渡部氏と徳岡氏の解釈の違いは、最後の一行に表れていますので息子たちのため、紹介しておきます。
〈 渡部氏の解釈 〉
・将門と純友の他にも不満分子がいて天下大乱の兆しがあると、時代の流れを長いスパンで予測している。
〈 徳岡氏の解釈 〉
・英雄に愛想尽かしをされるのは新皇将門だけでなく、純友もやがてそうなると、乱を起こした二人の命運を予測している。
つまり徳岡氏は将門と純友の乱に焦点を絞っていますが、渡部氏は乱が終わった後の天下の乱れを語っています。渡部氏は歴史の流れを長く捉え、徳岡氏は「承平天慶の乱」に注目しているという違いです。もともと両氏の解釈が異なっていることは、渡部氏が 2ページの「はじめに」の部分で語っていました。
「 本書の中で大意として掲げた訳文は、徳岡久生さんの手になるものである。大部分は私の解釈と一致するが、いくつかの点では異なっている。」
「こういう圧縮した内容の詩には、解釈に一致させにくいところが出てくるのは当然であるから、そのまま掲げた。読者のためには、その方が良いであろう。」
両氏の解釈の違いが、ここで現れていることになります。違いがどこから生じるのか、どちらの解釈が正しいかについてここでは詮索しません。判断する材料が自分になく、それだけの知識もありません。
「一つの事実の解釈でも、受け取る者の器量が違った結論を導く。」
了見の狭いものは狭く解釈し、視野の広い者は自分に合った結論を導くということだと思います。渡部氏の著書ですから、渡部氏の解釈が述べられていますので、そのまま紹介します。
「頼山陽は、歴史が絵になるように書いた。多くの伝承の中から、彼はそれに相応しい場面を選んで詩にした。将門と純友が比叡山から皇居を見下ろす場面とか、田原藤太と会った時の将門の慌てた喜びようとか、こぼしたご飯を食べるところとかが、それである。」
「こういう場面は講談的な作りごとであっても、読者の記憶に残り、その場面を拠り所として、当時の状況が目に浮かんでくる。歴史は英語でヒストリィーというが、この単語には、〈 物語 〉と〈 歴史 〉の二つの意味がある。」
「歴史から物語の要素を除くと、読む者の記憶にはハッキリしたものが残らない。だから伝説は伝説として語り継ぐのが、真の歴史を生かす道ではなかろうか。」
この言葉は、前回紹介した幸田露伴の言葉に似ています。「お前らは嘘を信じ知る似非保守だ。」と「ねこ庭」のボウフラ君が得意げに言いますが、ボウフラ君の知的レベルも同時に見えます。
「ちなみに将門は合戦中、平貞盛の矢に当たって死に、純友は小野好古 ( よしふる ) に九州で敗れ、幕切れはあっけなかったが、地方での武士の蠢動は始まっていた。まさに、琴の一角が破れてきたのである。」
これが渡部氏の結びの言葉で、やがてくる武家時代の到来を示唆しています。続きは次回としますが、今回はスペースに余裕がありますので、「ねこ庭」のボウフラ君がどのようなコメントを寄せているのか、参考のために紹介します。
「お前等の〈言葉を軽く扱う〉、〈日本語を大切にしない〉姿勢は、似非保守の姿そのものだよな。」
「気違い共の集まる、デマで盛り上がって喜ぶ〈野良猫の溜まり場〉だけで通用する常識に染まり過ぎると、世間と掛け離れるから、横着せずに外出して本当の〈日本〉を見ろよ。」
ボウフラ君は共産党親派なので、「ねこ庭」の全てに八つ当たりします。時にはまともな鋭い意見もありますが、礼節を知らないので聞く気になれません。私がやんわりと反論しても、傷つくらしく、次には乱暴な言葉でコメントを入れてきます。ボウフラ君は「ねこ庭」で人を傷つけているのに、自分が傷つけられると過剰に反応します。他人のことが考えられない、現代っ子の自己虫です。自分の意見を聞いてもらいたいと思うのなら、社会常識としての礼節が要ります。
紹介したコメントは一部ですが、どういう読み方をするとこのような意見が出くるのか、面白いボウフラ君です。こんな状況下で綴られている「ねこ庭の独り言」であることも、一つの歴史として残しておきましょう。
次回は、〈 十六闋 主殿寮 ( とのもれう )「天暦の治」の本当の姿 9行詩 〉です。