〈 十六闋 主殿寮 ( とのもれう )「天暦の治」の本当の姿 9行詩 〉
村上天皇の編纂された「勅撰集」が、後世高く評価された理由に関する渡部氏の解説を紹介します。
「日本人は古代から、和歌には特別の考え方や信仰を持っていた。万葉集には、天皇の歌も旅の遊女の歌も、等しく採録されている。そこには身分の貴賎、男女の差別は認められない。」
氏はここに、キリスト教の説く「神の前の平等」、近代人が言う「法の前の平等」に似た考え方があると説明します。
「古代の日本人には〈 和歌の前の平等 〉という発想があった。和歌が上手であれば、神様にもなるし、出世もするし、勅撰集の中で皇族・公家とも肩を並べることができる。」
「これは言霊 ( ことだま ) 信仰とも結びついてたから、堂々たる漢文で書かれた『日本書紀』の中でも、和歌は漢訳せずに、漢字を音標文字として用いて表記した。そこに用いられたいわゆる大和言葉に対する信仰が、和歌の日本人の心に占める比重を大きくしている。」
「古代の日本人の〈 和歌の前の平等 〉という発想」「言霊 ( ことだま ) 信仰」と言う二つの説明に心を動かされました。八百万の神様のいる日本ならではの発想ではないかと、心に響きました。
今私の手元に、昭和46年に小学館が発刊した『万葉集 (一) 』があります。学生時代に買った本ですが、分厚い本で、収録歌があまりに多いため、読みおおせないままになっています。渡部氏の解説と似た言葉が「序文」にあったのを思い出し、引っ張り出してきました。
息子たちのためには、他の学者の解説も合わせて紹介する方が役に立つ気がします。この本の著者は次の3氏です。
小島憲之・・国文学者、大阪市立大学名誉教授
木下正俊・・万葉学者、関西大学名誉教授
佐竹昭広・・国文学者・万葉学者、京都大学名誉教授
三氏のどなたが書いたのか不明ですが、古代の日本人の和歌への強い思いが説明されています。詳しく紹介すると渡部氏の書評を外れますので、「序文」の共通部分を一部だけ紹介します。
「『万葉集』の中には天皇の作歌から、乞食の詠んだ歌までが入っている。皇族あり、高官あり、下級官人あり、兵士あり、僧侶あり、童女あり、遊行女婦ありと言うふうに、作者の階層という面でも多様性が如実に示されている。」
「時代の幅にしても、真偽の程は分からないが、十六代仁徳天皇の代から、四十七代淳仁天皇の代まで、数百年にわたり、地域的にも陸奥国 ( みちのくのくに ) から、筑紫国 ( つくしのくに ) までに広がっている。」
「この種々雑多な作品がどのようにして集められたか、誰も答えることはできまい。いわゆる作者未詳の1900首ばかりの歌、全体の四割以上を占めるこれらの歌は、どのようにして集められたのであろうか。」
古代中国にあった采詩官のような役目の者が、各地方にいたのかもしれないと言います。
「作業の行われた場所は、国府の官舎だったかもしれず、奈良朝末期あるいは平安のごく初期に、宮廷の図書寮 ( ずしょりょう ) に集められ編集されたと想像できる。」
特に私が注目したのは、次の説明でした。
「この想像を助けるものは、平安官人が『万葉集』に対して抱いていた、かなり根強い万葉尊崇の感情の存在である。」
「万葉尊崇の感情」と言う説明が、渡部氏の解説する「言霊 ( ことだま ) 信仰」につながる思考であり、八百万の神を信じる日本人の思いと重なるのでないか、と考えました。
「平安時代の歌人たちは、自己の詠んだ歌に対して、絶えず『万葉集』の歌を意識していた。」
「純然たる勅撰集ではないまでも、平安人は『万葉集』をほとんど勅撰なみに受け取っていたことが推察される。」
勅撰集とは、天皇または上皇の命令により,撰者が指名され,組織的な詩集,歌集として編集,奏上された漢詩集、和歌集を言うそうです。古代の人々は大和言葉で書かれた和歌を、日本人の心として大切にし、それが今日の「歌会始め」につながっていると分かりました。
皇室と国民の共通行事である「歌会始め」には、日本人特有の「言霊 ( ことだま ) 信仰」が生きていて、渡部氏の言う〈 和歌の前の平等 〉が実現していると思います。これが一般的でなく、「ねこ庭」でだけの解釈であるとしましても、私は満足しています。
すっかり横道へ逸れてしまいましたが、次回は〈 十六闋 主殿寮 ( とのもれう ) 〉の漢詩について、氏の解説を紹介します。