OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

古い本 その123 古典的論文 翼竜類1

2022年10月13日 | 化石

 19世紀の恐竜の命名史を調べて、ちょっとだけ(恐竜の一部の)鳥類を調べてみたら、意外に面白かった。味をしめて翼竜類も覗いてみよう。そうすると首長竜と魚竜もやってみたくなりそうだ。できればそれにモササウルスを加えたくらいでやめたい。カメとワニは、現生属との関連が出てくるから足を踏み入れる気はない。
 まず翼竜だが、恐竜と違って、全体を見渡すことのできる本を持っていない。そこでネットのWikiとfossilworksを基にして調べ始めた。だから見落としがたくさんあるに違いない。ざっと見ると、現在の有効名(選択はあまり確かな基準にもとづいていない)が98属、そのうち恐竜の時に線を引いた1923年までに命名された属は16属。最近の研究が急激に進んでいることわかるが、それでも20世紀初期までに16属というのは思ったよりも多い。
 ところが、最初に記載された翼竜はPterodactylusなのは間違いないのだが、初出の論文・著者が資料によって異なる。翼竜の研究が恐竜よりも大分早く始まったことも一因である。
 まず日本のWikipedia(以下Pterodactylusの項目中では「ウィキ」と表記する)では次のものとなっている。
⚪︎ Cuvier, Georges 1809. Sur le squelette fossile d'un reptile volant des environs d'Aichstedt, que quelques naturalistes ont pris pour un oiseau, et dont nous formons un genre de Sauriens, sous le nom de Petrodactyle. Annales du Muséum d'Histoire Naturelle, Paris. Tome 13: 424–437, Pl. 31.(Eichstätt近郊からの化石飛行性爬虫類の骨格について。一部の研究者が鳥類とみなすが、Petrodactyleという名の爬虫類の属である。)

448 Cuvier, 1809. タイトルページ

 古い本だから濡れたことでもあるのだろうか。しわが目立つ。画像処理で取れないこともないのだがそのままにしておこう。右上の原本蔵書印は一部が読めないがフランス語。
 1809年というのは、この「古典的論文」で出てくる論文の中で、今のところ一番早い。二番目が1812年のSömmeringのやはり翼竜に関する論文。ところで、このCuvier論文のどこに「Pterodactylus」という属名が出てくるのであろうか?

449 Pterodactylus の初出と言われる論文の標題(一部) Cuvier, 1809, p. 424 

 印刷してあるのはpetro-であって、ptero-ではない! 赤下線は私が引いた。なお、表題の文字が全大文字なので、最初のpが大文字かどうかわからない。以下で大文字と小文字が混在するがその区別にはあまり意味がない。Pterodactylusの場合には、属名としての形なので大文字でなければならない。

450 掲載ジャーナルの内容索引Annales du Muséum d'Histoire Naturelle, Paris. Tome 13, p.505 これもpétroであるが、ハイフンはない。

 念のためこのジャーナルの目次を探したが見つからず、その代わり内容索引のようなページがあった。そこにはよく似た「pétrodactyle」が使われている。やはり誤植とはいえない。なお、このページでは小文字で記してある。Cuvier自身がすぐに気づいて同じジャーナルに訂正文でも書いていればそれに従って「ptero-」としてもいいかもしれないが、そういう文章が印刷された形跡はない。
 ウィキでは、「キュビエは(1809年に)...この生物に"Ptero-dactyle" という形で名前を与えている。」としている。しかし、この記述には明らかな誤りがある。論文ではdactyleの前にハイフンがあるが、その言葉はよく似たものが標題に出てくるが、本文には類似の言葉を含めて一つもない。少なくとも検索で出てこない。そして標題の単語はptero-ではなくpetro-である。Petroだと「石の」といった意味を持つから誤植とは言えないし、化石だから相応しいものとも言える。ところが、ウィキの「名称」という項に次のように記してある。「1819年にCuvierは別の標本をPterodactylus longirostrisという名称で公表した。<この属名は>国際動物命名規約 (ICZN) 上、1809年にptero-dactyle という形で発表した物を学名の記名法に合わせる(ラテン語化のことだろう)ため微修正しただけと判断される。すなわちICZN 33.2 において規定されている"正当な修正名"に相当し、命名の優先権と日付は保持されるので、属名の命名年は1809年となる。」という。しかし、この文章には1809年論文に「ptero-dactyle」としてあったという誤認(実はpetro-dactyle)がある。一応根拠とされている国際動物命名規約をそのサイト(ICZNwiki)によって調べると、ICZN 33.2は、「意図的な元のスペルの変更は、第33.4条に規定されている場合を除き、「修正」である」という規定。ここで33.4は種小名の語尾に関する規定なので関係がない。33.2にはその下位の3つの項があって、33.2.1は「作者(または出版社)の正誤表に明示的な意図の表明がある場合」に関する規定。関係があるかもしれないが正誤表に関してはなさそう。33.2.2は明確なスペルミスがあった時に強制的に改訂する、ということで、その場合には命名日時は前のものを保持できる、という規定。33.2.3は、これら以外の修正は不当でシノニムになるという規定。
 以上の国際動物命名規約は略記したので正確ではないかもしれない。が最初の誤認のためにこれを援用することが無理だと思う。
 Wikipedia(英語:同様に以下ではWikiと略記する)に次の記述がある。「Pterodactylus という名称は1819年にCuvierが自身の論文の中でアイヒシュテット標本に対して命名したPterodactylus longirostris という形で初めて公表しているが、これは国際動物命名規約 (ICZN) 上、1809年にptero-dactyle という形で発表したものを学名の記名法(ラテン語またはギリシャ語)に合わせるため微修正しただけと判断される。」この後半はウィキと同じく誤解があって微修正とはならない。もしこれを「微修正して」使うのなら、Petrodactylusが正しいことになる。困ったなあ。翼指竜ではなく石指竜なのか??
 Cuvier, 1809論文は、きれいな標本スケッチがあることを考えると非常に大きなステップではあるが、命名論文とは思えない。とにかく、Cuvier, 1809に図が掲載されているからそれを紹介しよう。のちに何度も引用されている図だ。

