4月3日 水曜日 桜が咲きだした。
超短編29 きみとみし崖の桜は咲きたるか
小田垣鷹雄は航空便で初恋の彼女に俳句をおくった。定年となった。再就職の誘いはすべて断った。生まれ故郷の鹿沼にもどることにした。烏小路鹿子はあれからどんな人生をおくっているだろうか。それが気がかりだった。会うのがなつかしいやら、こわいやらでためらいがあった。その気持ちを俳句に託したのだった。
きみとみし崖の桜は咲きたるか
鹿子さんと別れた日。崖には桜が咲いていましたね。今でも咲いているでしょうか。桜に託して、鹿子さん元気ですか、と問いかけたのだ。ぜひお会いしたいです。
断崖の桜は見事に咲いていた。若木だったものがすっかりたくましくなっていた。そしてなによりも驚いたのはふたりで逢引の場所としていた坂田山は団地となっていた。家々が密集してまるでほかの場所に迷い込んだようだった。
「わたしも鷹雄さんと東京の大学に進学したい。親が許さないのよ」
気丈な鹿子がはじめてみせた涙だった。ふたりはまさに崖っぷちに立たされていた。ふたりで家をでるか、別れるか。崖には若い桜の木が見事な花を咲かせていた。
階段でつまづいた彼女の手からなんまいも短冊が宙にまった。そのとき鷹雄は彼女の下の段にいた。舞い上がった短冊を何枚か手をのばして拾ってあげた。それが鹿子と知り合うきっかけとなった。
「わたし、英語部の部長をしていた小田垣さんが好きだった。くちもきいたことがない。片思い。そこで、小田垣さんが階段を下の方から登って来た時。チャンスだと感じたの」
そこで、鹿子はわざと階段を踏み外した。手にもった短冊が宙に舞い上がった。
鹿子オバアチャんにもそんな青春。高校時代があったのだと美和に話したというのだ。
わかいふたりが意気投合して、恋人同士となるのにさしてじかんはかからなかった。
会えばあうほど恋心はもえあがった。土曜日がくるのがまちどおしかった。会えば彼女は俳句の話をした。鹿沼はむかしはとても俳諧の盛んな街だった。芭蕉のまごでしの与謝野蕪村の初めての句集が宇都宮で印刷された。鹿沼の隣町だ。このへんは旅館や、呉服屋、床屋、八百屋から魚屋まで街の旦那衆はみんな俳句をたしなんでいた。いまはその人たちをまとめているのがうちの父なの。彼女の家は『烏小路』といって街の通りの名になっているほどの富裕な名家だった。
「その影響でわたしも幼い時から俳句に興味をもっていたの」
彼女のいっていることは、もう耳には入らなかった。明日は上京する。このままもう会えないかもしれない。
わたしはそっと彼女の手をとった。彼女のあたたかさがつたわってきた。彼女の胸の鼓動がつたわってきた。いや激しく脈打っているのはわたしも同じだった。わたしは彼女を引き寄せた。夢中で、熱い口づけをかわした。唇をかさねた。そしてそれだけでは若い鷹雄の情熱はとどまらなくなっていた。
崖の先の鹿沼の街はむかしとあまりかわっていなかった。鷹雄は崖の上の小道を歩きだそうとして段差につまづいた。みるとこじんまりとした御影石の句碑がたっていた。その境界石につまづいたのだった。
『寒烏鷹ををめざして高く飛ぶ』鹿女とあった。
まちがいない、これは鹿子の句碑だ。彼女はわたしを恨んでいた。烏はまちがいなく彼女の分身だ。鷹はわたし。烏は鷹においつきその鋭いくちばしで攻撃してくる。一緒になれなかった恨みをその鋭いくちばしで鷹につきたてる。
恨まれているだろうとは思ってもみなかった。鷹雄はその場にへたりこんでしまった。
わたしも、老いたものだ。ふとみると方丈がある。少し離れて瀟洒な平屋の日本住宅。
句碑は方丈の脇に立っていたのだ。そして句碑も方丈も灯りのともっている家の広い庭の一部となっている。
鷹雄はおずおずと呼び鈴をおそうとして気づいた。表札には小田垣鷹雄 鹿子とあった。
