光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

寒い日が三日も続くと

2009-01-03 18:47:07 | 散策
  寒さで引っ張っている。
  寒さと綱引きをして、負けている状態で、これではいかんと思う。例えばそうゆうときは、寒かったら、外に出ていってその辺を、走るなり、歩くなり、してみたらどうだ、いえの中にいて寒い寒いなんて言ったって、暖かくはならん、とか、ご先祖様の時代には言っていたかも知れない。でも、そのご先祖様も、私の知る限り、寒がりのようであったから、そのときに応じて温かい格好をしていた。そのはずである。
  時代と言ってもそんなに昔ではない。昭和も30年代の後半に大雪の年があって、その後も大体が冬は難儀な雪が降り積もった。その冬の寒さに陰りが出てきたのは、それこそ最近であって、その中にあっても、車もどこかに置いて、まずは身の安全を確保するというときも記憶の中にあるから、急に、暖かくなったのではない。極最近は雪の量は少ない。たしかにそうだが、少ないといっても、降るときは1mを越す。これが、この辺りの雪の状況で、
  もう少し雪深いところというと、それは位置的には、山に近いところ、さらに北に向かって、日本海側がやはり多いようだ。そうゆうところだと、積雪が2、3mというのはこれは当たり前。位置と、高度と、その他海に近いか、暖流が流れているかどうか、寒流はどうか、山がそばまで迫っているか、いろいろ雪の降りやすくなる要因というものはある。

  温暖化ということが叫ばれて、しかし冬は特に暖かいということはない。冬が暖かければそれこそ大変な状況にあるということにも繋がりそうだが、そうゆうことは想像の範囲も超えるし、素人の考えでもむつかしすぎること。ことしの冬もほどほどに寒く、また一個人としてはかなり寒い思いをしているのは事実で、それで去年の夏はというと、これまた暑かった。この記憶も、まだ温存している。この記憶が消えるかどうか、これはわからない。それにしても、夏は大体より暑く、冬は大体より寒く感じる。これで、どうかと思う。

  寒いというくらいなら、外にでもいってちょっと歩いてこい、そうゆうことをいうときもあったなと今思い出しながら、それとは関係なく、寒いなら、より寒いところへいけ、という自分の思いもあることも書かないといけない。寒いなら、より寒いところ、あまり面白くないが、手っ取り早くこの寒さに対処するというか、慣れるのは、これしかない。昔と同じで、でも、それもかなり条件的にはゆるい。
  格好は温かめである。たぶん、昔と今は、着るものの素材も違うし、って、こうゆうことはこの辺りで止めて、

  外に出る時間は、大体いつもと同じで、雨は降っているかいないか、わからない状態で、傘は濡れていたので、乾かす意味もあって、差した。風はきのうと同じで、あまりない。でも、やっぱり最初は寒い、小走りになるくらいで、西の空は、黒いとも、灰色ともいえない状態だった。途中、やはり雨が降ってきた。おかしなことに、日も射してきた。こうゆうことが起こる。ちょっと特異的な感じ。どっちかに決めて欲しい。
  花は何度か書いているように、赤いサザンカが一番目立つ。冬に強そうな「三色スミレ」もあることはあるが、これも雪が降れば埋もれてしまう。スイセンも同じだが、今日はそのスイセンはどうだったか見なかった。摘まれていたのかも知れない。

  例年だと、例えば県外のナンバを付けた車を見ることもある。ことしはそれがない。私の目も、より悪くなる一方で、また視界も狭く、どの辺りまで見えるかはっきりしない。が、その県外の車のナンバをことしは見ていない。
  三日歩いて、お正月の様子はどうだったか、今日は初めて、注連飾り(しめかざり)に気が付いた。こうゆう字を書くのかとも思った。これでは、どうしようもないではないか。


  寒空も、三日目。



  年を越した、ヘクソカズラ。正月から、この字を書くとは。でも、この空の色は、なかなかいいかも知れない。




  枯れアジサイは、去年の花。それと春に開く新芽がもう出来ている。




  ヘクソカズラの実も、妙なものを見せてくれる。髑髏のような、なにかに突付かれたのか、穴の開いた、枯れゆく実がある。




  蜘蛛の巣と、それとたぶんアジサイの葉っぱと、ヘクソカズラ。すごい形相である。




  これに向き合うように、枯れた明るいアジサイの花がある。

  いかにも冬らしいというものが出揃った。  

寒くないですか、と聞いてみる。

2009-01-03 16:25:29 | 植物・花(冬)
  寒いのである。まー冬だから、しょうがないが。
  それにしても、なんとかならないか、この天気。
  あと少なくても、3ヶ月は、かなり寒い思いをしないといけない。
  いつもはもう少し、耐寒性を獲得している気がするが、
  ことしは寒い。きっと去年もそう思ったはずだ。