451 Cuvier, 1809 Pl. 31 あとから同じ標本の図が幾つか出てくる。

 図には説明はなく、下に1行だけ「Reptile Volant d’Aichstedt」(Eichstätの飛行性の爬虫類)と記してある。これを見ても、Cuvierがここで命名したいと思っているようには見えない。

古い本 その122 古典的論文 ジェームス・ディーン

2022年10月09日 | 化石

 このブログでは属の命名史について調べているので、Sauroidichnites とOrnithoidichnites について見てみよう。Wikipediaでは、Sauroidichnitesが記録されていることは認めているが、属よりも上の単位として記されているとし、先取権を認めていない。Ornithoidichnitesも理由は明瞭でないが認めていないようだ。この理由は少々無理があって、文中でS. Barrattiというように属名として取り扱っているとも言える。
 Hitchcockは、1847年にも別の種類を提唱している。
⚪︎ Hitchcock, Edward, 1847. Description of Two New Species of Fossil Footmarks found in Massachusetts and Connecticut, or, of the Animals that made them. The American Journal of Science and Arts, Ser. 2. Vol. 4: 46-57. (Massachusetts州と Connecticut州で発見された化石足跡の二新種の記載と、それを残した動物について)
 論文では最初に足跡が発見されてから公務が忙しくて何年も経ったが、ここで発表を始める(再開する?)ことにしたと記されている。そのあと、1 三畳紀にこの足跡を作ったなんらかの動物がいた。2 この動物はこれまでに記載されていない。3 動物は一種類ではない。4 比較解剖学的には鳥のものである。 5 現生の鳥ではかなりの程度で足跡からの種の決定が可能。以下省略するが、足跡を元にして種を命名することの正当性を主張しているようだ。そしてp. 49に採集した足跡化石のスケッチが示されている。

443 Hitchcock, 1847 Fig. 1.

 そして、次のページに新属新種Brontozoum parallelum の記載がある。この属は現在も使われているようだ。

444 Hitchcock, 1847 Fig. 2. Brontozoum parallelum

 サイズは、中央の指が2から3インチとなっている。どこを測ったのか明確ではない。種類については、鳥であってダチョウ科に似るとしている
 もう一種類の名は55ページに出てくる。Otozoum Moodiiという学名で、Fig. 1 に見られるもののうのち大きい方に対して命名された。足跡の長さは20インチ。さらに文末にBrontozoum giganteumという種類の名前も出てくる。
 Hitchcockは。1858年に集大成ともいうべき大作を発表した。
⚪︎ Hitchcock, Edward. 1858. Ichnology of New England. A Report on the Sandstone of the Connecticut Valley, Especially its Fossil Footmarks, Made to the Government of the Commonwealth of Massachusetts, xii-214, 約70図版.(New Englandの生痕学:Connecticut Valley の砂岩の報告、特に砂岩中の化石足跡...)(量が多いので部分的に入手)
 図の数も非常に多いが、非常に丁寧なスケッチがある一方で簡単な概念図のようなものもある。一部には写真も使われている。