なにか夢をみているようだった。これはなんどとなく鹿子とかたりあった未来のじぶんたちの、理想の愛の住み家ではないか。
「ここに家を建てましょう。鷹雄さんにも俳句作ってもらいたいわ。この街の文芸復興よ。昔のように俳句を創る人をたくさん養成しましょうよ。わたしは隣に方丈を建ててそこにこもり、俳句三昧の生活」
玄関の引き戸が開いた。
「お帰りなさい」
鹿子だ。セーラ―服の鹿子がそこに立っている。微笑んでいる。いま学校から帰ってきたばかりといったういういしい鹿子が満面に微笑をうかべている。
わたしは遠野物語にでてくる『マヨイガ』にひきよせられたのだ。鷹雄はふるえながらそうおもった。さきほどからの、ひとりごともここでつきる。恐怖はなかった。ふしぎと怖いというきもちにはならなかった。
「鹿子さん」
「いいえ。わたしは鹿子おばあさんの孫の美和です」
「孫? マゴ」
「そうよ。ここはオジイチャンと鹿子バアチャンの家でしょうな。表札にもそうでてたでしょう」
「鹿子は」
鷹雄はいちばん聞きたかったことを、座卓につくと美和に聞いた。
「それは母の口からきくのがいいわ。連絡しといたから明日は東京からもどってきますから」
慶応大学の文学部の教授になっている。それも英文科。鷹雄が在学した科だ。
鷹雄は卒業して外交官となり海外生活。そしていま、なつかしい故郷にいる。
「鷹雄オジイチャンのメール届いていたから。母はすぐかけつけられる準備はできているはずよ」
「聞かせてくれ、鹿子さんは」
「オジイチャン海外生活がながいから。妻にはさんをつけなくてもいいでしょうな」
「お母さんにしかられるけど、じゃあわたしから話すね」
「鹿子おバアチャンは……」
この時、美和の携帯が着信音を奏でた。
「母からよ。オジイチャンが句碑を見ていると母には連絡しといたの」
「お母さん、ちょっとまって」
コードをテレビにつないでいる。
テレビからなつかしい鹿子の声がが聞こえてきた。声だけではない。
「お父さん、お帰りなさい。会いたかったわ。長い間の海外勤務ご苦労さまでした。お父さんの外交官としてのご活躍は逐一母に知らせておきましたのよ。母もお父さんが帰鹿するのをたのしみにしていましたのに……」
「ただひとたびの契りなれども、わらわは生涯のちぎりとおもいて……」
美和が気取って朗誦するようにいった。
「わたし、日本の古典文学がすきなの。俳句も大好き、鹿子おばあちゃんに負けないような俳句作家になるわ」
孫の美和と方丈で、妻の鹿子をしのび俳句を、文学を勉強する老後の暮らし。
それも、わるくない、と鷹雄は思った。
娘どころか孫までもいるとは——マルチバースの世界に迷い込んだような不思議な感覚にひたっていた。目の前にいるのは鹿子だ。あの時の、鹿子とおなじ歳だ。鷹雄は目がウルムのを覚えた。外交官という職業柄、けっして感情的にはならなかった。鹿子とわかれてからの年月、長い時間の中で涙をこぼしたことがなかった。
涙がほろりとほほをつたった。涙はとまらなかった。まるで鷹雄も青春の初めの季節、鹿子と別れた時点に立ち返り、ながした涙が、またわきだしたようだった。美和がお酒を用意してくれた。おちょこが二つある。
「まだ早すぎるんじゃないか」
「おじいちゃん。一八歳で成人式は済ませたの。運転免許だってもっているんだから。明日は母と三人で日光に行きましょう。三仏堂の前の金剛桜みにいきましょうよ」
なんでも、ほんとうに知っているようだ。あの場所は鹿子とデートでなんども訪れたお気に入りの場所だ。
「だったら四人で行こう」
セピヤ色にいろあせた片時も離したことのない鹿子の写真を鷹雄は泣きながらテーブルのうえに置いた。
桜の花をこよなく愛していた鹿子だ。
鹿子にも三仏堂の金剛桜を見せてあげたい。
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超短編29 きみとみし崖の桜は咲きたるか
