OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

AKCヴォーカライズの復刻 41-50号

2013年10月21日 | 今日このごろ
AKCヴォーカライズの復刻 41-50号


音楽部バッジ

愛知県立旭丘高等学校音楽部同窓会紙「Vocalize」(ヴォーカライズ)を復刻していくプロジェクトを進めています。今回はその第六回で、同紙の41号から50号までの復刻について記します。読みたい方は「カラスの広場」にある「旭丘高等学校音楽部同窓会」ページをご覧下さい。アクセスできない方はこのブログにコメントを。善処します。
 今回の部分は、1960年3月から1661年1月に発行されたものです。復刻を行った私は17期ですから、旭丘高校に入学する以前の中学一年末から中学二年の頃ということになります。

今回の復刻分はN先輩のファイルから行いました。


今回復刻した各号について。


41号 1960年3月1日 8ページ 合唱団めぐり2:名古屋シティコーラス
(名古屋で活動するいくつかの合唱団に関する記事)
42号 1960年4月1日 4ページ AKCヴォーカライズこれまでの歩み
(29年度から六年間の記録)
43号 1960年4月1日 14ページ 35年度役員選挙告示、続・ほたる草(1)
(ほたる草は本編4回、続編3回の連載)
44号 1960年5月1日 10ページ 役員選挙結果報告
45号 1960年6月1日 8ページ 合唱団めぐり3:CBC合唱団
46号 1960年8月15日 6ページ 随筆「ひとり旅」

47号 1960年10月15日 8ページ 招待席C「魔笛」公演
48号 1960年11月1日 12ページ 35年度音楽部発表会報告
(この年には通常の舞台に加えて、オペレッタ「影をなくした男」の公演を行った。)
49号

号外 1960年12月5日
1960年12月11日 8ページ

2ページ 続・ほたる草の初回

クリスマスのつどい案内
50号 1961年1月15日 16ページ 50号記念記事




次回は11月19日に、復元した31号~40号を配信する予定です。
その後は、12月19日に21号~30号、そして来年1月19日に1号~20号を配信して、手元にある分の復元が完了します。
全部で約904ページ、103万字ぐらいです。 現在すでに入力が完了しています。少し見直しが残っているくらいです。
 この復刻版ヴォーカライズのデジタルファイルは、同窓会のホームページからダウンロードできます。「カラスの広場」HPの中に同窓会HPが入っていますが、 ID、パスワードが必要です。
または、この下にあるコメント欄に記して、ご請求下さい。当方からも関係する方々にお送りすることができます。関係者とは、旭丘高校音楽部・およびその同窓会に入っている(または入っていた)方、そのご家族などです。「など」としましたが、なるべく多くの方に読んで頂きたいと思っています。


「ヴォーカライズ」に登場する鉄道 その3

旭丘高校音楽部同窓会紙「ヴォーカライズ」の復刻についてのお知らせをしていますが、同紙の内容は同窓会ホームページからダウンロードして頂くとして、ここでは、同紙に現われた当時の鉄道に関わる記事について、いくつか記します。
今回、写真も一枚しかなく、長いですよ。

1965年8月8日に開催された夏のつどいは、当初2泊する予定だったが、参加者が少なく、日帰りで実行された。その報告記が、No. 85、 5ページにある。
参加者9人、私(当時大学生)も参加した写真があるし、記憶もかすかにある。名鉄電車利用で、知多の野間海岸に海水浴に行ったわけだ。では記事中の鉄道に関するところを拾ってみよう。
「新名古屋駅の改札口前に集合した…」
「名駅9時25分発河和行きの特急に乗る」
「河和からの満員バスを降りて海岸へ…」
「落ち着くやいなや昼めしに…」


記念写真 解像度を低くした。写真右端のヤセッポチが私。
参加した唯一の女性は、カメラを持っているので写っていない。ちなみに彼女は泳がなかったので、水着ではなかった。

