田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

気分は流行作家

2008-03-27 09:51:13 | Weblog
3月27日 木曜日
気分は流行作家 (随筆)
 いつの頃から便所をトイレと呼ぶように、わが家ではなったのだろうか。
 おもいだせない。
 ぼくは神経質なので、いまでもむかしの便所の夢をみる。世に言う縦穴式。底のほうは暗く、そのつど地球の引力のお世話になるあれである。
 たまらなくていいものが、うずたかく累積しその上に屋上屋を架するといった行為をある朝しょうとするとできない。いっぱいなのだ。
 ぼくは、鹿沼市にながいこと住んでいる。なにかと迷惑をおけているのに申し訳ないが、行政がおそまつである。いくら頼んでも汲み取りにきてもらえないで困ったときの体験が、いまでも夢にでるのである。かれこれ、十五年も前のことである。
 いまでは、水洗になっているから、心配はない。むかしのことを、よく覚えていてあれこれ言われたくはないだろう。偏屈ものの三文文士など、おらが町には住んでもらいたくない。と叱られそうだ。
 水洗になったときはうれしかった。
 白い便座のなかを流れる水音が、深山幽谷を流れる谷川のせせらぎのように聞こえたものだった。
 鹿沼市の名誉のために書きくわえておけば、地方都市としては、下水道の完備は全国的にみてもはやいほうだった。
 ところで、わずか四坪ほどであるが、芯縄の仕事場をこわした。家業である「麻屋」をよした。おそらく五百年くらいつづけてきた家業で、同業者がほとんどいない商売なのだが、それでも赤字である。ご先祖様には許していただくとして、ともかく廃業した。ぼくだけでも、四十年やってきた仕事だ。廃業した当初はただぼんやりと仕事場に椅子をもちだして座っていた。仕事場のあとにトイレと浴室と洗たく場を増築した。
 トイレはいつもの悪い癖だ。先々のことまで考慮にいれた。「麻屋」をよしたことで、時間の余裕もだいぶできた。よし、これからおおいにがんばって、小説を書こう。月産二百枚くらいは楽にこなさなければ。中年パワーをみせてやる。となると、人気がでる。原稿依頼が殺到する。坐業がつづく。ついにジになる。紙をつかうにも痛む。痛みには、ぼくは弱い。年をとったら、いまよりももっとがまんできなくなるだろう。まあ、そんなことは起きないだろうが。いや、原稿依頼は起こったほうがいい。トイレは、TOTO製ウォッシュレットGⅢTCF420にした。
 おしり洗浄。ビデ。乾燥機能。などが具備している。
 水勢調節までついているので、七つもブッシボタンがある。 
 広さも猫のミューとムックがかけまわれるほどだ。
 妻は観葉植物の鉢をもちこんだ。ぼくはそのうちWプロと机をもちこみ便座に座って仕事をしてみようかな。
 風呂場の浴槽は、いままでの立棺をおもわせる木製の純日本式から、洋式にした。ながながと寝そべるようにして、あたたまることができる。
 風呂ぎらいだ。妻に強要されないかと、何日でも入浴しなかった。そのせぼくが、なんと日に二度もはいるしまつだ。
 それにしても、今年の夏の気候はおかしかった。仕事の内容もかわった。座ったままで過ごす時間がながくなった。そのためでもあろうか。ぎっくり腰になった。この痛みは、経験したひとでないとわからない。あまり理解されないほうがいい。できれば、こんな苦痛は経験しないに越したことはない。
 さつそく、トイレと浴室の恩恵にあずかった。家業をやめたバチがあたつたのかもしれない。運動不足。筋肉が弱った。そこへきてこの長雨である。家の中でごろごろしていた。それが、腰を痛める原因となったのだろう。クーラーも悪い。湿度が高く蒸し暑い。一日中かけっ放しにしておいた。
 和式のトイレだとかがむので苦痛だったはずだ。洋式にしたので便座にでんとふんぞりかえっていられた。前にかがまないかぎり、痛まない。おしり洗浄のボタンを押す。乾燥ボタンを押す。あとはよきにはからえ。と殿様気分でいられた。
 湯船にながながとねそべって、窓外の庭の杏や黒竹、白モクレンを眺めた。流行作家にでもなった気分で長編小説の構想をねる。ぼくとしては、痛みと同居ではあるが、めずらしくゆったりりとした時間を過ごせた。
 じっは雨垂作家、ぽつんぽつんとしか稿料ははいってこない。この水洗のようにどっと勢いいい流れ、奔流となって原稿依頼がこないものか。とさもしいことをねがっていたのが現実だ。
 来年も杏はなるかな。
 竹は株をふやすかな。
 モクレンは咲くかな。
 となりの洗たく場の妻に、大声で話しかけた。
 洗濯機の音に負けずに妻がなにか応えている。
                     昭和63年 全作家24号より転載。