小田垣鷹雄は航空便で初恋の彼女に俳句をおくった。定年となった。再就職の誘いはすべて断った。生まれ故郷の鹿沼にもどることにした。烏小路鹿子はあれからどんな人生をおくっているだろうか。それが気がかりだった。会うのがなつかしいやら、こわいやらでためらいがあった。その気持ちを俳句に託したのだった。
きみとみし崖の桜は咲きたるか
鹿子さんと別れた日。崖には桜が咲いていましたね。今でも咲いているでしょうか。桜に託して、鹿子さん元気ですか、と問いかけたのだ。ぜひお会いしたいです。
断崖の桜は見事に咲いていた。若木だったものがすっかりたくましくなっていた。そしてなによりも驚いたのはふたりで逢引の場所としていた坂田山は団地となっていた。家々が密集してまるでほかの場所に迷い込んだようだった。
「わたしも鷹雄さんと東京の大学に進学したい。親が許さないのよ」
気丈な鹿子がはじめてみせた涙だった。ふたりはまさに崖っぷちに立たされていた。ふたりで家をでるか、別れるか。崖には若い桜の木が見事な花を咲かせていた。
階段でつまづいた彼女の手からなんまいも短冊が宙にまった。そのとき鷹雄は彼女の下の段にいた。舞い上がった短冊を何枚か手をのばして拾ってあげた。それが鹿子と知り合うきっかけとなった。
「わたし、英語部の部長をしていた小田垣さんが好きだった。くちもきいたことがない。片思い。そこで、小田垣さんが階段を下の方から登って来た時。チャンスだと感じたの」
そこで、鹿子はわざと階段を踏み外した。手にもった短冊が宙に舞い上がった。
鹿子オバアチャんにもそんな青春。高校時代があったのだと美和に話したというのだ。
わかいふたりが意気投合して、恋人同士となるのにさしてじかんはかからなかった。
会えばあうほど恋心はもえあがった。土曜日がくるのがまちどおしかった。会えば彼女は俳句の話をした。鹿沼はむかしはとても俳諧の盛んな街だった。芭蕉のまごでしの与謝野蕪村の初めての句集が宇都宮で印刷された。鹿沼の隣町だ。このへんは旅館や、呉服屋、床屋、八百屋から魚屋まで街の旦那衆はみんな俳句をたしなんでいた。いまはその人たちをまとめているのがうちの父なの。彼女の家は『烏小路』といって街の通りの名になっているほどの富裕な名家だった。
「その影響でわたしも幼い時から俳句に興味をもっていたの」
彼女のいっていることは、もう耳には入らなかった。明日は上京する。このままもう会えないかもしれない。
わたしはそっと彼女の手をとった。彼女のあたたかさがつたわってきた。彼女の胸の鼓動がつたわってきた。いや激しく脈打っているのはわたしも同じだった。わたしは彼女を引き寄せた。夢中で、熱い口づけをかわした。唇をかさねた。そしてそれだけでは若い鷹雄の情熱はとどまらなくなっていた。
崖の先の鹿沼の街はむかしとあまりかわっていなかった。鷹雄は崖の上の小道を歩きだそうとして段差につまづいた。みるとこじんまりとした御影石の句碑がたっていた。その境界石につまづいたのだった。
『寒烏鷹ををめざして高く飛ぶ』鹿女とあった。
まちがいない、これは鹿子の句碑だ。彼女はわたしを恨んでいた。烏はまちがいなく彼女の分身だ。鷹はわたし。烏は鷹においつきその鋭いくちばしで攻撃してくる。一緒になれなかった恨みをその鋭いくちばしで鷹につきたてる。
恨まれているだろうとは思ってもみなかった。鷹雄はその場にへたりこんでしまった。
わたしも、老いたものだ。ふとみると方丈がある。少し離れて瀟洒な平屋の日本住宅。
句碑は方丈の脇に立っていたのだ。そして句碑も方丈も灯りのともっている家の広い庭の一部となっている。
鷹雄はおずおずと呼び鈴をおそうとして気づいた。表札には小田垣鷹雄 鹿子とあった。
