〈 十六闋 主殿寮 ( とのもれう )「天暦の治」の本当の姿 9行詩 〉
何度も中断して、やっと199ページまで来ました。順番通り「書き下し文」と「大意」を紹介します。
〈「書き下し文」( 頼山陽 ) 〉 9行詩
主殿寮 ( とのもれう ) 前の松火 ( しょうひ ) 明らかなれども
率分堂 ( りつぶんどう ) 外に春草生ず
満朝の文章は珠玉を畳 ( かさ ) ぬるも
輸着 ( ゆちゃく ) す老吏の語の太 ( はなは ) だ精なるに
日かたむいて餐 ( さん ) を傳 ( つた ) ふは日没の天子
聞かず、諫 ( いましめ ) を求めて胥吏 ( しょり ) に至るを
君見ずや、陀夜燭 ( たやしょく ) 涙 ( るる ) 山の如く
漏刻 ( ろうこく・水時計 ) を緩 ( ゆる ) うするを
主殿寮、夜は墨 ( すみ ) のごとし
〈 「大 意」( 徳岡氏 ) 〉
主殿寮の前には松明があかあかと燃え
率分堂の外には春草が生い出ている
朝廷中の人々の綴る詩文は珠玉を連ねたよう
つづれ衣の老官吏はまことにみごとな話ぶり
午後まで政務に励んで「夕食のお時間です」と告げられたのは、かの日没する処の天子だが
諫言 ( かんげん ) を求めて小役人の言にまで耳を傾けたとは聞かぬ
見たまえ君、ゆるやかに更ける夜の燭台に蠟涙が山のようにたまったまま
時計はゆっくりと時を刻み、主殿寮は墨のごとき真の闇なのを
文字を読んでも、いつものとおり意味はさっぱり分かりません。日本語で書かれていても中身が理解できなければ、外国の本と同じです。現代文で育った私たちは、古文が理解できなくなっており、渡部氏の解説がなければ一生縁のない書物のままです。
もしかすると日本人の文明の断絶と歴史の断絶は、こんなところから始まっているのかもしれません。戦後の文部省と左傾学者と日教組が、日本の過去を塵芥( ちりあくた ) のように捨て去った結果がこれです。自分の国の本が、日本語で書かれているのに読めない国民、これが今の私と息子たちです。不自然な話なのに、誰も問題視せず、当然と思っています。渡部氏は語っていませんが、本を読んでいると気づかされます。
これはこれで大きな課題ですが、テーマを外れますのでここで止め、氏の解説の紹介へ戻ります。これがまた、「えっ、そんなところからはじまるのですかと。」とびっくりする解説です。戦後の私たちがどれほど自分の国の歴史から遠ざかっていたか、どれほど無知のままでいるのかを痛感させられます。スペースが必要なので、本題は次回からといたします。
〈 十六闋 主殿寮 ( とのもれう )「天暦の治」の本当の姿 9行詩 〉