田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

GGの頭には『死語』がいっぱい詰まつまっているのだ。麻屋与志夫

2021-09-16 01:03:30 | ブログ
9月16日 木曜日
「代筆」という言葉は、いまでは死語にちかいのではないか。
昨日のブログで代筆という言葉をなにげなく使った。
この言葉はもうあまり使われていない。
と気づいた。
わたしたちの育ったころ。
町役場や、その他の役所の立ち並ぶ官庁街。
かならずといっていいほど田舎町には「代書」という看板がでていた。
代書屋とわたしたちはよんでいた。
行政書士事務所だ。

話がとぶ。
むかし渋谷の道玄坂に『恋文横町』というところがあった。
アメリカの駐留軍へのオンリーさんからのラブレターを代筆するひとがいたのだ。
丹羽文雄の『恋文』で有名になった。
昭和28年ころの話だ。
そういえば『オンリーさん』『パンパン』などというのもあまり品のいい言葉ではない。
公の場ではあまり使いたくはない。

わたしは、中学二年生のころ、昭和23年には日光で英語で観光案内をしていた。
もちろん、ボランティアだったが、お金をわたされて、恐縮したのを覚えている。
そうした米兵にケバイ服装のオンリーさんがぶら下がるようにして、肩を組んで歩いていた。
朝鮮戦争の始まる少し前の話だ。

じぶんがいかに老いぼれGGになっているのか、おもいしらされる。
だから、昔のことをかくのは。
ヤダモン。
永遠の文学青年の……つもりでいるのだから……。

でも、笑っちゃいますよね。
そのころ、すでに、小説をかいていたのですから。

いかに浅学菲才。
それは、じぶんがいちばんよくわかっています。


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ラブレターの代筆をする夢をみた。

2021-09-15 07:58:54 | 夢見るGGの夢占い
9月15日 水曜日
夢見るGGの夢占い24

おかしな夢をみた。
若者のためにラブレターを代筆することになった。
紙とちびた筆を若者が近所のおばさんから買ってきた。
なんでここで、駄菓子屋のおばさんがでるのだ。
「便箋と筆記具、封筒がなければダメダ」
ところが、かれには便箋、封筒という言葉がつうじない。
そうか、携帯のEメールで愛をコクル時代だものな。
わたしは変に気を回しながら、それでもかれのために手紙をかいてやっていた。
直ぐそばを、かれの背後を――定期便のトラックがビュンビュンとばして通過していく。
トラックはどこをめざしているのだろう。

なんでこんな夢をみたのだろう。
ぼくが青山の下宿にいたのは、東京タワーの基礎工事がはじまったころだった。
「三丁目の夕日」よりも少し前の時代背景だ。
夢がさめてから、ほろ苦い青春の思いでにひたった。
夢判断をするどころではなかった。
あのころ、ぼくに想う人がいたのだろうか。
……と考えているところで目がさめた。

夢のまた夢をみていたのだ。

目の前の本棚には井上雅彦の「異形コレクション『帰還』」が読みかけのままおいてあった。




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曼殊沙華と秋海棠の花が今年も咲いています。 麻屋与志夫

2021-09-14 11:47:43 | ブログ
9月14日 火曜日
秋海棠が咲いている。
芭蕉が「西瓜の色」と詠んでいる。
上手いなぁ。
さすが芭蕉、食べ物の色にたとえるなんて。
素晴らしい感性だとおもう。
なにか、自然と近寄りたい感じの色と花柄だ。
だから花言葉は、恋の悩み、片思い。
淡いピンク色の楚々としたかわいらしい花だ。
下をうつむいているのも、いい。
なびいてくれそうな情緒、それでいて近寄ると素っ気ない。
まさに片思いの花。
わが家の半日陰に咲く秋の到来を知らせてくれる花だ。

そして曼殊沙華。
この花は墓地に咲いていたりするので、かわいそうな名もある。
彼岸花はいいとしても、お墓ばな、ジャンボばな、というのはすこしかわいそうだ。
「じゃんぼ」というのはこの地方で葬式を意味している。
それに「死人花」にいたっては何か残酷で悲しい時代劇を思い起こしてしまう。

この曼殊沙華は下澤から来ていた塾生の星野さんが。
「近所のあぜ道に咲いているよ」といって持ってきてくれたものだ。
あの姉妹もすでに三十歳半ば、どうしているだろうな?
毎年、この季節になると庭を飾ってくれる。

「おーい」
と妻に呼びかける。
「教室の前に曼殊沙華が咲いているよ」
「わたしが、春のうちに球根を移植しておいたのよ」
妻が書斎人のわたしを楽しませるために―ー。
狭い庭だが薔薇をはじめかずかずの花を育てて楽しませてくれている。

秋風に競い合うように秋海棠と曼殊沙華がゆれている。
「どう、わたしたちキレイでしょう」




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いちばんオイシイモノをこれから食べるGGです。 麻屋与志夫

2021-09-10 17:53:28 | ブログ
9月10日 金曜日
「とうとう、ルナだけか。さあ、英語の勉強しよう」

GGは黒板に向って、英語の授業を始めた。
中学生の熱気でブァンと教室が膨らんだような時があった。
教え子の顔がつぎつぎとうかぶ。教室には今は、生徒はいない。

「母国のアメリカに行ったときに英語が理解できないと困るからな」
GGは一人寂しくアメショウのルナを相手に一人授業を始めていた。
ルナは神妙な顔でGGを見あげている。