なにか夢をみているようだった。これはなんどとなく鹿子とかたりあった未来のじぶんたちの、理想の愛の住み家ではないか。
「ここに家を建てましょう。鷹雄さんにも俳句作ってもらいたいわ。この街の文芸復興よ。昔のように俳句を創る人をたくさん養成しましょうよ。わたしは隣に方丈を建ててそこにこもり、俳句三昧の生活」
玄関の引き戸が開いた。
「お帰りなさい」
鹿子だ。セーラ―服の鹿子がそこに立っている。微笑んでいる。いま学校から帰ってきたばかりといったういういしい鹿子が満面に微笑をうかべている。
わたしは遠野物語にでてくる『マヨイガ』にひきよせられたのだ。鷹雄はふるえながらそうおもった。さきほどからの、ひとりごともここでつきる。恐怖はなかった。ふしぎと怖いというきもちにはならなかった。
「鹿子さん」
「いいえ。わたしは鹿子おばあさんの孫の美和です」
「孫? マゴ」
「そうよ。ここはオジイチャンと鹿子バアチャンの家でしょうな。表札にもそうでてたでしょう」
「鹿子は」
鷹雄はいちばん聞きたかったことを、座卓につくと美和に聞いた。
「それは母の口からきくのがいいわ。連絡しといたから明日は東京からもどってきますから」
慶応大学の文学部の教授になっている。それも英文科。鷹雄が在学した科だ。
鷹雄は卒業して外交官となり海外生活。そしていま、なつかしい故郷にいる。
「鷹雄オジイチャンのメール届いていたから。母はすぐかけつけられる準備はできているはずよ」
「聞かせてくれ、鹿子さんは」
「オジイチャン海外生活がながいから。妻にはさんをつけなくてもいいでしょうな」
「お母さんにしかられるけど、じゃあわたしから話すね」
「鹿子おバアチャンは……」
この時、美和の携帯が着信音を奏でた。
「母からよ。オジイチャンが句碑を見ていると母には連絡しといたの」
「お母さん、ちょっとまって」
コードをテレビにつないでいる。
テレビからなつかしい鹿子の声がが聞こえてきた。声だけではない。
「お父さん、お帰りなさい。会いたかったわ。長い間の海外勤務ご苦労さまでした。お父さんの外交官としてのご活躍は逐一母に知らせておきましたのよ。母もお父さんが帰鹿するのをたのしみにしていましたのに……」
「ただひとたびの契りなれども、わらわは生涯のちぎりとおもいて……」
美和が気取って朗誦するようにいった。
「わたし、日本の古典文学がすきなの。俳句も大好き、鹿子おばあちゃんに負けないような俳句作家になるわ」
孫の美和と方丈で、妻の鹿子をしのび俳句を、文学を勉強する老後の暮らし。
それも、わるくない、と鷹雄は思った。
娘どころか孫までもいるとは——マルチバースの世界に迷い込んだような不思議な感覚にひたっていた。目の前にいるのは鹿子だ。あの時の、鹿子とおなじ歳だ。鷹雄は目がウルムのを覚えた。外交官という職業柄、けっして感情的にはならなかった。鹿子とわかれてからの年月、長い時間の中で涙をこぼしたことがなかった。
涙がほろりとほほをつたった。涙はとまらなかった。まるで鷹雄も青春の初めの季節、鹿子と別れた時点に立ち返り、ながした涙が、またわきだしたようだった。美和がお酒を用意してくれた。おちょこが二つある。
「まだ早すぎるんじゃないか」
「おじいちゃん。一八歳で成人式は済ませたの。運転免許だってもっているんだから。明日は母と三人で日光に行きましょう。三仏堂の前の金剛桜みにいきましょうよ」
なんでも、ほんとうに知っているようだ。あの場所は鹿子とデートでなんども訪れたお気に入りの場所だ。
「だったら四人で行こう」
セピヤ色にいろあせた片時も離したことのない鹿子の写真を鷹雄は泣きながらテーブルのうえに置いた。
桜の花をこよなく愛していた鹿子だ。
鹿子にも三仏堂の金剛桜を見せてあげたい。
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