または開けると気圧の関係で、開いているドアが閉まったりもする。気密は保たれている。でも、寒いとか、暑すぎというのは熱伝導の問題だろう。これは明らかだと思うが、鉄筋とか、鉄骨構造のうちは、明らかに、冬の室温はそんなに下がらない。また、夏もそんなに暑くはならないと思う。経験からいうとそうなるが、しかしこの場合集団住宅になる可能性も高く、人それぞれ好みもあって、両方いいものというのも大変である。

  寒すぎると感じるのは、自分の体の調子もあるし、年齢もある。小さな子供が雪とたわむれている。この光景をうらやましく思う。コートなど要らないという、そうゆう人も多いだろう。しかし、生きている限り歳を重ねるものであって、そのうちに、寒さが身にしみるときは来る。また反対に、寒さを感じないという場合もあって、このときはまわりにいる人は大いにドキドキし、気を使う。
  温暖化があって、寒冷化もありそうだ。どっちがほんとうか、その辺りはまだ結論は出ないのではないか。
  今朝の新聞の一面に、エアバスのA320型機の翼で、今にも水に浸かりそうなそうゆう状況で、人々が救助を待つ写真が出ていた。これを載せるべきかどうかは別として、こうゆう状況に私がいたらはたして正気でいられるか、そうゆうことを考えさせるものでもあって、寒さが倍増した。


  体調は変化なく、冬バテ、寒さバテのまま。ぼんやりとしている。




  そこででもないけれど、ぼんやり映像は、マクロではお手のもので、これを探した。




  透明な空で、というのが一番だが、なかなかないものである。




  赤い実ではなく、緑のほうのぼんやり感。




  こんな感じのぼんやり感も、またいいような気がする。

きのうの青空をそのまま

2009-01-17 16:17:57 | 散策
  日中のお天気は、外の気温は5℃くらいまで上がって、これはまずまずだし、
  部屋の中は、それよりは10℃くらい高い。
  高くなっている。日が出ている時間があって、これに  
  暖房があると、外の温度よりは10℃くらいは高くなる。
  
  ちょっと暖房を消してみると、ずいぶんと寒く感じる。
  また不思議なものというと、この温度に慣れてくると
  これだけの気温がありながら、寒いと感じること。
  これで薄ら寒い。贅沢な悩み。
  体調はよくないけど。

  
  きのうの青空。寒かったが、夕時に近い時間、すこし晴れ。
  この空の色が、ほどほどにいい。




  結構ギラギラ太陽はしている。これくらいだと、空の青さがそのまま出る。




  赤い色が出た。なるほど、どんなものでもこんな色が出る。これが面白い。

  雪だとどうか、比較のために入れてみる。



  
  やっぱり青空はいいことがよくわかる。




  東の低空には、雪雲のような雲が残っている。黒い点が気になる。




  黒い点は、窓の汚れみたい。このときも結構寒く感じて、窓越し。
  外の景色のすっきり感、爽快感、と透明度。これに反対の
  気分でいるというのは、何とも冴えない。   

雨と雪の落ちる音

2009-01-17 06:57:20 | 散策
  朝のお天気、曇り。まだ辺りは暗くてはっきりしないが、雨は止んでいるようで、曇り。風が少しある。アメダスの6時の気温、1.5℃、気圧は1027.0hPa、積雪は10cm。室温4℃、これは少し暖かい。

  こうゆう感じでいつものように、あることないことを書いていた。一回このあたりで、送信しておいたほうがいいようにも思えたが、朝は切れることは滅多にない。だから大丈夫と、思っていたが、なんと厚着をしていて、その腕のキワキワまで来ている衣類で、キーボードのどこかを押したらしい。すると、あっという間に、このPCはシャットダウンしてしまった。
  どのキーを押すとこうゆうことになるのだろう。わからない。昔こうゆう経験があったかも知れない。
  ちょっと書いては、送信ボタンを押しているときもある。するとたしかに書いたことは残るが、同時に考えていたことも消えるようで、なかなかうまくは行かない。

  夜中は雨だった。これでだいぶ雪は溶けて、これはいいと思った。それからもう起きる時間になると、その雨も上がった。だが、その後、ゴトゴト音がして、これは雪が滑り落ちる音であると思う。あまり聞いていて気持ちのいい音ではない。
  TVを見る。天気は、回復傾向にある。高気圧が張り出してくるから、今日はそんなにひどいお天気にはならないだろう。試験の方には朗報。もう雪の落ちる音もしない。落ちるものはみな落ちた。
  あとは、大地震から、何年たったというもので、これのことももうすっかり忘れたいた。そういえば、あれは1995年のことだったか。ずいぶんと月日が流れて、もう頭の中にない。

  熱もないし、頭の痛みもないし、咳もない。なんとかきょうもう一日は体力が戻るよう、おとなしい生活をしないといけない。