OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

直方の跨線橋 2

2024年08月13日 | 鉄道
 直方駅にあった三つの転車台について、写真はあまり見つからなかった。直方市石炭記念館の展示写真に次のものがあるが撮影場所や時期が不明なのが残念。

4 直方機関区の転車台 (時期不明)。直方市石炭記念館展示写真

 明らかにスルーガーダー転車台だから西口の転車台に違いない。撮影したカメラの位置が、すぐ南にある場内跨線橋と考えると、撮影方向や高さ、バックに写る線路の配置もだいたい合う。他の転車台にはこの高さから撮影する足場がなさそう。さらにガーダーの形状から跨線橋の側面はこれと考えてよさそうだ。1974年までは西口の転車台は存在したし、多賀神社横の跨線橋は、少なくとも1969年の地形図でも「橋」として表記されているから、最初から転車台転用の橋ではなかったことになる。写っている蒸気機関車はたぶん「49664」で、この番号の機関車は1920年に製造され、仙台管内で使われた後1940年に弘前区から直方区に移管された。1972年に休車となった時にはデフがないという記録があり写真と矛盾しない。1972.11.21廃車。(この部分はブログ「機関車データベース」を使わせていただいた)年代もよく合う。
 なお、ネットにある古い地形図(5万分の1)のうち、1969年測量のものと1984年修正のものには、西口の転車台の位置に小さな米印のような記入がある。線路の間に記入してあるが、たぶん転車台を示すもの。1984年にもあるからそれを信じると西口に転車台は1984年に存在したことになる。5万分の1地図に20mの転車台を記入すると、直径0.4ミリだから、表記するのにはやや小さすぎる。私が保管している5万分の1「直方」図幅は1990年発行のもので道路以外は「1986年修正」となっている。西口の転車台の場所は駅名の標記「のおがた」の位置あたりのせいか転車台の記入は見えない。

 ここで初めて実際の跨線橋を見てみよう。側面の山形の形はこれまでに書いてきたようにスルーガーダー(下路橋)の形態である。現在の橋では、内側にそってフェンスが設置してある。ガーダーの上面にはリベットが並んでいて古い鉄製の構造にふさわしい。側面からの写真や、フェンスの根元を見ると、跨線橋の底面と上にある通路の面との距離は結構高く、60ないし80センチほどもあるように見える。正確には測ってみないとわからない。

5 ガーダー上面 2024.7.30

 二つほど問題があって、この跨線橋はガーダーだけを使って底面は作り直したのかもしれないとするネットの記事がある。跨線橋の幅が広すぎることと底面の鉄組みが細すぎるというのが根拠だが、これについては現地で幅を測ればそれだけで解決しそうな気がする。

6 石段から見た跨線橋 2024.7.30

 この写真で見ると、仮にフェンスの高さを1メートルとするとちょうどその2倍くらいの路面幅がある。それに付設されたフェンスの基礎の幅、ガーダーとフェンスの間隔が両側にあるからガーダーの内径は3メートルぐらいとなる。

 そこで、20メートルの下路転車台の幅は普通どのくらいか調べてみた。次の論文に図面が載っていた。
⚪︎ 友永和夫・奈良一郎 1960 国鉄転車台の改良について.  第15回土木学会年次学術講演会講演概要集 4部門,103-104.
 2ページの講演要旨で、転車台をバランス型から3点支持型に改造することを論じたものだが、「第1図」にバランスト型20m下路転車台として側面図と平面図がある。

7 転車台平面図 友永・奈良, 1960 図1の一部.

 この図には幅に関する数字が書いてない。立面図の長さの20メートルから計算すると平面図の格子の幅(おそらくガーダーの内外中心線の左右距離)は約3.8メートルとなる。そうすると、「この跨線橋の横幅が転車台と比較して広すぎる」という主張はやや疑問がある。今度訪れて計測してみよう。少なくとも現在の幅は転車台の普通の幅の範囲内であり、少しだけ広げるために、ここで多大な労力をかけて改造する動機はなさそう。

訂正
 前回の文に誤りがあったので訂正する。次の部分である。
「跨線橋の下には4本の線路があって西側の3本は筑豊本線、東端の1本は平成筑豊鉄道が単線として使っている。」
「4本の線路は西側の二本が筑豊本線、東側の二本が平成筑豊鉄道のそれぞれ複線である。」が正しい。
 反省としてどうして間違ったのかを白状しておこう。平成筑豊鉄道は伊田線・糸田線・田川線の3線(他に門司に門司港レトロ観光線(第二種鉄道事業者)がある)があるが、この跨線橋のところの伊田線だけが複線で、他は単線である。HPにあった単線部分の列車写真が記憶にあったことが一つの原因。もう一つは、跨線橋の遠景写真を撮るために一つ北にある別の跨線橋に上がった時に、西から二本目の(筑豊本線下り線)線路上に電車が停車していたこと)(前回の写真1)。それで根拠なくその線が留置線だと早合点した。電化されているのは2本だけなのだから気づかねば。
 この間違いをご指摘くださったMさんに感謝する。