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最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

古い本 その39 エンデュアランス

2021年01月07日 | 今日このごろ
古い本 その39 エンデュアランス

 少し新しい3冊の本であるが、内容が面白かったので紹介する。3冊は南極をめざしたエンデュアランス号の遭難と帰還の記録であるが、それぞれ独立した著作である。
 1911年にアムンセンが率いるノルウェーの隊が初めて南極に到達した。これと激しい競争をしていたイギリスのスコット隊は、アムンセンに遅れること約一ヶ月で南極点に到達した。しかもスコット隊は帰途に遭難した。エンデュアランス号は、イギリスの名誉回復を目指し、シャクルトン(Ernest Henry Shackleton)を隊長として1914年にサウスジョージア島を出発した。目標はウェッデル海(南極大陸の大西洋側)から上陸して、南極を目指し、さらに反対側のロス海側まで横断するというものだったが、海氷に阻まれて上陸することができず、船を棄てて二回の冬を乗り越えて南極半島に近いルートで北上し、17か月後に28人の全隊員が帰還した。イギリスではシャクルトンの指導力、危機管理能力を評価して、英雄としてよく知られている。日本ではそれほど有名ではなく、1987年に発行された「南氷洋捕鯨史」という本に至ってはシャックルトン隊をフランスとしているほど。怒られますよ。

52-1 エンデュアランス号とシャクルトン隊の軌跡 「The Endurance」による

 シャクルトンに関するできごとを列記しておこう。
1901-1904年 シャクルトンはスコット(イギリス)の南極大陸探検隊に参加。南極点から155kmにまで達した。
1911年12月14日 アムンセン(ノルウェー)隊南極点到達
1912年1月17日 スコット隊南極点到達
1912年3月29日 スコット南極点からの帰途死亡
1914年12月5日 シャクルトン(イギリス)サウスジョージア島をエンデュアランス号で出発 上の地図のSG
1915年1月18日 エンデュアランス号南極大陸沿岸で氷に閉じ込められる 地図のT
1915年10月27日 エンデュアランスを南極半島東沿岸で放棄
1915年11月21日 同号沈没 地図のS 隊員はボートを曳きながら徒歩で北上
1916年4月9日 数人が曳いてきた小船で南極半島先端近くから出発 地図のB
1916年5月10日 サウスジョージア島南岸に上陸
1916年5月18日 同島を横断する登山に出発 数日後北岸の捕鯨基地に帰還
その後途中に待機していた残りの隊員を救出

 なお訳本に従って船名・人名をエンデュアランス・シャクルトンと記した。同じ名でも気象学者・ユーチューバーなどではシャックルトンとする方々もいるが、南極関連ではシャクルトンとするのが普通らしい。

 1冊目は1998.10.30発行のAlfred Lansing著、山本光伸訳の「エンデュアランス号漂流」という本。原題は「ENDUARANCE Shackleton’s Incredible Voyage」(1959)である。私の持っている本は、1999年1月の初版第3刷である。サイズはA5, 372ページ。新潮社。
 彼らの行程を時系列で記したものでわかりやすい。生存することの難しい冬の南極で船を失ってよくもまあ、といったところ。

53 「エンデュアランス号漂流」 1998 カバー

 2冊目は、1998年発行のCaroline Alexander 著 「The Endurance, Shackleton’s Legendary Antarctic Expedition」、私の持っている本は1999年発行のペーパーバック。サイズは立て23センチ、横20センチほどの変形版。211ページで、Bloomsbury Publishing, London 発行。

52-2 「The Endurance」1999 表紙

 英語であるから、実はほとんど読んでいない。この本のいいところは、豊富な記録写真である。約140枚の写真が印刷されていて、一部は帰ってきてから撮ったものだろうが、ほとんどは探検中のもので、氷に閉じ込められた船が次第に傾き、ついには押しつぶされて沈み行くまでもが写っている。その後徒歩とボートで小さな無人島にたどり着き、そこから数人が救援を求めて1300kmほど東にあるサウスジョージア島を目指して出発するのだが、それを見送るところの写真も撮影してあるのだ。当時の撮影は乾板を用いたのだろうが、重さも体積も大きな写真記録を大切に持って移動したこともすごいし、最初にこれほどたくさんの資材を用意していたというのも驚く。撮影したのは名簿に「写真家」として載っているオーストラリア人の「ジェイムズ・フランシス・ハーレー」(James Francis (Frank) Hurley)であろう。
 なお、28人の内訳は、隊長・副隊長・船長 各1名、航海長ほか航海士・機関士・甲板員・機関員系13名、船医2名、研究者(地質学・気象学・物理学・生物学)4名、他に写真家・画家・倉庫管理係・船大工・料理人、それに一人の「密航者」である。船は機帆船で、350馬力の石炭を燃料とするエンジンを持っていた。
 3冊目は2001.8.17発行のMargot Morrell and Stephanie Capparell 著、「史上最高のリーダー シャクルトン」。原題は「Shackleton’s Way」(1998)、私の持っている本は第1版第1刷。サイズはA5で、309ページ、PHP出版。

54 「史上最高のリーダー シャクルトン」 1998 カバー

 この本は、前の二つと違ってシャクルトンのリーダーとしての資質に関する記述が主である。その意味では、書店の一部にまとめて置いてある「ビジネス書」の性格が強いものであろう。私はこの本に対しては何も感想を書かないことにする。
 シャクルトンは探検家であるがどの探検も成功していない。しかし28人を一人も失うことなく長い遭難を乗り切ったことで、指導者として称えられる。それには賛同するが、同じような状況が私たちに起こることは無さそうだから、「この本を読んで乗り切る」と言ってしまうのもちょっと…

 私がエンデュアランス号の本を読んだきっかけのひとつは、南極半島の東側にあるSeymour島から発見された古い鯨化石に興味があったから。それについては、別の機会に書くこともあるだろう。2002年にニュージーランドでの学会に出席した折に、博物館のショップでシャクルトンにちなんだTシャツを見つけて購入した。どこの店だったかはわからない。

52-3 Shackleton T−シャツ

 中央の写真は、氷に閉じこめられたエンデュアランス号を夜間撮影した写真をもとにしたもの。「The Endurance」1999の81ページの写真で、もちろん写真家ハーレーの撮影で、1915年8月27日のものという。南極の厳冬期である。上の赤い字は1914と1916で、サウスジョージア出港と帰還の年。その下の小さな黄色の文字は「Imperial Trans-Antarctic Expedition」、そしてその下に「Shackleton」と白く書いてある。

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