ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『日本史の真髄』 - 86 ( 物語と歴史 )

2023-05-03 21:10:32 | 徒然の記

 渡部氏と徳岡氏の解釈の違いは、最後の一行に表れていますので息子たちのため、紹介しておきます。

 〈 渡部氏の解釈 〉

   ・将門と純友の他にも不満分子がいて天下大乱の兆しがあると、時代の流れを長いスパンで予測している。   

 〈 徳岡氏の解釈 〉

   ・英雄に愛想尽かしをされるのは新皇将門だけでなく、純友もやがてそうなると、乱を起こした二人の命運を予測している。

 つまり徳岡氏は将門と純友の乱に焦点を絞っていますが、渡部氏は乱が終わった後の天下の乱れを語っています。渡部氏は歴史の流れを長く捉え、徳岡氏は「承平天慶の乱」に注目しているという違いです。もともと両氏の解釈が異なっていることは、渡部氏が 2ページの「はじめに」の部分で語っていました。

 「 本書の中で大意として掲げた訳文は、徳岡久生さんの手になるものである。大部分は私の解釈と一致するが、いくつかの点では異なっている。」

 「こういう圧縮した内容の詩には、解釈に一致させにくいところが出てくるのは当然であるから、そのまま掲げた。読者のためには、その方が良いであろう。」

 両氏の解釈の違いが、ここで現れていることになります。違いがどこから生じるのか、どちらの解釈が正しいかについてここでは詮索しません。判断する材料が自分になく、それだけの知識もありません。

 「一つの事実の解釈でも、受け取る者の器量が違った結論を導く。」

 了見の狭いものは狭く解釈し、視野の広い者は自分に合った結論を導くということだと思います。渡部氏の著書ですから、渡部氏の解釈が述べられていますので、そのまま紹介します。

 「頼山陽は、歴史が絵になるように書いた。多くの伝承の中から、彼はそれに相応しい場面を選んで詩にした。将門と純友が比叡山から皇居を見下ろす場面とか、田原藤太と会った時の将門の慌てた喜びようとか、こぼしたご飯を食べるところとかが、それである。」

 「こういう場面は講談的な作りごとであっても、読者の記憶に残り、その場面を拠り所として、当時の状況が目に浮かんでくる。歴史は英語でヒストリィーというが、この単語には、〈 物語 〉と〈 歴史  〉の二つの意味がある。」

 「歴史から物語の要素を除くと、読む者の記憶にはハッキリしたものが残らない。だから伝説は伝説として語り継ぐのが、真の歴史を生かす道ではなかろうか。」

 この言葉は、前回紹介した幸田露伴の言葉に似ています。「お前らは嘘を信じ知る似非保守だ。」と「ねこ庭」のボウフラ君が得意げに言いますが、ボウフラ君の知的レベルも同時に見えます。

 「ちなみに将門は合戦中、平貞盛の矢に当たって死に、純友は小野好古 ( よしふる ) に九州で敗れ、幕切れはあっけなかったが、地方での武士の蠢動は始まっていた。まさに、琴の一角が破れてきたのである。」

 これが渡部氏の結びの言葉で、やがてくる武家時代の到来を示唆しています。続きは次回としますが、今回はスペースに余裕がありますので、「ねこ庭」のボウフラ君がどのようなコメントを寄せているのか、参考のために紹介します。

 「お前等の〈言葉を軽く扱う〉、〈日本語を大切にしない〉姿勢は、似非保守の姿そのものだよな。」

 「気違い共の集まる、デマで盛り上がって喜ぶ〈野良猫の溜まり場〉だけで通用する常識に染まり過ぎると、世間と掛け離れるから、横着せずに外出して本当の〈日本〉を見ろよ。」

 ボウフラ君は共産党親派なので、「ねこ庭」の全てに八つ当たりします。時にはまともな鋭い意見もありますが、礼節を知らないので聞く気になれません。私がやんわりと反論しても、傷つくらしく、次には乱暴な言葉でコメントを入れてきます。ボウフラ君は「ねこ庭」で人を傷つけているのに、自分が傷つけられると過剰に反応します。他人のことが考えられない、現代っ子の自己虫です。自分の意見を聞いてもらいたいと思うのなら、社会常識としての礼節が要ります。

