光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

落ち着きと、おっちょこちょいと

2009-01-21 18:54:00 | 散策
  どこかから帰って来て、あー疲れたとかいって、バッグを放り出したりする。コートを脱ぐ時もありそうだ。と、ガチャとかいう音がして、重いものが入っていることに気が付く。それが思い出に残るというのも変なものだが、あー気が付いたら遅かったと思う。何とか帰って来て、もう一歩で失敗したとか後々思うわけで、だから安心も出来ないし、またそれだからといって、心配ばかりも出来ない。ややこしく出来上がった世界がある。結局、無理をしているのだろうか。それとも、能力がない。色々悩むことは多い。
 
  大体から、いろいろ準備をして忘れ物というのはある。学校にゆくのに、若い順だと、教科書を忘れたというのは惨め、宿題を忘れた、というのもあるが、正確にはやってないということだろう。ただ宿題はやったが、そのものを忘れたというとくやしくて、眠れないとかなる。なりそうだが、

  これ以外に、もう少し歳数が増えて、弁当を忘れるというのも惨めなものである。でも、もうそうゆう経験はしない。試験で名前を書くのを忘れた、というのがあるかというと、こうゆうのは結構まじめに忘れずに書いている。ただ頭の中には、なにもない場合が多く、これには困ったもので、テストでいい思いはない。でも、テストの夢を見ることは少なく、どっちだというと、書かなきゃいけないというものをまだやっていなくて、このままだと卒業出来ないというのが、なぜかずっと見続ける夢であって、よっぽどこれには理由がありそうだが、如何せん夢の話で、これの悩み相談はない。

  慌てることは今も変わりはない。色々慌てるので、白い目で見られる。もう一人の人間が、自分がいたら、この人は何を慌てているのだろうと間違いなく思う。平気のヘイの人はそういえばいる、動じない。たしかになー、そうゆう人をうらやましくも思うが、きっとドキドキ感は少ないのではないか。
  おっちょこちょいでもある。よく言われた。これも変わらない。軽薄とか辞書にあるが、そのとおりである。で、多少は経験もつむと、これはいけない。忘れ物リストというのを作る。これを見ながら、あれは大丈夫か、これはOKか。色々とたしかめる。これって、落ち着きがあるのかないのか。どっちにしても、そのリストを見ても、忘れるのは忘れるし、要らないものも持っていったりもする。忘れ物リストというと、そのまま忘れるもののリストでもあって、皮肉である。

  必要か、という観点で、これとこれとこれ、を持ってゆく。多少はお金もいる。その他どうだろうか。水もあればあるに越したことはない。それからどうだろうか。傘は要るかどうか。きょうのお天気だと、傘は要らないが、しかし降るかも知れない。あとは水、あそこの中は暖かすぎるかも知れず、しかも今はインフルエンザ流行期にも入っている。水も必要で、その他、マスクも必要。
  十分というと、どうなるか。これで完全である。高々その辺りを歩くというのに、特に保険証も要らないし、身分証明になるようなものも要らない。せいぜい、水くらい、他にはカメさんがあればいい。こうゆう感じで、散歩も出来るときっといいだろう。世の中を自分で複雑にしている。でも、イザというときがあって、何度か「あれがあれば、楽だった」とか、思ったし、反省材料も多いし。しかしこれは薮蛇だったというものもある、これが交互に続く。なんていうことだろう、呆れてくる。

  これも大体が、落ち着きがないからであろう。落ち着きか、落ち付きかどっちかわからなくなってきた。それに、相変わらずのおっちょこちょいである。だから、簡単に失敗をする。

  人は色々考える、ここがだめだったと。それで、こんどはこれでいこうと、新しいものを導入する。でも、またここがいけないというのが出る。こうして、落ち着きのない日々の生活は続く、またおっちょこちょいというのも、直らない。この先も、これに付き合わないといけない。なんだかこの先も、色でいうと灰色かブルーか、という感じがしてきた。かなり切羽詰っている。よって昔の自分が復活する。打つ手はない。落ち着け、と自分は思う。こうゆうこと自体が、すでにおかしいのかも知れない。


  かなり煮詰っている。感情の圧縮みたいのがありそう。デコボコ。




  そういえば、もう2009年も1月も半ばを過ぎた。それで、この花はどうか、きのうも探したが、あった。フジバカマ。年を越してことしも枯れフジバカマを見ることが出来た。




