光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

雪かきの功罪

2009-01-15 18:48:31 | 散策
  きょうの冷たさというのを現わすのに、一つ忘れていたことがあって、それは窓が恐らく凍結で開かなかった。これは南向きの窓で、雪も溶けやすいが、その分水分は多く、氷点下だと凍る可能性があって、開くものも開かない。

  寒気の程度にもよると思うが、たとえば氷点下の10℃ということは、まずはこの辺りではない。これは朝に見ていた、TVだと、諏訪湖の辺り、また山中湖、それに加えるとすると、軽井沢辺りの温度ではないか。こんな温度というのを経験することはまずはなく、でも太平洋の荒波に面する地域でも黒潮の恩恵にあずからないところは、ぐっと冷えるし、また簡単に水道管なども凍結してしまう。この辺りの積雪の多さは、一つは暖流である対馬海流の存在が大であって、ここから水蒸気が大量に発生する。これに大陸からの寒気が当たれば、気体は液体を乗り越えて、固体にまでなってしまう。
  水蒸気が雪になるにはそれだけ負のエネルギが必要で、言い換えると冷たい空気、気体が固体なると同時に、その寒気の持っている負のエネルギ、冷たい気温が、こんどは上昇する。少しは暖かくなる。それだから、もう雪がちらつくころには、この空の空気の温度は、さほどに下がらない。ほどほどのものとして、氷点の前後というものがある。緩衝材?。何だかうまく出来すぎているが、この氷点という温度をどう感じるかによって、冬の過ごし方も違う。0℃でも大丈夫という方は、快適に過ごせる。これは寒いと思うと、暖房を使う。まったくどうしたものやら。

  しかしなぜに、太平洋側で、マイナスの5℃とか、それよりも低い温度になるのかというと、これも単純に放射冷却としか言いようがなく、北の海の水蒸気と、大陸の寒気というものは今はどこかにいってしまう。この連続性がなくなるのが、なくなる感じが解せないものの一つである。

  雪かきはあるときは楽しい。そうゆうことをラジオでも聞く。私も、そう思うことがあった。今はない。かなり際どい感じだが、これ以上の雪が降ると、本当に困ってしまう。一つはいえの構造というか、配置というか、まー要するに雪に弱いところがある。どこのうちもそうかというと、これは違う。多少の雪はうちの屋根の上に乗せて大丈夫といういうものは多い。こうゆうものは結果として後からわかるもので、今さらどうの言ったってどうにもならない。これに加えて、日頃の怠惰な生活のしっぺ返しでもあるのも、また間違いない。
  あーそれでも、昔はもう少し何とかなったものだが、この程度の雪で、ってなかなか記せないが、疲れた、くたびれた、からだがゆうことをきかないなんて、やっぱり変だなー。

  それで楽しい話題というと、これは私もそのとおりと言いたいものだが、雪かきはいい運動になる。これは間違いない。30分すれば、まーどれだけ汗をかくか、で、それを半日とかやるとどうなるか、そうゆう経験はないが、ある程度やると調子が出て来る。山歩きの最初の段階に似ている。ある程度歩くと慣れて来てリズムが出る。こうなると、雪かきは進む。疲れをわすれたごとく、体は動く。でも、この後が問題であって、そのままの人と、その後にどっと疲れがという人は、いる。頭で考えると、後者のほうが妥当と思うが、そうでもないらしく一晩寝ればすっきりして、そん結果減量に成功する。まるで、夢のような話しだが、これがラジオで流れた。雪かきの功のほうで、何キログラムやせましたというレポートが入る。
  ただし、その後もその体重を維持しているかどうかは、そこまでの事後報告はないのではないか。

  雪かきで汗を流してというときもあった、そうゆうことを思い出しながら、鉛筆一本右から左へ動かすのも面倒という気持ちでいる私は、たぶん元気な人もいつの日か、結構な疲れを感じるのではないか、と思わざるを得ないのである。


  雪の降っているときは滅多にカメさんを持ち出さない。それでも行くとすると、ミニのほうが楽だが、でかいのも持つ。左手で傘。右手でカメという感じで、これでなんとか、その雪の様子をと思う。