445  Hitchcock, 1858. Plate 60. Otozoum Moodi

 上の写真はガラスに感光材を塗って作る湿板写真(ambrotype)。横幅60インチ(約1.5メートル)縦が38インチ(約1メートル)という大きな標本。
 残念ながら本文は長いから読んでいない。文中にはDeaneの研究とのプライオリティーについて言及した部分もある。
 次にこのDeaneについて調べた。James Deane (1801-1858) は医者で。実際には足跡の発見はDeaneが先だったかもしれない。研究者としては有名ではない。
調べて出てきた論文は次のもの。
⚪︎ Deane, James 1845. Description of Fossil Footprints in the New Red Sandstone of the Connecticut Valley. The American Journal of Science and Arts, Vol. 48: 158-167, Plate 3.(Connecticut州のNew Red Sandstoneの化石足跡の記載)

446 Deane, 1845. Plate 3

 New Red Sandstoneというのは、地質学史を勉強すると出てくる名前で、イギリス北部で最初に認識された。ペルム紀から三畳紀の、その名の通り赤い砂岩で、建材としてもよく用いられる。デボン紀のOld Red Sandstone と対応して名付けられた。
 彼の論文は他にもある。
⚪︎ Deane, James, 1847. Notice of New Fossil Footprints. The American Journal of Science and Arts, ser. 2, vol. 3: 74-79.(新しい化石足跡の報告)
 発見された場所は、Massachusetts州のTurner Fallsである。現在この場所は公園になっていて、観光案内でも出てくるが、「滝の歴史は1878年にターナーという人が滝でつまずいたのがはじまり。」というようなことが書いてあるが、もっと遡ることがこの文書でわかる。足跡は複数あって、長さ平均14インチ(約35センチ)で他にもっと小さい足跡があるという。現在のネットで調べると地質年代は前期ジュラ紀で、四足の爬虫類のものであるという。足跡のひとつには1858年にHitchcockによってAntipus flexiloquusという学名が付けられた(未確認)。その論文名は既に記した。

447 Deane, 1847. Fig. 4

 Deaneの論文では動物の種類については、「Salamandrian」(有尾類・両生類)のようだと書いてある。学名についての言及はないようだ。文末に「Note.」として8行の追加があり、Prof. Agassiz (たぶんA. Agassiz)の意見として指の数が保存状態で数え間違っているのではないか、という意見が記してある。この部分の著者は末尾に「EDS.」と書いてある。編集者Editer(s)のことだろうが、表紙にはConducted by Professors Silliman, Silliman, Jr., and Danaとしてある。この中で化石関係ならDana (James D. Dana) かな。
 他にもこのころの足跡化石に関する論文がある。古生代の足跡化石や、同じく古生代の固い石灰岩の表面にある人間の足跡と思われる凹みの論文(ただし著者はそれが自然のものと信じていないように思われる。)もある。ここでは地層が中生代のものだけを記した。
 ところで、お気づきだと思うがJames Deaneといえば、Deaneのeを取ったJames Deanは超有名な俳優。余分なことだが、Deaneが足跡を見つけたTurners Fallsはニューヨーク州Edenの約500km東にある。ついでだから記しておくと、ヒッチコックの鳥というのも面白い。古い映画ファンには感じるところがあるに違いない。

スズメバチその後

2022年10月05日 | 今日このごろ
 10月28日に公団の事務所にスズメバチがたくさんいることをお伝えした。職員さんが見に行ってくれて、確認していただいた。

ヤブガラシに来たスズメバチ 2022.9.28

 10月2日にその場所を通りかかったら、一匹もいない。そしてすぐ横にある掲示板にスズメバチに対する注意の貼り紙がしてある。

「ご注意!」の貼り紙 10月3日

 事務所で伺ったが、ハチに関してはなんらかの調査を行ったが詳細は知らないという。とにかく誰も刺されていないようで安心した。ハチがいなくなった理由の可能性は二つある。一つはどなたかが巣を見つけて駆除した場合。もう一つは、ハチが来ていたヤブガラシが見当たらないので、どなたかがハチを引きつけているヤブガラシを除去したので来なくなった場合。
 この近くの同じ並びの生垣のヤブガラシの花はかじり取られたのか、軸だけが残っている。

軸だけのヤブガラシの花 2022.10.4

 離れたところのヤブガラシには蕾や花が見られる。

ヤブガラシの花 2022.10.4 志井川ぞい

 スズメバチはこの花の柔らかいところを巣に運んでいたのだろうか?ネットで調べると、確かにヤブガラシはスズメバチを引きつけるから取り除くのが良いとしている。ただ、幾つかのサイトでは花の蜜がスズメバチの狙い、としている。花を齧り取っているところを見たわけではないので、その点はわからないが、公団の処理として「ヤブガラシを取り除く」というのは正解だった。