  こうなると、匂いというものもしない。風もなかったが、匂いもしなかった。




  駐車場の端にある雪の塊。だんだんに溶けて今はこんな感じだ。汚れているのは普通だが、それにしてもなんだかねー。




  水の溜まる石。なんて言うのか知らない。湧き水もないし、ただ石があって、なかの堀は深いから、水を溜めるものだろう。




  イチョウの葉が、水の中で一部は溶けて?、繊維質のようなものだけが残りそうになっている。

冬の太陽

2009-01-21 16:23:55 | 散策
  冬の太陽は、ありがたい。

  朝に出てくれてもいいし、昼でもいいし、夜でもいい?。
  間違った、夕方だった。
  冬に太陽は貴重であって、この恩恵は大きい。

  雪が降る。シンシンでもないが、雪が降り続ける。
  そうゆうときがる。雪も三日降り続けると、気分も相当に
  落ち込むことがある。だから、二日ぐらいが限度だと思う。

  いい加減止んでくれないか、恨めしそうに空を見上げる。
  さっきせっかく雪を苦労して落としても、また雪が降り出し始める。
  これでは、体がもたない。でも、
  願いがかなって、雪は止んだ。
  何度かこうゆう思いそして、どうにか今がある。

  大仰に雪の日のことを書いてみた。
  
  それで、きのうの太陽は、朝にそのことを書いていて、幻日が出た。




  白々しい、太陽がようやく顔を出してくれた。




  太陽の右側に、割と鮮明な、幻日がある。




  空全体が、赤味が増して、寒い冬の太陽が賑やかに、また逆に
  寂しくも感じさせる。




  西側から。太陽は串刺しになり、幻日の色が濃くなる。



  
  太陽の真上に、一条の光が伸びているようである。レンズの歪みがあって、
  傾いて見えるがたぶん、地平に対して垂直に見えているはず。
  太陽像ではなく、画像の中央辺りを見ると、割りとはっきり、
  上空に伸びる光条がわかると思う。

白い、痩身の月

2009-01-21 06:56:39 | 散策
  朝のお天気、曇りと晴れ。今は、東の空は少し明るく、晴れで月が見えている。西の空は視界は悪くないが、曇り。風はあまり感じない。窓はすべて曇りガラス。アメダスの6時の気温、2.7℃、積雪は0cm、気圧は1021.9hPa。室温、5.5℃。ほどほど。

  久しぶりの月。南東の空の低いところ。死角に入りそうなところがありそうな月。その月が先ほどは少し雲のベールに隠れていたが、今ははっきりしている。痩身である。
  お正月、元日に夕時前に、月が見えたときがあったが、記憶としては、その後に満月前後、それから今、その3つくらいしかない。天気の問題もあるが、どこにいったという問題もあって、月も忙しく、こちらもその存在を忘れてしまう。悲しいかな、全天を見上げることもない。

  きのうの夕刻には、太陽も姿をはっきりさせて、その色は寂寥の感もあったが、その右側に幻日が見えていて、この幻日は結構はっきりしていた。さらに、日没間近だと、地平に対して垂直に太陽光が放射する部分がより明るく見えて、その光条が神秘的でもある。ただただ肉眼で見ていても、そこに現われるもので目を引くものがある。もっとも、太陽に大きな変化は要らない。地上の空気のレベルでの変化ですんでいていい。

  朝は寒い。夕方はというと、空がどんよりしていて、それに街の明りがそれなりにあって、空は明るい。朝とか、それから夕刻に、もちろん日の出前、日没後のことになるが、そうゆうときに、明るくなって、空を賑わすものがある。それが、星界の放浪者、彗星であるが、この星もただただでたらめに現われるものでもないようだ。この星の起源というのも昔から叫ばれているようで、これが太陽系のものか、それよりは、一般の恒星空間からやって来ているのか、という議論がある。
  そうゆうむつかしいことは専門家の方に任せて、しかしこの星が、何千年もかけて太陽まで旅をすることを考えると、気は遠くなりそうで、また日常の出来事の些細なことのあれこれに、悩んだり、悲しんだり、また反対に喜んだり驚いたりということも、あまりに意味ももたないようにも思える。

  何でも、一遍は遠くまで突き飛ばしてみて、そうゆうものから自由になって、もう一度その悩みとかに付きあってみると、結構大した事でもないように思える、かも知れない。ほうき星の登場は、そうゆうことも考えさせてくれる。