いつかはこういう時が来る。
それは覚悟していた。
でも、生徒が中二が一人。教室はいつもガランとしてさびしいかぎりだ。

歳を重ねるということは、一過性のことなので何が起きるかわからない。
脳梗塞で倒れた時、ベットで、「イシの力ではどうしようもないことなので、驚いた」
と、ロレロレの発音でいった。
担当医が目を白黒させて驚いていた。
それで気がついた。
わたしは「意志」といったのだが彼は「医師」と聞き取ったらしい。
I am strong-willed. おもわず英語になった。
「あっ。アサヤ先生だ」看護師が教え子のKちゃんだった。
保険証の名まえ麻屋とはちがうので、わからなかったらしい。
街にでても、懐かしい顔に声をかけられる。

さて、これからが本番。
一番やりたかったことで、がんばりぬきたいものだ。
もちろん、小説を書くことだ。
この年になって、一番やりたかったことだけ考えて過ごせる。
なんと幸せなことだろう。
一番食べたいものを、最後にまわしたこどものような心境だ。

あと、二十年は頑張るからな。
一緒に、死のうよ、ルナちゃん。
そうすると、ルナも、猫の歳で百歳くらいになるのだろう。



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田舎町でのシンプルライフを妻と愛猫のルナとたのしんでいます。麻屋与志夫

2021-09-08 13:35:59 | ブログ
9月8日 水曜日
断捨離断固反対のGGの生活。
捨てるという行為そのものがGGはきらいなのです。
街に捨て猫がいると拾ってきて家猫とする。
迷い込んできた猫も家に招き入れる。

ひとたび買ったものは手放したくはない。
自ら進んで買った衣類は、ブルックスブラザーズの黒のポロシャツくらいだ。
胸の金の羊の刺繍がきにいった。
いまは刺繍ではなくなっていますよね。
だから捨てるほどの衣類はないつもりです。

捨てるということは、それらのモノを買ったからです。
GGは買うのは本だけです。
本はあります。
書店が開けるほどあります。
そうなると、「本、売らない」というカミさんの言葉もうなづけます。
いまどき、古本など売れるのでしょうか。

ともかく、なにも増やさない。減らさない。という生活が好きです。

これ以上、シンプルにしようがないという暮らし方が好きです。

贅肉を長年かけてそぎ落としてきました。
具体的にはGGは、体重八十五キロから六十五キロに減らしました。

友達もOさんと昔塾を手伝ってくれていたKさんの二人だけです。
トウキョウでも二人。作家のKさんと演出家のIさん。
友達はもっとおおぜいいたのですが、みなあちらに移住してしまいました。

寂しいです。

家族は妻と愛猫ルナとの三人暮らし。
田舎町なので、静かなものです。
裏山では小鳥がさえずっています。
妻が丹精込めたバラの庭を眺めながら、小説を書いています。
さっぱりお座敷がかからないので。
この年になって持ち込みをしてみようかな。
などと、突拍子もないことを考えることもあります。
無理だろうな。編集者にオバケがでたと思われることでしよう。

妻は終活をそろそろ考えだして、モノを捨てることを考えています。

ただし、「これいただくわ」症候群いはまだに発動中。
だからモノが増えてしまうことに、いやけがさしていいるのかもしれませんね。
買うといつても、ささいな小物ばかり。

かわいそうです。

GGに働きがないから、昔のように家具を買ったり和服を買ったりすることはてきません。
かわいそうです。
その反動で、物を捨てるすてることばかり考えているのかな。
もしGG奇跡がおきて、作家としてカムバックしたらなにを買いたいのだろうな。

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三尺下がって死の影を踏まず。 麻屋与志夫

2021-09-02 15:09:12 | ブログ
9月2日 木曜日
某年、某月、某高校の先生、某君。別に、プライバシーを重んじての書きだしではない。
最近とみに、過ぎ去った日びの記憶があいまいになってきている。
もっともこれは、小説を書くのに必要としない事は忘れようとしているからかもしれない。

「三尺下がって死の影を踏まず」なんて書く生徒がいた。
彼がそう嘆いていたのだけははっきりと覚えている。
死ではなく、師ですよね。
誰から聞いた話か。
高校の先生だった。
いつ聞いたのか。
まったく覚えがない。
今では、師恩なんて言葉も死語だろう。
とんと耳にしなくなった。

何故こんなことをおもいだし、書きだしたのか。
コロナ禍で、学校のリモート授業が話題になっているからだ。
知識を身につける。
そして、いい成績をとる。
勉強はそれだけではない。

先生の謦咳に接する。

先生の話を身近で聞く。
せきばらいをみじかにかんじる。
そして影響を受ける。

むかし旧制中学だったとき、一高や東大生が非常勤の講師ではるばる東京からきていた。
その理由が泣かせるじゃありませんか。
農業科も併設していたので……月に二度ほど豚汁が食べられる……でした。
当時、結核に罹っても、予防するにも、栄養をつけるために肉などありませんでした。

お金をもっていてもないものはないのだから、どうしょうもありませんでした。

その東京からきた若い先生たちの謦咳にせっしたので、わたしはかなり頭がよくなったのだと信じています。

コロナでのリモート授業。

先生の謦咳にせっすることができない。
肉声の授業をうけられない。
先生も、ひょっとすると授業しながらあくびをする、さらにさらに、おならのおとがきこえた。
なんて楽しいことはなくなりますね。
ますます、師の恩などということばとは、ほど遠いところで、知識をつめこむだけの勉強がつづけられるのではないかと、案じています。


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