最後の蒸気機関車たち その7 1969
1969年北海道旅行のつづき。
フィルムから判断すると、旅行の経路は標津の後弟子屈に一泊、相生線から美幌峠に入って、摩周湖を見てから北浜原生花園に向かったようだ。ちょっと美幌峠の所でコースが不自然なのは知りあった人との関連か?ここで初めてのカラー写真が残っているが、フィルムにカビが来ていて色も劣化している。やっとのことで直したのが次の3枚。

032N 石北本線美幌駅 1969.7.27 C58-319
C58-319は、1971年3月に廃車。
033 釧網本線原生花園 1969.7.28
034N 釧網本線原生花園 1969.7.28 C58-197
原生花園駅は、臨時駅で夏にしか列車は停車しない。この時は最も忙しい季節で、派遣駅員が詰めていた。
C58-197は、1974年9月に廃車。相生線はこの時乗車したが、1985年4月初めに廃線。
その後、天北線あたりでアンモナイト採集。そして襟裳岬を回って帰途は羽越本線・上越線回り!で帰ったようだ。しかし、原生花園以後のフィルムは無いので、アルバムからスキャンするしかない。
035N 宗谷本線佐久駅 1969.7.29 49670
佐久駅には大きなアンモナイトが飾ってあった。49670は、1972年11月に廃車。

036N 羽幌線小平駅 1969.8 D61-6
D61-6は6両しか作られなかったこの型式のラストナンバー。1972年5月に廃車。D61型はすべて深川区に所属した。羽幌線は1987年3月末に廃止。この時に全線乗車したが、これだけ長い線なので途中降りて味わえば良かった。

037N 石北本線石北峠 1969.8 対向はD51+9600重連
最後のものは、石北境界の石狩側の、上越信号所かと思われる。当時あたりまえに見られた蒸気機関車牽引の客車普通列車同士の、信号所での交換。客車から降りての撮影は、手動ドアのため可能だし怒られなかった。どれも現在経験しようと思っても無理なことばかり。
この北海道旅行は、新しい場所で長距離の乗車をしたので、乗車区間がぐっと伸び、40%(7月27日・釧網本線美留和・川湯間)50%(8月12日・上越線小千谷・越後川口間)を達成。ただ、当時は全線に乗るなどというのは夢に過ぎず、乗った線数を重視していたと思う。1969年末時点でだいたい70線ぐらいに乗車していた。「だいたい」というのは、乗車した後廃止されたり、逆に延長された線や、数え方の変更などがあってややこしいから。
1969年はこれで終わり。
登場蒸機 C58(写真032・034)9600(写真035)D61(写真036)D51(写真037)
2020.6.04 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。
Trivial database of a retired curator, Ok.
The last steam locomotives in Japan. No. 7 (1969)
032 Sekihoku line, Bihoro Station, Hokkaido.
033-034: Semmo line, Gensei-kaen Station, Hokkaido.
035 Soya line, Saku Station, Hokkaido.
036 Haboro line†, Obira Station†, Hokkaido.
037 Sekihoku line, Sekihoku Pass, Hokkaido.
1969年北海道旅行のつづき。
フィルムから判断すると、旅行の経路は標津の後弟子屈に一泊、相生線から美幌峠に入って、摩周湖を見てから北浜原生花園に向かったようだ。ちょっと美幌峠の所でコースが不自然なのは知りあった人との関連か?ここで初めてのカラー写真が残っているが、フィルムにカビが来ていて色も劣化している。やっとのことで直したのが次の3枚。

032N 石北本線美幌駅 1969.7.27 C58-319
C58-319は、1971年3月に廃車。

033 釧網本線原生花園 1969.7.28

034N 釧網本線原生花園 1969.7.28 C58-197
原生花園駅は、臨時駅で夏にしか列車は停車しない。この時は最も忙しい季節で、派遣駅員が詰めていた。
C58-197は、1974年9月に廃車。相生線はこの時乗車したが、1985年4月初めに廃線。
その後、天北線あたりでアンモナイト採集。そして襟裳岬を回って帰途は羽越本線・上越線回り!で帰ったようだ。しかし、原生花園以後のフィルムは無いので、アルバムからスキャンするしかない。

035N 宗谷本線佐久駅 1969.7.29 49670
佐久駅には大きなアンモナイトが飾ってあった。49670は、1972年11月に廃車。

036N 羽幌線小平駅 1969.8 D61-6
D61-6は6両しか作られなかったこの型式のラストナンバー。1972年5月に廃車。D61型はすべて深川区に所属した。羽幌線は1987年3月末に廃止。この時に全線乗車したが、これだけ長い線なので途中降りて味わえば良かった。

037N 石北本線石北峠 1969.8 対向はD51+9600重連
最後のものは、石北境界の石狩側の、上越信号所かと思われる。当時あたりまえに見られた蒸気機関車牽引の客車普通列車同士の、信号所での交換。客車から降りての撮影は、手動ドアのため可能だし怒られなかった。どれも現在経験しようと思っても無理なことばかり。
この北海道旅行は、新しい場所で長距離の乗車をしたので、乗車区間がぐっと伸び、40%(7月27日・釧網本線美留和・川湯間)50%(8月12日・上越線小千谷・越後川口間)を達成。ただ、当時は全線に乗るなどというのは夢に過ぎず、乗った線数を重視していたと思う。1969年末時点でだいたい70線ぐらいに乗車していた。「だいたい」というのは、乗車した後廃止されたり、逆に延長された線や、数え方の変更などがあってややこしいから。
1969年はこれで終わり。
登場蒸機 C58(写真032・034)9600(写真035)D61(写真036)D51(写真037)
2020.6.04 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。
Trivial database of a retired curator, Ok.
The last steam locomotives in Japan. No. 7 (1969)
032 Sekihoku line, Bihoro Station, Hokkaido.
033-034: Semmo line, Gensei-kaen Station, Hokkaido.
035 Soya line, Saku Station, Hokkaido.
036 Haboro line†, Obira Station†, Hokkaido.
037 Sekihoku line, Sekihoku Pass, Hokkaido.
昔のディーゼル車を背景にハマナスの花、
いいですね。
鉄道というば住んでいる町のはずれにある
北陸本線にはループ線や機関区に鉄道カメラマン多いです。3月には寝台「日本海」を撮りに
多くのカメラマンが駅に来ていたようです。