2022年9月のアクセス数

2022年10月01日 | 今日このごろ
Access analysis of this blog: September 2022

本年9月の当ブログの状況をご報告する。

P:投稿数12。定期投稿(4日に一度)8回と臨時投稿4回を行った。
 現在「OK元学芸員」で検索すると最初に正しい当ブログの項目が出てくる。「当ブログの内容を参考に記述しているブログはいくつかあるようだ。
 当ブログのアクセス数の統計記録をとっている。記録項目は、閲覧回数 訪問人数 同一プロバイダー中の訪問人数順位 同一プロバイダーにあるブログの総数 の各数字で、土曜日毎に一週間の集計もされている。なお「PV:閲覧回数」はその日のアクセス総数、IV:訪問人数は同一の方の重複を除いた数字。
PV:閲覧回数 255.0 (270.4)
IV:訪問人数 155.7 (164.4)
R:同一プロバイダー中の訪問人数順位 7,242 (6,894)
以上は平均値
TB:そのブログ総数(平均ではなく月末) 3,128,869 (3,124,632)
R/TB:訪問人数の順位比率平均値 0.232% (0.221%)
カッコ内の数字は前々月(2022年8月)の成績。

グラフ:先月のアクセス数。青:閲覧回数 赤:訪問人数
傾向線を記入した。

 8月の成績とあまり変化はなかった。やや数字は悪いが全体の活性が落ちているようだ。中頃に落ち込んだ日がある(14日水曜日)が全体としては好調を維持した。

D:開設後の日数 4,606日 (4,576日)
TP:投稿総数 1,542回 (1.530回)
TPV:総閲覧回数 1,454,718 (1,447,067)
TIP:延べ訪問人数 562,029 (557,358)
投稿総文字数概算 1,688,940 (1,674,907字)
投稿総写真数概数 6,241枚 (6,201枚)
カッコ内の数字は2022年8月末の成績。
 掲載している「古い本」シリーズは、まだまだ「在庫」がある。作成してある「在庫」は、来年4月末まである。その間に旅行も2度以上計画・検討しているから半年はこのまま続けられる。
 皆さんがバックナンバーをずいぶん見ていただいているのが励みになる。実際に、アクセス記録を見ると、掲載直後に新しい記事のアクセスがあるが、それ以外のアクセスは非常に古い所に散らばっている。皆さんのコメントがほとんどないのは残念。見ていただいていることを実感したいので、よろしく。ご本名でなく私に分る程度の「ペンネーム」で記入戴くとありがたい。

2022年9月の記録:

キノコ

 公団のケヤキの根元から線状に並んだ白いキノコ。種類はたぶんオオシロカラカサタケだろう。この種類が北九州付近で多く出ているというネット記事がある。

1 白いキノコ 2022.9.22 志徳公団

2 上の写真のキノコ(一部) 2022.9.22 志徳公団

 円形に並んでいないのは、たぶん菌糸が樹の根に入ったのだろう。翌日には取り除かれていた。キノコの種類が正しければ毒キノコ。

蛾の幼虫

3 種類不明 2022.9.13 自宅近く

4 オオスカシバ 2022.9.28 志徳公団

 3番の写真はシモフリスズメかな?道路際のネズミモチにいた。4番はクチナシにいて、毎年見る場所。

スズメバチ

 生垣のヤブカラシの上にスズメバチがいる。この場所には晴れていればいつも何匹かいて、餌を探している。

5 スズメバチ 2022.9.27 志徳公団

 刺されるのはいやだから、写真を撮って、飛び去ったあとにスケールを撮影、あとで画像処理でヤブカラシが同じ大きさになるように(赤線でそろえた)したカットをはめ込んだ。

6 スズメバチ 2022.9.28 志徳公団

 これで、ハチのサイズが約3センチとわかったが、オオスズメバチかコガタスズメバチか微妙。どっちにしても危険だから、公団の管理事務所に通報しておいた。すぐ横に歩道があって、学校帰りの小学生がたくさん通る。周りを10分ほど探したが、巣は見つけられなかった。

カワトンボ

7 カワトンボ 2022.9.30 志井川ぞい

 散歩道は川沿いだからカワトンボをよく見かける。しかし敏感なので、写真は撮りにくい。

10月のカレンダー


 今月はStegosaurusの尾部骨格。誰でも知っている種類だが、その形にはいくつかの意見がある。この図は、Marshが1887年に示した化石の産状で、尾の先端部の脊椎骨・V字骨が並び、そのまわりに脊椎ではない骨が5つある。上から時計回りにa・b・p・p‘・a’ という記号が付けてある。キャプションに b は「小さな尾部のプレート」、a は前方の棘、p は後方の棘、となっていて、ダッシュのついているのが左側だという。棘の配列や方向を判断することのできる良い標本だが、すべてを確定的に解釈できるかというとそうでもない。左右にしても脊椎列は図の上側を背中側にしているからダッシュの付いているのが右でもいいような気がする。なお、この論文ではDiracodon laitcepsとして記載されているが、現在この種類はStegosaurus armatus のシノニムとされている。