寒さで引っ張っている。
寒さと綱引きをして、負けている状態で、これではいかんと思う。例えばそうゆうときは、寒かったら、外に出ていってその辺を、走るなり、歩くなり、してみたらどうだ、いえの中にいて寒い寒いなんて言ったって、暖かくはならん、とか、ご先祖様の時代には言っていたかも知れない。でも、そのご先祖様も、私の知る限り、寒がりのようであったから、そのときに応じて温かい格好をしていた。そのはずである。
時代と言ってもそんなに昔ではない。昭和も30年代の後半に大雪の年があって、その後も大体が冬は難儀な雪が降り積もった。その冬の寒さに陰りが出てきたのは、それこそ最近であって、その中にあっても、車もどこかに置いて、まずは身の安全を確保するというときも記憶の中にあるから、急に、暖かくなったのではない。極最近は雪の量は少ない。たしかにそうだが、少ないといっても、降るときは1mを越す。これが、この辺りの雪の状況で、
もう少し雪深いところというと、それは位置的には、山に近いところ、さらに北に向かって、日本海側がやはり多いようだ。そうゆうところだと、積雪が2、3mというのはこれは当たり前。位置と、高度と、その他海に近いか、暖流が流れているかどうか、寒流はどうか、山がそばまで迫っているか、いろいろ雪の降りやすくなる要因というものはある。
温暖化ということが叫ばれて、しかし冬は特に暖かいということはない。冬が暖かければそれこそ大変な状況にあるということにも繋がりそうだが、そうゆうことは想像の範囲も超えるし、素人の考えでもむつかしすぎること。ことしの冬もほどほどに寒く、また一個人としてはかなり寒い思いをしているのは事実で、それで去年の夏はというと、これまた暑かった。この記憶も、まだ温存している。この記憶が消えるかどうか、これはわからない。それにしても、夏は大体より暑く、冬は大体より寒く感じる。これで、どうかと思う。
寒いというくらいなら、外にでもいってちょっと歩いてこい、そうゆうことをいうときもあったなと今思い出しながら、それとは関係なく、寒いなら、より寒いところへいけ、という自分の思いもあることも書かないといけない。寒いなら、より寒いところ、あまり面白くないが、手っ取り早くこの寒さに対処するというか、慣れるのは、これしかない。昔と同じで、でも、それもかなり条件的にはゆるい。
格好は温かめである。たぶん、昔と今は、着るものの素材も違うし、って、こうゆうことはこの辺りで止めて、
外に出る時間は、大体いつもと同じで、雨は降っているかいないか、わからない状態で、傘は濡れていたので、乾かす意味もあって、差した。風はきのうと同じで、あまりない。でも、やっぱり最初は寒い、小走りになるくらいで、西の空は、黒いとも、灰色ともいえない状態だった。途中、やはり雨が降ってきた。おかしなことに、日も射してきた。こうゆうことが起こる。ちょっと特異的な感じ。どっちかに決めて欲しい。
花は何度か書いているように、赤いサザンカが一番目立つ。冬に強そうな「三色スミレ」もあることはあるが、これも雪が降れば埋もれてしまう。スイセンも同じだが、今日はそのスイセンはどうだったか見なかった。摘まれていたのかも知れない。
例年だと、例えば県外のナンバを付けた車を見ることもある。ことしはそれがない。私の目も、より悪くなる一方で、また視界も狭く、どの辺りまで見えるかはっきりしない。が、その県外の車のナンバをことしは見ていない。
三日歩いて、お正月の様子はどうだったか、今日は初めて、注連飾り(しめかざり)に気が付いた。こうゆう字を書くのかとも思った。これでは、どうしようもないではないか。
寒空も、三日目。
年を越した、ヘクソカズラ。正月から、この字を書くとは。でも、この空の色は、なかなかいいかも知れない。
枯れアジサイは、去年の花。それと春に開く新芽がもう出来ている。
ヘクソカズラの実も、妙なものを見せてくれる。髑髏のような、なにかに突付かれたのか、穴の開いた、枯れゆく実がある。
蜘蛛の巣と、それとたぶんアジサイの葉っぱと、ヘクソカズラ。すごい形相である。
これに向き合うように、枯れた明るいアジサイの花がある。
いかにも冬らしいというものが出揃った。
