父の遺した写真 22 天井川とトンネル
父の写真には草津川のほか、二か所の天井川トンネルが写っている。一つは奈良線の棚倉駅あたりのものであるが、良い写真はない。もう一つは近鉄養老線(現・養老鉄道)の石津駅あたりのもの。石津駅辺りには4つのトンネルがあって、いずれも天井川トンネルである。
22-1 天井川のトンネル 石津駅付近 日時不明
22-2 天井川のトンネル 石津駅付近 日時不明
写真22-2を見ると、断面の形がかなり古いもののように見える。断面の側面の下半分が下方で狭くなっているのだ。こういう断面は国鉄の標準から見ると古い型式にあたる。このあたりは、養老鉄道でも最初に開業した(1913年:旧・養老鉄道)ところ。
このあたりは、養老山脈の麓で、断層とそれにかかわる地形が社会科の教材として良いテーマだった。扇状地とそれに伴う天井川、砂防ダムなど。そして養老線に乗る前に見られる長島あたりの低湿地の水路・輪中・水屋などなど。
22-3 養老線から養老山脈を見る 1958.11.12
養老線の養老・美濃高田間で撮影されたもので、正面に養老山脈が聳え、その麓に大きな扇状地が見える。
では東海道本線にもどろう。
22-3 新逢坂山トンネル 1957.11.6
こんどは山岳トンネルである。逢坂山トンネル(1880年開通)は、日本最初の山岳トンネルであるが、勾配が大きくて経路変更して新トンネルを建設した。その新逢坂山トンネルは、1921年開通した。1944年には3線化されたので、この写真の時にはもう一つ入口があったはずである。その後1970年には複々線(入口は4つ)と、さらに増設された。
この写真は父の旅行記録から考えて、上り列車の先頭から京都側の入口を撮影したものだろう。
写真の転載はご遠慮いただきたい。
父の写真には草津川のほか、二か所の天井川トンネルが写っている。一つは奈良線の棚倉駅あたりのものであるが、良い写真はない。もう一つは近鉄養老線(現・養老鉄道)の石津駅あたりのもの。石津駅辺りには4つのトンネルがあって、いずれも天井川トンネルである。
22-1 天井川のトンネル 石津駅付近 日時不明
22-2 天井川のトンネル 石津駅付近 日時不明
写真22-2を見ると、断面の形がかなり古いもののように見える。断面の側面の下半分が下方で狭くなっているのだ。こういう断面は国鉄の標準から見ると古い型式にあたる。このあたりは、養老鉄道でも最初に開業した(1913年:旧・養老鉄道)ところ。
このあたりは、養老山脈の麓で、断層とそれにかかわる地形が社会科の教材として良いテーマだった。扇状地とそれに伴う天井川、砂防ダムなど。そして養老線に乗る前に見られる長島あたりの低湿地の水路・輪中・水屋などなど。
22-3 養老線から養老山脈を見る 1958.11.12
養老線の養老・美濃高田間で撮影されたもので、正面に養老山脈が聳え、その麓に大きな扇状地が見える。
では東海道本線にもどろう。
22-3 新逢坂山トンネル 1957.11.6
こんどは山岳トンネルである。逢坂山トンネル(1880年開通)は、日本最初の山岳トンネルであるが、勾配が大きくて経路変更して新トンネルを建設した。その新逢坂山トンネルは、1921年開通した。1944年には3線化されたので、この写真の時にはもう一つ入口があったはずである。その後1970年には複々線(入口は4つ)と、さらに増設された。
この写真は父の旅行記録から考えて、上り列車の先頭から京都側の入口を撮影したものだろう。
写真の転載はご遠慮いただきたい。
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