  雪が白く写る時間、ほとんどのものが白い雪に合うようである。ツツジの様子。粉雪のような雪。





  石に雪に、緑の植物。




  だんだんと植物は雪に埋もれてゆく。雪のマフラをした感じというのは、どんなものだろうか。さぞかし、冷たい。




  枯れアジサイに、雪というのもいいもので、すでに何度か出ているかも知れない。




  雪がないというものもある。これは、数少ない知っているツバキで、蕾だけだが、見ていると緑の葉のつやがあって好ましい。

再び雪が舞う

2009-01-15 16:25:46 | 散策
  寒いところは色々あるので、あまり大袈裟にも書けないが、
  また雪が舞う一日になる。
  雪の量は、お祈りの効果があったのか、さほどでもなく
  そのままでも大丈夫のようで、ほっとしている。

  それよりも寒い一日。
  気温は氷点下のほうが多い。午前は大体氷点下、
  午後はというと3時で、マイナスの0.3℃、
  最高気温、0.9℃。これは寒いと思う。
  風はないか弱い。


  雪しかないが、




  雪が降り続ける。断続的。降っている時間のほうが長いようだ。




  こうゆうときもあったようだ。もう忘れた。




  雪が止む時間があった。それで、その辺りまで。




  これはきょうの雪だと思う。木の葉の芽もあるが、しっかり防寒着。




  枯れ木に雪。この木はたぶん枯れているが、雪が降るときなどは、
  これがなかなかいい味を出すと思う。

夜中に目が開く

2009-01-15 06:51:45 | 散策
  朝のお天気、雪。小雪で、今はそんなに積雪はないが、氷点下だし、これは積もる。風は今はそんなにない。寒い。アメダスの6時の気温、マイナス1.0℃、気圧は1024.1hPa、積雪は21cm、湿度は94%。室温、起きたときの値を書いているが、4.0℃、おまけである。その後1℃上がった。

  このところ、眠いというより、疲れたという感じで、さっさと布団にもぐり込む。これで、大体朝までは起きるときもあるが、眠気もあって、眠れて朝を迎える。眠れないときもあるにはあるが、面白くない。
  きょうがそのときで、さっさと用を済ませるがさほど寒くも感じないが、眠気がどこかへいったようで、それでしばらくはしょうもないことを考える。音楽が、回転することもあるし、また同じことを何度も思い出している。眠れない。

  病院でも、この眠れないとうったえる人は多いようだ。個人の医院でも大病院でもこの話しは待合室で、またドア一枚向こうの診察室から、漏れ聞こえる。窮状のうったえは、これは長引く場合が多く、しかし黙って待っていないといけない。
  お年寄りというと、もう私もその中の一人かも知れない。そうゆう方はただなんとなく、もう3時に目が開いて、どうしようもありません、という感じで話していて、お医者さんは、もう少し眠る時間を遅く出来ませんか、などいっているのではないか、想像する。もう少し若い方だと、これは待合室などでの話しだが、しゅうとさんとうまくゆかなくて、という感じの話しになる。最初は内科にゆくけど、何ともないと言われて、と話しははずんでゆく。私の場合は、自分の親とうまくゆかない、という感じだが、これが当たり前という気も最近はする。人はみな、変わってゆくもので、病的なものもある。

  目が開いていると、意識もはっきりしていて、起きると寒さは身にしみる。はっきり寒く、手帳の文字が歪む。温度計の先が3と4の間だが、悩む時間もない。朝のTVは、長野の諏訪辺りで、ここは信州と言うのかどうか、わからないので止めた。マイナスの11℃。これは耐えられない。このスキー場の光景を見て少しシャキとする。それから、Tokyoに戻ると、こちらも気象予報士さんはまことに寒そうである。より寒いところというのがあることを知って、ここはより寒いところよりは、ましだ、という考えに傾く。もっと寒い、眠れぬ思いをしている人は多い。

  氷点下だからか、窓の向こうの金属の柵に、雪が溶けずに残っている。よく見ていると、少ない雪だが、南風に乗っている。いかにも寒そうで、今日はしかし雪を動かす気にはならないなー。