現状との違いに注目して見ると、まず、駅名が変わっている。「新名古屋」駅は2005年1月に「名鉄名古屋」駅に改称された。セントレア開業(名鉄は中部国際空港駅)にともなう変更で、同時に新岐阜、新一宮もそれぞれ名鉄を冠した名に変えられた。わたしたち古い名古屋人は今でも新名古屋などの名に親しんでいる、というより「めいえき」かもしれない。
 この名鉄名古屋駅、名古屋人は身近すぎで特殊だとは思ってないが、大きな特徴がいくつかある。まず、開業時(1941年)から地下に設置されていること。地下鉄でない大鉄道の中心駅で当初から地下というのが他に思いつかない。名古屋の先進性を示す….といいたいところだが、先取りしすぎた?ために後になって線路の増設がままならず、特殊な運用を強いられている。それが最大の特徴。名古屋人ならよく親しんでいるが、外側の二つのホームはもっぱら乗車用で、中央の島ホームが降車用(ミュースカイなど一部優等電車の乗車に使用)。つまり、上り下りの二本しか線路がないのだ。乗車ホームで待っていると、本線だけではなく、途中から別れて支線に行く列車が次から次へと最少2分間隔、1分停車で続いて出ていく。さらに、特急・準急などの区別もある。だから、ホームの指示された所で待っていないと、目的地に行く電車をとらえられない。この名鉄名古屋駅のホームに流れる案内放送はいわば「名人芸」で、実に複雑な内容を伝えている。そのせいか、放送はいまだに自動化されていない。このような運転様式の鉄道を他に知らない。普通は、支線に行く時はそれぞれ接続駅で乗り換えたり、幹線が複数の時には、別線・別ホームを設ける。
 では、現在の名鉄名古屋駅から発車する電車を調べてみよう(「名鉄時刻表Vol. 26 (2011.12)」を使用。本線・常滑線・犬山線を調べた。)。例えば平日八時から八時半の30分間。
 下り(名鉄岐阜方面) 801特急新鵜沼行き 803普通岩倉行き 805急行須ケ口行き 807ミュースカイ新鵜沼行き 809快特岐阜行き 811普通岐阜行き 813快特岐阜行き、816急行(各務ケ原経由)岐阜行き 818 急行須ケ口行き 821普通新鵜沼行き 823普通弥富行き 825特急岐阜行き 827 快特新鵜沼行き 829急行岐阜行き
 上り(豊橋方面) 800快急中部国際空港行き 802特急豊橋行き 804急行東岡崎行き 806普通常滑行き 808急行内海行き 811快急豊橋行き 813特急豊橋行き 815準急中部国際空港行き 817 急行鳴海行き 819準急神宮前行き 821特急河和行き 823ミュースカイ中部国際空港行き 826普通豊川稲荷行き 828快急東岡崎行き 830急行内海行き
これをそれぞれ一本の線路でこなしているんだからすごい! その意味で、「日本一忙しい駅」だそうだ。発車ベルの音が上り下りで変えてあるそうだが、今度行ったらよく聞いてみよう。
 話を戻して、一行は改札口に集合する。当時北改札口(JRに連絡する。1976年開設)はなく、南口はさらに後の開設だから、現在の中央改札口しかなかった。改札から入って、右に回り、新名古屋駅(当時)の外側ホーム(4番線・豊橋方面)の河和行きの特急に乗ったわけだ。この「特急」にも注釈がいる。1977年に追加料金が必要な「座席特急」を「特急」に変更し、追加料金のいらないものを「高速」と変更したあたりから、ややこしくなってくる。いろいろ変更があって、現在は特急に一部特別車と全車一般車の二通りがある。乗り込んだらそこは有料という場合があるので注意が要る。
 一行は、河和行きの特急に乗って終点で降りた。知多新線はまだなくて、それが開通したのは1974年6月30日。開通後なら、終点「内海」の一つ手前が「野間」。新線は少し内陸を通っているから、野間駅から海水浴場まで約1キロでつく。河和からバスだと知多半島を横切る形で、直線でも8キロくらいあるから、満員だとちょっとつらい。私は覚えていないが。なお、現在は河和から野間に向かうバス定期路線はない。少し南の内海海岸に向かう路線があり、河和から内海まで15分くらいかかる。距離は同じくらい。当時20分ちょっとくらいで運行していたのだろう。
 では、全部でどのくらい時間がかかったのであろうか?文面から、出発は9時25分、正午直前に着いたみたいなので、二時間半弱かかったことになる。現在の時刻表では(「名鉄時刻表Vol. 26 (2011.12)」を使用)では、土・休日の名鉄名古屋9時28分発の内海行き急行に乗ると、野間駅着が10時24分。野間駅から海水浴場まで15分かかるとして(野間海水浴場HPによる)、ちょうど半分の時間で移動できることになる。