  それで、「寒くないですか」、と聞く。
  特に、「ことしは寒くないですか」、もう一度念を押すように
  聞いてみる。
  すると、やはりある人は、「いや寒いですよ」、
  「ことしは寒い。いつもだと、こんな2℃、3℃という気温は 
  まだないですよ」と、同意してくれる。
  寒いですね、という聞きかたもあるなと思うが、
  やっぱり、寒くないですか、と聞いてしまう。
  しばらく何かおかしくないか、考えるが、大丈夫なようだ。
  


  それで、まだいいと思うのは、少しの間雨も止みという時間があること。
  毎度の、葉っぱの上の水玉。これしかない。




  枯れそうで、枯れないこの草。見事に、水玉を完成させている。




  拡大してみた。宝石かというと、これは違うように思える。
  植物の葉の様子と、それと葉の色、と光線の関係だろうか。



 
  他にもこの草はあった。水玉もあった。これで、雪が積もると、
  この草も枯れるはず。そのときはいつか。




  こっちの草は、まだ緑が多く残っている。日の当たる時間が
  少しだけ多いかも知れない。

  他にも草はある。しかしパッと見て、すぐにきれいな水玉が見つかるのは、
  このムラサキケマン(だと思うが)だけで、他にもあることはあるが、
  水玉が平べったく、ちょっと残念である。 

正月三日の朝は雨

2009-01-03 06:58:17 | 散策
  朝のお天気、きょうも雨、ただし小雨。きょうも雨だった、という感じ。シトシト降っている。止んでいる時もあるようだ。風はほとんどない。アメダスの6時の気温、1.7℃、気圧は1023.5hPa、積雪は、0cm。室温、5℃、やっぱり寒い。

  ことしに入っての、星空はというと、月も出ていたが、元日の夜、宵の口であるが、外に出てみると、雲の切れ間からいくらかの星が輝いていた。なるほどねー、星もたまには見えている。暖かい感じもあったがこれはもちろん錯覚であるから、すぐにうちの中に戻る。
  きのうの夜は、少しお腹の大きくなった月が、雲のおともを連れて見えていたが、雲に最後は隠れて、おしまいになる。たぶん、そのあとは雨。
  ことしの正月は、大体雨、ときに曇りで、雪もあれば、ミゾレもあって、晴れ間もある。なんでもありだが、これだけの現象が一遍に起きるのだから、特異的なお正月とはいえないか。

  きのう書き忘れたことといえば、歩いていると、二日のお正月ということもあって、人の声も姿もあった。晴れ間が少しでもあれば、外に出てみたいと皆思っているのだな、と個人的には思う。近くに、コンビニエンスストアも出来て、昼の時間しか知らないが、いろいろ便利な面もある。たぶん、多少は暖かいだろう。その裏側に、自転車置き場というわけでもないが、それらしきがあってチャリに繋がれた、白い大型のイヌが、雨に濡れながらもおとなしく待っている。こちらの様子に気が付いているようだが、特に妙な行動を起こすことなく、首をまた元の方に戻して、知らん顔された。イヌの方は、自分のほうが偉いと思ったのだろう。でも、雨の中、じっと絶えている姿は、なんだか偉いのかどうかわからない。
  一つの道の左側に、おとなしいイヌがいて、その反対側には、チャリンコが引っくり返っている。これも、また現実の姿。

  正月は順調かというと、大体そうではない。年々細かい失敗というのと、大失敗というのは増える。大きなものはこれはまー書けない。小さくて、嫌だなと思うのは、寒いこともあるんだろうが、手で持っているものが、するりと転がってゆく。つまり手から離れて、小さな音、あるものはかなり大きな音、をたてて落下する。板だから、そこには見える見ない傷も付く。抗力は必ず働くから、その転がったものだって、見かけはなんともなくても、なにか異変があるかも知れない。
  この原因の一つに、手のかさかさ状態、湿り気も油気もないという、一種の悲惨がある。かさかさで、ごわごわして、吸着力がない。だから、お金もスルーっと落っこちてゆく。笊のような手、すべすべというより、滑り過ぎる手。ときにハンドクリームを塗る。しかし、色々なものがするっと落っこちて、いやになる。

  きょうは正月も三日で、なんとか少しは晴れて欲しい。