購入している、PR誌がきょうは11月の1日だけど、土曜日で配達があって、2つとも着た。結局10月号は、途中まで読んで、そのあとは読まないままほったらかし。いくらでも時間がある。でも、こうゆうのはなんとかなるが、こちらの方面だと、無理がある。こうゆうことはだれでもあると思うけど、今まではあるときから、一回は少なくても読む、あるいは目を通すことにしていたが、それもやらなかった。
PR誌もばかにならない。大体、お金がかかる。いくら年間の購読料が安いといっても、お金がかかることに間違いはない。でも、やっぱり、年間千円だと安い。また、3年間で2千円だと、かなり安く買わないと損な気もする。でも、常に面白いと思うものは、まずはない。如何せん、レベルにも差があり過ぎて、ありがた過ぎる。それでも、辞書を引き、読めない文字にフリガナを振ってどうにか、ありがたく読ませていただいている。何しろ、暗ければ明かりが必要だが、他には手持ちのもので間に合う。間に合うような読み方も可能。
それからPR誌だから、広告もあってこれで世間がわかる。わかるような気がする。勘違いもある。広告なら、新聞のほうが刺激的だが、新聞はまずは一過性でそれで、新聞入れを「ごそごそ」やるときはまずはない。一週間のTV欄、ラジオ欄が載っているものは探すが、本体はまずはない。その点、PR誌は、軽いしその辺に置いておいてもいいし、順に積み重ねてもいい。しかし、これも有限の時間で限界に達するときがある。こんなに薄いものも、足し算をすると収束せずいくらでも場所を取り、またどこにいったかわからなくもなる。こうして、何年分だかわからないが、この回りに、PR誌はあって、ときにあれはどこへ行った、と思う。どうにか出て来る。このPR誌の最後は、どうなるか。
目の前を見てみる。PCのモニタがある。これは机の上ではなく、本箱に乗っかっている。よく、本箱のさほど厚くない鉄の板が、はずれないな、あるいは曲がらないな、と思う。呆れるようなことをやっているが、本も本棚一杯に並べると、結構重いはずで、この重さはどのくらいになるか、不明である。たぶん、両の手でも持つことは出来ない。目の前の、本箱の本も変わらない。昔のまま。触ると何かが起こりそうで、怖い。恐る恐る一冊の本を取り出したり、あるいはカードみたいなもの、紙切れ、書類、葉書き、封筒、本のケースを取り出す。本のケースは取り出せない。これをやると、本の雪崩が起こる。
机の上に、PR誌。ほか、広告の裏白の紙。ここに、文字があって何かが書かれている。もう要らないが、動かすと埃が舞い上がる。
小さな紙だと、レシート。これが役にたつ。値段を確認できるし、この裏を使う。たまに電話番号が役にもたつ。いったい古いものはいつのものだろうか。
この書き込みに使ったメモもかなりあって、これが重要である。ここに秘密の数字やら、ローマ字が書いてあって、ときどき見る。これがなくなったら、やっぱり怖い。辛気くさいが、紙に書いてある文字はどこかへ行くことはない。
目の前の話しから、机の抽斗へと目はいく。減ることがあるのか、何度か引き出しの整理はやった。しかし捨てられないものがある。ここにも領収書があって、PR誌のものも残っている。はっきりいって、もうゴミだべ。しかし、自分の歴史みたいなもので、これが捨てられない。乾電池も入っている。
疲れてきた。押し迫っていることがよくわかる。自分でもこれではいけないと思う。だから、たまに捨てるものがある。何年か前にかなりのものを捨てた。その後また増えて、一部のものは、引き出しの、抽斗とも書くようだが、中から後ろ側に落っこちていて、これに気が付かないと悲劇である。
これだけわかっているなら、そういえば3連休とかいう。その間に少しゴミ出しをしたらどうだ、もう一人の私がいう。そうかも知れない。そういえば、明日もそんなに悪い天気ではない。ゴミ出しか、まさか一々その紙やら、わけわからんものを読みふけって、それで物思いにもふけって、終わってしまうということにはならないだろうなー。
長くぼやいて、すいませんでした。
秋の光の中で。
葉っぱの赤さが目立って、思わず立ち止まった。
今どきのススキ。ススキもクシャミ。キラキラしている。
露光を短くして、空の青さが出て、上のと両方を足すと、肉眼で見えているものに近い感じがする。