 紹介したコメントは一部ですが、どういう読み方をするとこのような意見が出くるのか、面白いボウフラ君です。こんな状況下で綴られている「ねこ庭の独り言」であることも、一つの歴史として残しておきましょう。

 次回は、〈  十六闋 主殿寮  ( とのもれう )「天暦の治」の本当の姿      9行詩  〉です。

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『日本史の真髄』 - 85 ( 渡部氏と徳岡氏の解釈 )

2023-05-03 12:40:04 | 徒然の記

   警報東西より来 ( きた ) ること箭 ( や ) のごとし

   賞を懸け朱紫 ( しゅし ) 復 ( また ) 惜しまず

 渡部氏が、頼山陽の考えを解説していますので紹介します。

 「こんなことになるのは、朝廷で藤原氏が官位を独占しているからで、血の気の多い英雄たち、将門や純友のような者が出てきて、その政治の欠陥を狙うようになる、というのが頼山陽の考え方であった。」

 氏の解説には、将門と純友を肯定しているような響きがあります。天皇のお立場を忘れ、政治を我が物にしている藤原氏への批判に重点を置くあまり、彼に反旗を翻す将門と純友を是認するような叙述になったのでしょうか。理想とする「天皇の御親政」をダメにしている点においては、藤原氏も将門も純友も同類です。「敵の敵は味方」と言いたいのかもしれませんが、「血の気の多い英雄たち」と、私ならこのような言葉を使いません。

 「ここで藤原秀郷 ( ひでさと ) こと、田原藤太の出番となる。藤太は下野の掾 ( じょう・国司の判官 ) で、六位の者であるが、先祖は左大臣藤原魚名である。」

 「どういう罪を犯したか明らかでないが、配流されていた。つまり流刑 ( るけい  ) になっていたのである。おそらく、何かの乱に関係したことのある人間に違いない。」

 この藤太が、新皇である将門に従ったということにして、将門の王宮に参内・拝謁することになりました。

 「藤太が来たというので、将門は大いに喜んだ。丁度、髪を梳 ( くしけず ) っていたところであったが、それを結ぶこともせず、急いでかぶり物をかぶって出迎えたという。」

 将門が身なりも整えず大喜びで迎えたということは、藤太が乱を企てた人物として既に名が知られていたのでしょう。

 「また一説には、将門は藤太を歓迎して一緒に食事をしたという。食べているときに将門はご飯をこぼして、袴を汚したまましきりに拾って食べた。それがいかにも卑しげなので、藤太は嫌になったのだという。」

 いずれにしても、この対面で藤太は「将門は大した人間でない」と思い、彼と敵対している平貞盛の味方になる決心をしたのだと言います。この様子を詠ったのが、「検非違使」の最後の四行です。

   嗚呼朝廷の処置 英雄窺う

   独 ( ひとり ) 新皇の藤太を迎えて 

   手を握り飯を拾い 笑いて

   咿咿 ( いい ) たるのみにあらず

 この四行については、徳岡氏の大意と、渡部氏の解説が異なっていますので、並べて紹介いたします。

 〈  徳岡氏の「大意」 〉

   ああ、朝廷の処置ぶりを英雄はじっと観察している

   新皇を僭称した平将門は田原藤太を迎え入れて

   握手したり、こぼれた飯粒を拾って食べたり

   愛想笑いしたりして、その軽率ぶりに愛想をつかされたが、英雄に愛想尽かしをされるのは新皇将門ばかりではない

 〈  渡部氏の「解説」 〉

   朝廷の高位が藤原氏に独占されているような状況なので、英雄たちが天下を狙うようになるのだ

   将門は新皇を僭称し藤太と握手をして歓迎し、

   こぼした飯を拾って 

   咿咿 ( いい ) として作り笑いをするくらいのつまらない奴だったが、何もそんな将門だけが天下を狙っているのではない。

   ( 純友もおれば、他にも不満分子がいて、天下大乱の兆しがあるのである。 )

 両氏の解釈の相違については、もう少し検討してみたいと思いますので、興味のある方だけ、次回の「ねこ庭」へ足をお運びください。

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