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古い本 その156 古典的論文補遺 その7

2023年11月13日 | 化石

 Owen 1881の文中で、ひとつ気になることがある。文頭の83ページの見出しにIchthyosaurus属の提唱者としてKönigをあげていることである。このブログの「その133」では、Ichthyosaurus属の命名はDe la Beche and Conybeare, 1821とした。それ以前に大英博物館展示解説書(1818年。この著者がKönigである。)にその名前が出てくるが、記載を伴わないのと、正式な刊行物ではないと判定した。Owen 1881の提唱者に記号が付してあって、それに対応する脚注には「Icones Fossilium Sectiles, fol., pl. xix, fig. 250.」と書いてある。その文献が次のもの。
⚪︎ König, Charles Dietrich Eberhard 1820-1825. Icones fossilium sectiles. 1-4, plates 1-19. (化石の画像)
 ついに出ました!!ラテン語論文。「古典的恐竜」の最初から引用してきた古い論文は、英語・ドイツ語・フランス語がほとんどで、他に中国語1件(ただし未入手)、ロシア語2件(どちらも英語翻訳が出版されていて、それを見た)、それに南米の恐竜記載が英語とスペイン語の併記だった。発行年月日に幅があるのは,はっきりと記入がないため。命名規約の先取に関してはこのような時は最後の年が命名年とみなされる。この論文は、19枚の画像に250の化石スケッチが系統的でなく並んでいるもの。スケッチははっきり言って稚拙。Fig. 250というのはその最後の一枚である。解説が4ページのテキストとして添えられているのだが、なぜか100番までしかない。それより後は図版の下に番号と種名が列記してあるだけ。「250. Ichthyosaurus latifrons.」と書いてある。

586 König 1825, Plate 19. Fig. 250(橙の線の左)

 図は上から4個の連続した脊椎骨の側面、脊椎骨の前後面、それにかなり揃った脊椎骨列と頭骨である。大英博物館図録でKönigが扱った完全な頭骨ではない。Ichthyosaurus latifrons を調べると、Owenが1840年に記載したというGoogle関連の資料が出てくる。その文献は前に出てきたもので、Owenの著作の中でもかなり古いもののひとつ。
⚪︎ Owen, Richard 1840. Report on British Fossil Reptiles. Report of the Ninth Meeting of the British Association for the Advancement of Science, Reports on the Researches in Science: 43-126. (英国の化石爬虫類の報告)
 その126ページにIchthyosaurus latifrons がリストアップされている。その命名者はKœnigとなっている。従って、1840年命名という資料は誤り。どうやらI. latifronsの命名がKönigのラテン語図録のようだ。それには記載もないし命名の体裁は整っていない。FossilworksではLeptopterygius latifrons (属をのちに移動)を1825年のKönigの命名としている。
 Königの示した標本のスケッチには産地などのデータがない。この標本の頭骨がQwen 1881に掲載されている。

587 Ichthyosaurus latifrons 頭骨. Owen 1881, Plate. 27.

 頭骨だけをKönig 1825と並べてみよう。

588 左:König 1825、右:Owen 1881

 Owenは「Königの標本を示す」とし,「標本はLyme Regisから得られたとされる。」としてかなり詳しい形態の記載をしている。

 なお、当時イギリスの中生代の地層の呼称は、おおざっぱに言って古い方からRaetic(三畳紀後期)・Liassic(ジュラ紀前期)・Great Oolite(またはStonefield:ジュラ紀中期)・Kimmeridgian(ジュラ紀後期)・Purbeck(ジュラ紀後期)・Wealden(白亜紀前期)・Gault(白亜紀前期)・Transylvanian(白亜紀後期)である。Owenの著作はこの時代区分に従って書かれている。カッコ内は現在使われている地質時代名であるが、当時時代名が確立していたのではない。他の用語も含めていくつか現在のものと異なる用法がある。例えば「cretaceous」が小文字の場合には時代を言っているのではなく、岩質を言っているかもしれない。また、イギリスから見た外国の地層名にこれらの名称が出てくる時には、対比が正確ではなく、岩層が似ている場合に名前を転用しているかもしれない。原典に書いてある地層名から時代を機械的に記してきたので、近年の再区分や変更で時代が異なるものがあることはお許しいただきたい。地層の対比について基礎を作ったSmithの「Map of Strata」が発行されたのは1815年である。「化石による地層対比」を用いて書かれた地質図であるが、当初の社会は当初これを土木・農業の情報ととらえ、地質学界では重要視していなかったと言われている。おもしろいことに彼の採集したIguanodonの化石骨は、のちに最も古い採集記録であると推定されている。

 Owenのモノグラフの特徴は、出てきた標本を丁寧に分類。列記したものであること。標本は豊富だがかなり部分的な(そのために分かりにくい)化石も提示している。多数の図があって、興味が尽きないがこのあたりで、次の話題に移る。