寒さと綱引きをして、負けている状態で、これではいかんと思う。例えばそうゆうときは、寒かったら、外に出ていってその辺を、走るなり、歩くなり、してみたらどうだ、いえの中にいて寒い寒いなんて言ったって、暖かくはならん、とか、ご先祖様の時代には言っていたかも知れない。でも、そのご先祖様も、私の知る限り、寒がりのようであったから、そのときに応じて温かい格好をしていた。そのはずである。
時代と言ってもそんなに昔ではない。昭和も30年代の後半に大雪の年があって、その後も大体が冬は難儀な雪が降り積もった。その冬の寒さに陰りが出てきたのは、それこそ最近であって、その中にあっても、車もどこかに置いて、まずは身の安全を確保するというときも記憶の中にあるから、急に、暖かくなったのではない。極最近は雪の量は少ない。たしかにそうだが、少ないといっても、降るときは1mを越す。これが、この辺りの雪の状況で、
もう少し雪深いところというと、それは位置的には、山に近いところ、さらに北に向かって、日本海側がやはり多いようだ。そうゆうところだと、積雪が2、3mというのはこれは当たり前。位置と、高度と、その他海に近いか、暖流が流れているかどうか、寒流はどうか、山がそばまで迫っているか、いろいろ雪の降りやすくなる要因というものはある。
温暖化ということが叫ばれて、しかし冬は特に暖かいということはない。冬が暖かければそれこそ大変な状況にあるということにも繋がりそうだが、そうゆうことは想像の範囲も超えるし、素人の考えでもむつかしすぎること。ことしの冬もほどほどに寒く、また一個人としてはかなり寒い思いをしているのは事実で、それで去年の夏はというと、これまた暑かった。この記憶も、まだ温存している。この記憶が消えるかどうか、これはわからない。それにしても、夏は大体より暑く、冬は大体より寒く感じる。これで、どうかと思う。
寒いというくらいなら、外にでもいってちょっと歩いてこい、そうゆうことをいうときもあったなと今思い出しながら、それとは関係なく、寒いなら、より寒いところへいけ、という自分の思いもあることも書かないといけない。寒いなら、より寒いところ、あまり面白くないが、手っ取り早くこの寒さに対処するというか、慣れるのは、これしかない。昔と同じで、でも、それもかなり条件的にはゆるい。
格好は温かめである。たぶん、昔と今は、着るものの素材も違うし、って、こうゆうことはこの辺りで止めて、
外に出る時間は、大体いつもと同じで、雨は降っているかいないか、わからない状態で、傘は濡れていたので、乾かす意味もあって、差した。風はきのうと同じで、あまりない。でも、やっぱり最初は寒い、小走りになるくらいで、西の空は、黒いとも、灰色ともいえない状態だった。途中、やはり雨が降ってきた。おかしなことに、日も射してきた。こうゆうことが起こる。ちょっと特異的な感じ。どっちかに決めて欲しい。
花は何度か書いているように、赤いサザンカが一番目立つ。冬に強そうな「三色スミレ」もあることはあるが、これも雪が降れば埋もれてしまう。スイセンも同じだが、今日はそのスイセンはどうだったか見なかった。摘まれていたのかも知れない。
例年だと、例えば県外のナンバを付けた車を見ることもある。ことしはそれがない。私の目も、より悪くなる一方で、また視界も狭く、どの辺りまで見えるかはっきりしない。が、その県外の車のナンバをことしは見ていない。
三日歩いて、お正月の様子はどうだったか、今日は初めて、注連飾り(しめかざり)に気が付いた。こうゆう字を書くのかとも思った。これでは、どうしようもないではないか。
寒空も、三日目。
年を越した、ヘクソカズラ。正月から、この字を書くとは。でも、この空の色は、なかなかいいかも知れない。
枯れアジサイは、去年の花。それと春に開く新芽がもう出来ている。
ヘクソカズラの実も、妙なものを見せてくれる。髑髏のような、なにかに突付かれたのか、穴の開いた、枯れゆく実がある。
蜘蛛の巣と、それとたぶんアジサイの葉っぱと、ヘクソカズラ。すごい形相である。
これに向き合うように、枯れた明るいアジサイの花がある。
いかにも冬らしいというものが出揃った。