何かがぶら下がっている。ウリのようでそうでもない?。右上の実は半分に割れて、その中味は真っ赤なようだ。今気が付いた。ホント、これは何だろうか。
PR誌もばかにならない。大体、お金がかかる。いくら年間の購読料が安いといっても、お金がかかることに間違いはない。でも、やっぱり、年間千円だと安い。また、3年間で2千円だと、かなり安く買わないと損な気もする。でも、常に面白いと思うものは、まずはない。如何せん、レベルにも差があり過ぎて、ありがた過ぎる。それでも、辞書を引き、読めない文字にフリガナを振ってどうにか、ありがたく読ませていただいている。何しろ、暗ければ明かりが必要だが、他には手持ちのもので間に合う。間に合うような読み方も可能。
それからPR誌だから、広告もあってこれで世間がわかる。わかるような気がする。勘違いもある。広告なら、新聞のほうが刺激的だが、新聞はまずは一過性でそれで、新聞入れを「ごそごそ」やるときはまずはない。一週間のTV欄、ラジオ欄が載っているものは探すが、本体はまずはない。その点、PR誌は、軽いしその辺に置いておいてもいいし、順に積み重ねてもいい。しかし、これも有限の時間で限界に達するときがある。こんなに薄いものも、足し算をすると収束せずいくらでも場所を取り、またどこにいったかわからなくもなる。こうして、何年分だかわからないが、この回りに、PR誌はあって、ときにあれはどこへ行った、と思う。どうにか出て来る。このPR誌の最後は、どうなるか。
目の前を見てみる。PCのモニタがある。これは机の上ではなく、本箱に乗っかっている。よく、本箱のさほど厚くない鉄の板が、はずれないな、あるいは曲がらないな、と思う。呆れるようなことをやっているが、本も本棚一杯に並べると、結構重いはずで、この重さはどのくらいになるか、不明である。たぶん、両の手でも持つことは出来ない。目の前の、本箱の本も変わらない。昔のまま。触ると何かが起こりそうで、怖い。恐る恐る一冊の本を取り出したり、あるいはカードみたいなもの、紙切れ、書類、葉書き、封筒、本のケースを取り出す。本のケースは取り出せない。これをやると、本の雪崩が起こる。
机の上に、PR誌。ほか、広告の裏白の紙。ここに、文字があって何かが書かれている。もう要らないが、動かすと埃が舞い上がる。
小さな紙だと、レシート。これが役にたつ。値段を確認できるし、この裏を使う。たまに電話番号が役にもたつ。いったい古いものはいつのものだろうか。
この書き込みに使ったメモもかなりあって、これが重要である。ここに秘密の数字やら、ローマ字が書いてあって、ときどき見る。これがなくなったら、やっぱり怖い。辛気くさいが、紙に書いてある文字はどこかへ行くことはない。
目の前の話しから、机の抽斗へと目はいく。減ることがあるのか、何度か引き出しの整理はやった。しかし捨てられないものがある。ここにも領収書があって、PR誌のものも残っている。はっきりいって、もうゴミだべ。しかし、自分の歴史みたいなもので、これが捨てられない。乾電池も入っている。
疲れてきた。押し迫っていることがよくわかる。自分でもこれではいけないと思う。だから、たまに捨てるものがある。何年か前にかなりのものを捨てた。その後また増えて、一部のものは、引き出しの、抽斗とも書くようだが、中から後ろ側に落っこちていて、これに気が付かないと悲劇である。
これだけわかっているなら、そういえば3連休とかいう。その間に少しゴミ出しをしたらどうだ、もう一人の私がいう。そうかも知れない。そういえば、明日もそんなに悪い天気ではない。ゴミ出しか、まさか一々その紙やら、わけわからんものを読みふけって、それで物思いにもふけって、終わってしまうということにはならないだろうなー。
長くぼやいて、すいませんでした。
秋の光の中で。
葉っぱの赤さが目立って、思わず立ち止まった。
今どきのススキ。ススキもクシャミ。キラキラしている。
露光を短くして、空の青さが出て、上のと両方を足すと、肉眼で見えているものに近い感じがする。
何かがぶら下がっている。ウリのようでそうでもない?。右上の実は半分に割れて、その中味は真っ赤なようだ。今気が付いた。ホント、これは何だろうか。
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