最後の11章、「森番の天皇」です。
「自然といわず生命といわず、あらゆるところに、自分の原理を浸透させていこうとする押しつけがましさが、キリスト教と資本主義と科学主義という、西欧の産んだ、グローバリズムの三つの武器には共通している。」
「このうちの資本主義と科学主義を受け入れてきた日本は、それによってずいぶん得をした反面、心の内部の深いところまで、その原理の侵入を許してしまった結果、今や、大いに苦しめられている。」
近代化という言葉で自然を破壊し、「森ビル」が金の力で、庶民を土地から追い立て、東京を無惨に作り替えていると語ります。この意見には、うなづかされるものがあります。
「僕たちの心情の中に、グローバリズムへの反感が根強くわだかまっているのは、そのためである。僕たちの心の奥には、経済的合理主義に合うように作り替えられるのを拒否しようとする頑固な部分が、まだ生き残っている。」
そして氏は、この主張の延長線上に天皇を持ってきます。
「もしも天皇制が、グローバリズムに対抗する聖なる空間の場所として、自分をはっきりと意識するとき、この国は救われるかもしれない。」
「そのとき天皇は、この列島に生きる人間の抱いているグローバリズムに対する否定の気持ちを表現する、真実の〈国民の象徴〉となるのではなかろうか。」
なんとなく共感するのは、ここまでです。千葉日報に記事を配信する共同通信社が、「知の巨人」として賞賛する氏の意見の、独特の展開が始まります。
「女性天皇の誕生をもって、明治天皇に始まる近代天皇制は、終わりを迎える。そのとき北方ツングース的な、男系原理に代わって、南方的・縄文的な双方原理が、皇室の中によみがえり、都心の森に住んでいることが、文明開花や富国強兵や、」「八紘一宇や経済大国などを、自ら否定して乗り越えていく、新しい〈森の天皇〉の生き方を、象徴するものである。」
言論の自由な日本ですから、氏の意見に反対しませんが、中身には賛成しません。氏の意見は日本の過去の否定であり、歴史と文化の否定に繋がる極論です。双方原理という言葉は、天皇は父系でも母系でも良いという意味ですから、私には受け入れ難い意見になります。
ご先祖さまが継承してきた、父系天皇の流れを守ろうと多くの国民が考えているとき、氏は双方原理という意見を出します。
「そのとき初めて天皇制は、この列島の大地に根を下ろすことが、できるのではないだろうか。」
しかし一方では、そうなった時に日本の皇室が崩壊すると考える人もいて、私もその一人です。
「天皇を頭にいただく朝鮮半島からの移住者を、この列島の先住民である縄文人たちは、何はともあれ受け入れたのである。その時から、異質な文明同士が混じり合って、お互いの長所を引き出しながらこの文明を作ってきた。」
日本には、今から約1万6000年前から約3000年前まで、北海道から沖縄本島にかけて、縄文人が住んでいました。狩猟・漁労の採取生活をしていたところへ、稲作文化を持つ弥生人が渡ってきたと習いました。それを朝鮮半島からの移住者と断定して良いのか、古代史には諸説がありますので、私は氏の説を是としません。
「朝鮮半島からの移住者」と書けば、朝鮮人であるように聞こえますが、半島経由で渡ってきたのは、ユダヤ民族だという学者もいます。こんなところにも、氏の学問的な曖昧さがあります。
「天皇制の中には硬い北方的な殻が生き続け、この列島の多様な伝統と真の融合を阻んできた。その歴史が変わるのだ。」
「硬い殻」というのは、「父系制の天皇」を指していますが、このことがどうして日本の多様な伝統や、融合を阻んできたのでしょう。「大地の歌」の翻訳にしても、ここまで飛躍しますと、疑問が生じます。
この本が出版されたのは、平成17年の5月です。ちょうどこの頃、小泉総理が有識者会議を作り、「女性宮家」の創設を図り、皇室の崩壊に力を入れていました。
先日のブログで、12月22日に出された『有識者会議報告書』をブログで取り上げ、青山繁晴氏の言葉を紹介しました。
「小泉内閣時代に、女系天皇にしてしまおうとし、日本の天皇家を終わりにするとしたことが、全部覆されたに等しい内容です。」
平成18年の9月6日に悠仁様が誕生されたため、「女性宮家」の検討が中断され、現在に至っていますが、その最中にこの本が出版されていたというのは、単なる偶然でしょうか。
