OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

私の旅行データ 27 夜行列車

2023年11月25日 | 旅行

 残念ながら夜行列車の乗車記録は、完全ではない。1973年3月に上野から仙台まで乗った「あづま2号」が、夜行列車として42番目という記録で、それ以前のデータは記憶に基づいて復元したが、41回のうち10回の日時や列車名がわからない。
 記録のある最初の夜行列車は中学校の修学旅行で、名古屋から小田原までの時と思われるが、列車名は不明。「東海」あたりかと思われる。
 記録が不完全な41回目まで31回の夜行は、すべて長距離を安く移動するための夜行乗車である。約20年間に乗ったところは、1 東京〜東北地方10回 2 山陽本線関連6回 3 北海道内5回 4 東海道本線 3回 4 九州内3回 他7回(京都から北陸本線・名古屋から中央本線.九州内 各2回と広島から山陰連絡1回)。
 夜行列車に乗った時の写真は殆どない。フィルムの感度が低かったから夜間に写真を撮るという発想がなかったから。それでも幾つか関連する写真が残っている。

旅42 盛岡駅 1967.7.20

 上野駅から急行「十和田2号」に乗って、盛岡駅に着いたところ。向こうのホームにブルートレインの「ゆうづる」が停車している。1966年6月の時刻表がネットにあったが、それによると下り「ゆうづる」は545盛岡着、553同発となっている。上りは真っ暗な0時台なので対応しない。下り「十和田2号」は、540着558発となっているから、盛岡で「ゆうづる」に抜かれる。「ゆうづる」の最後尾が見えているとすると、こちらのプラットホームにいる蒸気機関車は、南を向いていることになるから、東北本線の上り列車(または山田線の到着列車)ということか。すれ違いが合わないので、ちょっと変だが。もしかすると「ゆうづる」はここで機関車を付け替えているところで、先頭側がみえているのだろうか。

旅43 広島駅 1970.9.18

 呉線の蒸気機関車の撮影に行った時の写真。夜行急行上り「安芸」の広島出発の写真。これを見送ったあと、芸備線・木次線経由で山陰線に入る夜行急行「ちどり」に乗車した。

旅44 肥薩線一勝地駅 1971.4.1

 博多から肥薩線まわりの夜行1121列車に乗車した。一勝地駅で早朝834列車とすれ違う時の写真。目をさまして、すれ違う列車に気づいてあわてて撮影した。蒸気機関車は二輌で牽いている。
 ここまでが、記録の不完全な期間。その後、1986年まで21回夜行列車を利用した。東北方面での利用が多く、7回。北海道内で4回だが、この夜行列車とは別に青函連絡船で3回の夜行を利用している。また京都から北陸本線方面にも「立山」を4回使った。これは岐阜県の福地温泉に向かうのに使ったものが多い。福地に向かうのには、その他に名古屋から高山までの夜行「のりくら」を2回使っている。残り4回は長野から名古屋への「きそ3号」と高松から窪川への731D列車、名古屋から東京への「出雲2号」と東京から小倉への「あさかぜ1号」である。この期間の夜行列車に関係する写真は全くない。その理由は出張での乗車なので大変忙しかったからだろう。ずっと以前のこのブログの「私の使った切符」シリーズにいくつかの夜行急行の切符がある。その時掲載しなかったが、東京から小倉に帰ってくる時の「あさかぜ1号」の切符がある。

旅45 東京から小倉 B寝台 寝台指定券 1986.10.18

 この時にどんな仕事で出張したのか、記録がない。前日17日に小倉駅で「東京往復割引きっぷ」を購入し、同時に帰路の「あさかぜ」の寝台券を入手している。この列車の東京発は1845だから、17日に新幹線で東京に行って一泊し、東京で朝からの会議?にでて午後終了して東京駅に駆けつけて寝台列車に乗ったことになる。この買い方なら、個人的な趣味で行ったのではない。小倉着は翌日の10時直前で、そのまま仕事に出たのだろうか。
 このころブルートレインに乗車した記録としては、名古屋から東京まで寝台特急「出雲2号」に乗車したという記録がある。他に「富士」の切符が残っている。

旅46 大分から行橋 特急券 1987.9.11

 ただし、これは寝台使用部分ではなく昼間の乗車で、大分発が1706。行橋着は1809で、普通列車に乗り換えて安部山公園駅の近くにあった自宅に戻った。この時の仕事も記録がないが、大分駅で特急券を購入する時に、通常の(当時はL特急だったか?)と、「富士」が近い時刻で運転していたので、話の種にこれを選んだという記憶はある。
 1986年に「あさかぜ1号」で寝台車に乗ったあと、夜行列車には20年以上乗っていなかった。新幹線が整備されたこと、阪神大震災をきっかけとして、出張で空路を使うのが普通になったこと、それに体力的なことを考えると、車中泊のメリットがあまりなくなったから。
 2010年と2014年に、「北斗星」に乗ったのは、趣味のためであった。2010年には下り、2014年には上りの北斗星の旅行を楽しんだ。2010年12月に乗車した記録は、このブログの記念すべき最初の記事で、2011年3月4日から5日にかけて掲載した。2014年の記録も、同年12月9日から数回にわたって掲載した。このときには奮発して食堂車「グラン・シャリオ」でのディナーをいただいた。

旅47 「北斗星」グラン・シャリオのプレート 2014.12.5

旅48 「北斗星」ディナーのメインディッシュ 2014.12.5