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古い本 その165 ドーバー海峡のトンネル 追記 下

2024年04月10日 | 化石

 参考のため、日本の学術誌で最近話題の植物学雑誌は1887年の創刊。ここで調べたのは私に関係する地質学関連で、最も古い学術誌は地質学会の「地質学雑誌」(1893年創刊)ではなく、地学雑誌(1889年創刊)が先。それより前に「地学会誌」(創刊号:1884?、2号1888)というのがあるようだが、入手できなかった。

616 地学雑誌創刊号 1889 本文最初のページ(上半)

 上のページは地学雑誌の最初の部分で、著者は小藤文次郎(1858−1935)。東京大学の地質学者。
 地学雑誌・地質学雑誌とも、最初の頃のものには解説書のようなものを除くと化石関連の記事は少ない。地質学雑誌で最初の化石関連の記事が次のもの。
⚪︎ 神保小虎, 1894. 北海道第三紀動物化石畧報. 地質学雑誌. Vol. 2, no. 14: 41-45.

617 地質学雑誌 Vol. 2, no. 14. P. 41.

 文頭に、地名表記に関する但し書きがある。「文中北海道の地名に限り余が立案の「補欠かな」を用ゆ. 其他異国語にカカル名刺は原語を加フ、化石名にはかなを附せず所謂補欠かなとはカナを右に寄せてかなの母音を失ひたるを示す.縦令ばShakを「シャク」と書くの類なり.」(原文はカタカナ主体。一部句点を加えた。)「補欠かな」がよくわからないが、他で使われた例を知らない。実際に出てくる北海道あたりの地名は、カラフト・カムチャッカ・アリュート・モーライ驛・ポロナイ炭山・シャマニ ぐらい。23件の文献が記してあるが、すべて外国の論文であり、「其他の書籍は種属の」リストに示すとしている。58種の軟体動物化石学名がしるしてあるが大部分は属名だけ。18種に対して種名またはaff./cf.名が出ている。その18種には命名者が記載されている。当然外国の研究者の命名であるが、次の3種だけはYokoyama(横山又次郎)の命名した種である。 <5 Nucula poronaica. 6 Venericardia compressa 29 Tapes ezoensis> これら3種の記載が掲載されたのは次の論文であるが、神保の論文には出典が書かれていない。
⚪︎ 横山又次郎, 1890. 本邦白亜紀動物群要論(承前). 地学雑誌, vol. 2, no. 14:57-62(no. 14となっているが、これは通算番号で、ネットのアーカイブでは巻ごとに更新してno. 2としている。)
 この論文の58ページにこれら3種が「新種」として出てくる。いずれも幌内石灰岩(または幌内石灰岩球産)である。その地層の年代については「白亜紀に属するや蓋し疑を容れず」とし、さらに有孔虫の種類をヨーロッパの白亜系のものと比較しているから、横山はこの種類の年代を白亜紀と考えていたようだ。ところが4年後の神保の研究では鮮新世と考えているようだから、ずいぶん違う。なお、神保はこれらの種の標本をベルリンで弁別したという。標本はMunch Museumにあると、「Databese」にも書いてあるのだが....。「Database」としたのは次の論文。
⚪︎ Ogasawara, Kenshiro, 2001. Cenozoic Bivalvia. In Edits. Ikeya, N., Hirano, H. and Ogasawara, K., The database of Japanese type specimens described during the 20th Century. Special Papers, Palaeontological Society. No. 39: 223-373.
 この論文にもちろん上記の3種類が出てくる。ところが初出論文はYokoyama, 1890 としながら、雑誌名の引用は「Palaeontogr., vol. 36, nos, 3-6」としているのだ。それが次の論文。
⚪︎ Yokoyama, Matajiro, 1890. Versteinerungen aus der japanischen Kreide. Palaeontographica. Beitraege zur naturgesichte der Vorzeit. Band 36: 159-202, Taf. 18-25. (日本の白亜系からの化石)
 確かにここに記載があって、その各種名見出しに「n. sp.」 としてある。この号は二冊に分けて発行されていて、該当する部分の表紙に「1890年3月発行」という日付が記されている。一方地学雑誌の方は、各ページに「明治23年(1890年)2月25日發兌」という柱がある。「發兌」(はつだ)は発行のことだからこちらが1月違いで早いことになるが、記載もないからOgasawaraがドイツの方を新種の提示としたのは妥当だろう。ちょっと気になるのは地質年代を誤っている点である。幌内層は1901年矢部の命名だから、横山の論文の時代にはまだ定義されていないが、現在は始新世頃の地層とされる。

618 Yokoyama, 1890. p. 163

 上の図は、Yokoyama, 1890のp. 163 に掲載されている「蝦夷の地質図(B. S. Lymanによる)という図。Benjamin Smith Lyman(1835−1920)は「お雇い教師」の一人でアメリカ人で専門は鉱山学。この図はデジタル化の問題のためかよく見えない。左上の凡例は、上から「新旧の沖積層」「新期火成岩」「利別層」「古期火成岩」「Horumui層」「神居古潭層」で、たしかに上ほど新期の地層のようだ。凡例があるのだが、どこがその区分かわからない。細かい線は走向だろうか。いずれにしても、白亜紀層をそれよりも上位と区別する気持ちは見えない。「Horumui層」は不明。1966年に命名された中新統幌向層かもしれないが、時系列が合わない。
 日本の古いジャーナルという横道を長く辿ってきたが、あまり私の興味ある方向に進んでこない。最後に一つだけ眼をひいた文献を紹介してこのテーマから離れよう。それは地質学雑誌の1898年の号にある次の論文。
⚪︎ 矢野長克, 1898. 東京近傍第三紀介化石目録. 地質学雑誌. Vol. 5, no. 58: 387-395.

619 矢野長克のミスプリント

 著者名はもちろん「矢部長克」のミスプリントであろう。矢部長克(1878-1969)は、この論文の1898年に20歳になるのだから、東京帝国大学に在学中(1901年卒業)。学生なのだから名前が知られていなくても当然だろう。むしろこの年齢で学会誌に単著の論文が出る方が珍しい。雑誌中で(後に)この件についての正誤表があったかどうかはわからない。地質学雑誌のネット上のアーカイブは、一冊全部をディジタル化したものではなく、論文別だからそういう事務局の?記事は出てこない。どこかに正誤表があったかもしれない。幸か不幸かこの論文には新種記載はない。内容は、東京付近の多くの地点の貝類化石の種名リストである。地点別に番号が付いていて、重複があるだろうが述べ169種に上る。ただし最初の3地点は他の論文にあるとして省略されている。うち70種ぐらいは種名まで書いてあるが、すべて外国人によって命名されたものである。

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