中沢氏は今でも著名人で、信奉者も多数いますが、私には縁遠い人です。反日左翼とは違うとしても、吉田元総理の言葉を借りて言いますと、「曲学阿世の徒」ではないかという気がします。
本日で終わりますが、関心を持たれる方は、自分で氏の本を手に取り、お確かめください。
とても是認できませんが、
「森の番人」論には、多くの示唆すべきところもあると思います。
そこは、興味あふれるところです。
しかし、この、論考にも、あまりにもステレオタイプ(紋切り型)な議論も鼻につきます。
たとえば、男系父系原理を北方ツングース型としたり、
母系制を南方的とする議論は、あまりにも陳腐な論理であり、
今日の文化人類学者であれば、もう誰も問題にもしない旧学説です。
(※確かに南太平洋諸島の一部の民族には母系性社会もありますが、ベトナムやタイなどは、日本以上に男系父系制社会です
逆に、北方系のツングース(満州民族)やモンゴル人などは、家系継承は男系主義が原則ですが、女権の勢力も強く、日本にはいないような猛女もいます
※ですから、北方系であるとか南洋系であるとかの、いちがいな議論は、できませんね。どちらの場合も日本には当てはまらないと思います。)
●また弥生式文化が朝鮮もしくは朝鮮半島由来であるという説も、まともな日本人学者であれば、問題にもしないと思います。
◆しかし、日本の皇室が、「森の民」の擁護者であり、縄文人の継承者であるという説であれば、
首肯いたします。
※それにしましても、最近の猫様のブログは、いろいろ興味深い問題提起をなさっておられ、
たいへん勉強になります。🐱
このア-スダイバーの著書(中沢新一さんですかね、、、、、)は、どういう思想的な立ち位置の人か存じませんが、
明らかに改新的リベラリストな人物だとは思いますが、旧弊な左翼の分類には入らないと思います。
まぁ、私の突飛な感想ですが、
思想的には、
「風の谷のナウシカ」の宮崎駿さんや、
「精霊シリーズ」の小説を書いていらっしゃる上橋菜穂子さんに、近いんじゃないかと思います。。。。。
共感できる部分と、共感出来ない部分が相い半ばすると言うところですが、
(中沢さんには、)
皇位継承問題には、安易なことは、おっしゃって頂きたくないですね。
思想家とか、学者とか言われる人は、立ち位置をはっきりさせることが大事であると思います。
右でもあり左でもあり、右でも左でもないという立場であるとしたら、その人の意見は、現在の問題の解決には役に立ちません。
中沢氏に限りませんが、左傾の人々に共通しているのは、
1. 社会的弱者への同情と理解
その裏返しとして、
2. 反権力、反政府
となります。
1.と2.を、熱心に語り、権力の横暴や独断を批判し、厳しく追求すれば、多くの国民が喝采します。
こういう意見は、左傾の人でなくても主張しますが、勇ましさという点で、共産党を頂点とする左系の人々にはかないません。
不満を持つ弱い立場にある人々や、若者が、共産党に引かれる理由の一つが、ここにあります。
政府の腐敗や不正に対し、断固として戦いますから、自分たちの強い味方だと思います。強い味方の共産党が政権を取ったら、どういう国ができるのかにいては、思考しません。
反権力、反政府、反自民と、ここまでなら、私は左傾の人たちと同様の気持ちがあります。
しかしこれが、反日、反日本という、「自分の住む国」への否定につながることには、反対します。
中沢氏の曖昧さを、私は危険します。パスポートの話を読めばわかりますが、自分を守ってくれるパスポートを利用していながら、国の悪口を言うのは正しくないのです。
「自民党」はイコール「国」ではありません。反日の政党しかいないから、自民党が国民の多数の票を得ているだけで、日本の歴史や文化を大切にする党が、他にあれば、自民党の安定多数は無くなるはずです。
中沢氏の曖昧さは、若者の多くを、反権力、反政府へ導くだけでなく、反日、皇室の崩壊へと誘います。
私はやはり、氏は「曲学阿世の徒」であるような気がいたします。「双方原理」などという言葉を弄ぶところが、良い例です。目新しいことを言い、世間の注目を引き、楽しんでいるのかもしれません。
「皇位継承問題には、安易なことは、おっしゃって頂きたくないですね。」
同意するとともに、真摯なコメントにお礼を申し上げます。