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古い本 その9 Zdansky 1927 別刷

2020年05月28日 | 化石
古い本 その9 Zdansky 1927 別刷

 次に古い本は、Zdansky 1927 である。ドイツ語の論文で、表題は「Weitere Bemerkungen über fossile Cerviden aus China」(中国からの化石鹿類についての更なる論評)というもの。Palaeontologia Sinica (中国の地質調査所発行)第5巻に掲載された19ページと1図版の論文の別刷である。93年前の論文。

7-1  Zdansky 1927 別刷表紙

7-2  Zdansky 1927 中表紙

 私の手元に来た経緯は記録がないし、表紙などにも書き込みや蔵書印はない。たぶんオランダの古本屋産から購入したもの。高さ30センチ、幅23センチで、A4よりも2センチほど幅が広い。保存はかなり良い。
 Zdansky は、この2年前に「Fossile Hirsche Chinas」(中国の化石鹿)という論文を同じ雑誌に書いていて、その続きである。だから7行の短い前言で、前の論文に書かなかった化石について述べるという事と、これで中国産の鹿化石についての仕事が終わりだとしている。このページに続いて、すぐに分類学的な記述が始まる。記載されているのは次の種類。ただし、種未定のもの(5項目ぐらい)を除外した。
Eostyloceros Blainvillei Zdansky, 1925 中新世後期 山西省
? Eostyloceros triangularis Zdansky, 1925 中新世後期 山西省
Cervocerus Novorossiae Khomenko, 1913 中新世後期 河南省・山西省
Oricapreolus latifrons Schlosser, 1924 中新世後期 山西省
?Axis speciosus Schlosser, 1903 中新世後期 山西省
Epirusa Hilzheimeri Zdansky, 1925 中新世後期 河北省
Rusa pachygnathus Zdansky, 1925 更新世 河北省
Cervus huailaiensis sp. n.  更新世 河北省
Cervus canadensis Mongoliae (Gaudry) 1872 更新世後期 産地多数
Pseudaxis Grayi Zdansky, 1925 更新世後期 熱河省

 このように、周口店の化石を論じたものではなくて、中国の各地のものを記載した論文である。
 前に「19ページ」と記したが、実は本文と図版の間に1ページのノンブル(ページの表記)の無いページがあって、論文に出てくる35の地名のリストがある。それにはナンバーが振ってあって、省(現在とはちょっと違う)・地域などの項目がリストアップされている。しかし、これらの地名はPinyinと呼ばれるローマ字表記で、現在のローマ字表記と違うらしく、どこを示しているのかわからないものが多い。
 こんな時、わずかな望みを持って広げてみるのが Li and Ting, 1983 「The Paleogene Mammals of China」という論文で、カーネギーから出版されているもの。巻末に付録があって、付録1は研究者の中国の人名の対照表(Pinyin, English, 漢字)、付録2は地名の対照表(Pinyin, Wade-giles, “Conventional English”, 漢字)がそれぞれPinyin のアルファベット順に並んでいる。例えばおなじみの地名のBei-jing の欄は、Bei-jing, Pei-ching, Peking, 北京 となっていて便利なのだが、地名の方は7ページもあってなかなか大変。しかもこの文献では古第三紀の哺乳類の化石に関する地名しか出てこないから、他のところは調べられない。人名の方は1ページだし、漢字表記の人名はよく目にしているから分かりやすい。人名でめんどうなのは、中国に関わった西欧研究者の漢字表記で、それは慣れるしかない。例えばZdansky はここでは「師丹斯基」だが、別の表記もある。

 新種は一つだけで、大部分は先行する1925年のZdansky自身の種を使っている。例えば最初のEostyloceros Blainvillei は、1925に新属とした際の模式種である。ムンチャクの仲間。また最後のPseudaxis Grayi (Cervus grayi グレイジカ)は日本産の化石鹿類の祖先を論ずるのに重要な種類である。図版は写真で、細かい網版である。

7-3  Zdansky 1927 図版1(部分)

 一部の標本はラベルを貼ったまま撮影されている。次の写真はひとつの標本を拡大したもので。ラベルを読みやすくするために180度回転してある。網版だからモアレが出てしまった。

7-4 標本のラベル

 この別刷は、これで全部なのだが、実は本冊では中国語のテキストが添えられている。右から書かれたもので、表紙1ページと、本文2ページの短いもの。奥國師丹斯基著で、表題は「中國鹿類化石新發見之特徴」本文の翻訳は「孫雲鑄節譯」、節譯というのは一部を訳したということだろう。著者の所属は奥國(オーストラリア)となっていて、エジプトのことは書いてない。なお、本冊は京都大学理学部にあるものを見た(「読んだ」とは書かない)。もちろんその図書室には先行するZdansky 1925論文もあって、一部分だけコピーをとった。他にもZdansky 1928 「Die Säugetiere der Quartärfauna von Chou-K’ou-Tien」Zdansky 1930「Die alttertiären Säugetiere Chinas stratigraphischen Bemerkungen」といった文献も見たことがある。
 Otto Karl Josef Zdansky (1894-1988) は、オーストリアの古生物学者。中国の古脊椎動物研究で有名で、周口店の本格的発掘よりも前の1921年に北京原人の歯を発見した。

7-5 周口店の北京原人発掘地 2000.6.4

 北京原人の研究は結局カナダ人の解剖学者Davidson Blackによって1927年おこなわれた。この論文を出版した1927年には、Zdanskyはエジプト・カイロのエジプト大学の肩書であった。発見した歯の保管に関して、何かのトラブルがあった、とする書物もある。Zdansky は1928年以後中国の人類史に関する研究に戻らなかったと言われるからその間の微妙な時期の著作である。なお、北京原人の最初の頭骨は1929年の発見で、この別刷よりも後。もちろんBlackの北京原人学名の提唱は歯を基にして行われた。だから、北京原人のホロタイプはウプサラに現在も保管されていて、戦争で失われた(日本軍がかかわったとも言われる)頭骨はホロタイプではない。

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