田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

老いの身にむち打ち

2007-09-25 22:47:16 | Weblog
9月24日 月曜日 晴れ
●「パパ、腰曲がってる」
鋭い叱責が背後からとぶ。腰に銃口を突き付けられたようにびっくり仰天した。両腕をホールドアップした。そのまま後ろに腰をそらせた。イナバウアー。と声に出した。周りのひとがおどろいている。

●ごみ箱の蓋を開けるペタルがこわれてしまった。息子がいる。車でホームセンターKに来た。車を下りた。たった10ぷんのドライブなのに体がかたまっている。それでカミサンから声がとんだ。「パパ、腰曲がっている」小柄で華奢なので若く見えるカミサン。こちらは、肥満で大柄。年寄りだ。この二人どんな関係なのだ。そんな顔で大勢の人がわたしたちを注視している。そこで、わたしはおどけて、イナバウアー。とやったものだ。

●ごみ箱は手ごろなのが見つかった。体はぎすぎすしたままだ。ゼリア新薬のコンドロイチンでものもうかしら。年は争えないな。

●息子夫妻が東京へ帰って行った。新婚旅行は実家で、過ごしてくれた。四人で過ごしたこの三日間をわたしは生ある限り忘れない。うれしかつた。

●また、カミサンとふたりだけの生活がもどってきた。涼しくなってきた。原稿書けそうだぞ。がんばるぞ。老いの身にむち打ち小説を書き続けなければ。

●知らなかった。カミサンがひそかに写真を添えてくれた。庭に咲くホトトギスだ。花言葉は、永遠にあなたのもの。

日本ロマンチック街道

2007-09-25 12:36:42 | Weblog
9月23日 日曜日 小雨
●「ガスってる」
隣で車のハンドルを握っている息子が しばらく沈黙した後でいう。霧がでた。というさきほどのわたしの言葉への返事だった。スノーボダーはこういう天候になった時、「ガスってる」というのだそうだ。息子はわたしにいろいろな言葉をおしえてくれる。それがむしょうにうれしい。本からしか言葉を学んでいないわたしには、おおぜいの仲間に支えられて生きている息子の言葉の知識はリアルで新鮮だ。                   

●碓氷峠にさしかかっていた。
雲の中を移動している。もじどうり視界0。車を止めて小休止。修理工場なのだろうか。オートバイの廃車が山積みとなっている。
「解体屋かもしれないな」と息子。酔い止めの薬「センパア」を飲んでいるのでうとうとしているカミサンを車にのこして外に出た。息子はタバコを吸い出した。Iちやんがそばに連れ添っている。新婚の二人と昨夜は、プリンスホテルウエストのコッテージに宿泊した。「一緒に泊まろうよ」と誘ってくれた。
そして、帰りは車で送ってくれることになった。

●休んでは走り、走っては休みした。濃霧の中をのろのろ運転して沼田に出た。息子のよりつけの店、「ゆき藤」で夕食。まさに割りばして食べられるほど柔らかなおいしいトンカツだった。口の中で肉のあじが広がり衣がサクサクとしておいしかつた。ここは群馬県。ときあたかも、地元出身の福田康夫自民党新総裁がテレビで記者会見にでていた。客がよろこんで拍手していた。

●金精峠を越えた。ときどき濃霧に脅かされた。R120を直進。湯ノ湖。戦場ヶ原。中禅寺。夜なので景色は見られなかったが、それが幸いした。なぜ、かわいい息子を小学校4年生の二月期に東京へ転校させなくてはならなかったか。どんなおもいで幼い息子を育てたか。長い話をすることができた。

●日光からR121を経て鹿沼。

●息子がパソコンで帰路の全行程を調べプリントアウトして地図を張り合わせてつくってくれた。

●「へえ、日本ロマンチック街道を走ってきたんだ」と息子。全長350キロ。
「スタート地点の上田の女性と到着点の鹿沼の男が11年の交際で愛をみのらせて結婚したってことだ。おれに脚本がかけたらNHKの朝ドラ向きの話がかけるのにな」とわたし。
スノーボードに青春のすべてを捧げた息子をまぶしい目であらためてみつめた。

●機会をつくり再度「日本ロマンチック街道」を走破したい。ともかく、わが家の前の道が軽井沢から上田に通じているのだ。ゆっくりと景色を楽しみながら小さな旅あるきをしたい。若かったら、自転車でということもあるのだろうが、それはむりだろうな。

息子の結婚

2007-09-25 10:35:34 | Weblog
9月22日 土曜日 晴れ
●息子が結婚した。三日ほどブログが書けなかった。でも書くことはいっぱいある。
ブログの空白の三日間はぼつぼつうめていくつもりだ。

●息子が長い交際を経て美しく心やさしい妻をゲットした。これで二人の娘、長男にして末っ子も結婚した。こんなうれしいことはない。

●軽井沢は「石の教会」。内村鑑三記念堂にて結婚式をあげた。内村鑑三の「無教会」の考え方にも感動した。石造りのなんの装飾も施されていない堂内から秋の青空がみえていた。

●披露宴でのわたしのスピーチ。
みなさん、今日は息子の結婚式においでいただきありがとうございます。
ご挨拶がおくれました。すこし酔っています。嬉しさにも酔っています。
おやじはすこし酔ってから挨拶してもらった方がいい。という、息子の配慮だと思います。
素面だと堅苦しいことを言い出すかもしれない。まあそう思われても当然です。ひねもす書斎にこもって、あまり外にはでません。世間知らずのおやじ、昭和一桁生まれのスピーチです。いま、式をあげてきた教会。内村鑑三記念堂。わたしにはひとつの思い出があります。 終戦の翌年、最後の旧制中学に入りました。札幌農学校。クラーク先生の言葉。
Boys be ambitious. 少年よ、野望をいだけ。大志をいだけ。希望をいだけ。
いまでしたら、坂本九ちゃんの歌のように「上を向いて歩こう」くらいでいいような気がします。一歩一歩大地をふみしめ希望にもえる人生を若い二人には歩んでもらいたいと思います。悲しみにであったら、ふたりで泣いてください。涙をながしてください。こらえなくてもいい。
わたしがいま流しているのは、うれし涙ですからご安心ください。息子が生まれてから今日までの思いがこの一瞬に収斂して涙になってしまいまた。
これからは、ふたりで愛のある家庭、いつも笑顔、そして笑い声のある家庭を築いてください。

●披露宴でお世話にった「ホテルブレストンコート」のみなさんありがとう。
フランス料理おいしかつたです。モーニングの着付けを手伝っていただいた宇都宮大学卒のかたありがとう。