わが家のある地域には、東葛・印旛大師講という民俗宗教行事が現在も続けられています。わが家の前の道が大師道になっていて、毎年、5月1日から5日のどこかの日で法螺貝とチリンチリンとした鈴の音が聞かれます。
四国霊場めぐりをまねて19世紀初頭に始められたと伝わっています。30余りのムラに88箇所の札所を設け、約76kmの道のりを同行二人と朱入りされた白装束を着た講員たちが5日間をかけて巡拝する行事です。本場さながらに札所ごとには接待の場が設けられ、飲物やおやつなどが振る舞われます。その年の当番のムラを結願区として、盛大なお祭りをします。近年はその出費に対する理解が得られないことから講から抜けるムラも出始め、行事そのものの存続も心配されています。
88箇所の札所は現在の行政区分でみると、旧沼南町53、柏市16、白井市10、鎌ヶ谷市5、松戸市4になっています。名前の通り、東葛と印旛という郡境も超えたネットワークになっているのが興味深いところです。戦前までは婚姻圏になっていたようです。また、札所を地図に落とすと、手賀沼に流れ込む大津川と金山落としという二つの流れの流域に分布しています。行政的なつながりよりも地形的なまとまりによるコミュニティということがいえるようです。
なぜこのような分布になったかという定説はないようです。仮説ですが、かつては田んぼに入れる水争いもあったでしょうから、もしかしたら水争いを事前に解決するための、宗教行事という姿を借りた社会装置だったのかもしれません。もしそうなら先人の知恵に敬服するとともに、現在のわたしたちも負けぬよう知恵を出さねばなりませんねえ。
四国霊場めぐりをまねて19世紀初頭に始められたと伝わっています。30余りのムラに88箇所の札所を設け、約76kmの道のりを同行二人と朱入りされた白装束を着た講員たちが5日間をかけて巡拝する行事です。本場さながらに札所ごとには接待の場が設けられ、飲物やおやつなどが振る舞われます。その年の当番のムラを結願区として、盛大なお祭りをします。近年はその出費に対する理解が得られないことから講から抜けるムラも出始め、行事そのものの存続も心配されています。
88箇所の札所は現在の行政区分でみると、旧沼南町53、柏市16、白井市10、鎌ヶ谷市5、松戸市4になっています。名前の通り、東葛と印旛という郡境も超えたネットワークになっているのが興味深いところです。戦前までは婚姻圏になっていたようです。また、札所を地図に落とすと、手賀沼に流れ込む大津川と金山落としという二つの流れの流域に分布しています。行政的なつながりよりも地形的なまとまりによるコミュニティということがいえるようです。
なぜこのような分布になったかという定説はないようです。仮説ですが、かつては田んぼに入れる水争いもあったでしょうから、もしかしたら水争いを事前に解決するための、宗教行事という姿を借りた社会装置だったのかもしれません。もしそうなら先人の知恵に敬服するとともに、現在のわたしたちも負けぬよう知恵を出さねばなりませんねえ。
その時に感じたことは、民家は「実用の美」だということです。あらゆるものが、「必要」だから存在していました。美しいからではないことも実感しました。
「社会装置」も現代において、必要かどうか。必要とするにはどうしたらいいのか。皆で考えるべきことはたくさんあると感じます。
インターネットで調べると1,000人ほどの集まりになるみたいですが、その接待費用の負担は確かに地域の理解を得るのは大変だろうなと思います。うちの近隣はサラリーマンと定年退職した人が多いので「伝統行事なので臨時負担をお願いします」といわれても「何ですかそれは?」という感じで、大地主さんが支えているのだと思います。
ネットで調べると今年の記事ではないかも知れませんが「観音寺にお遍路さん1000人」というページがあり、講の様子が報告されていました。(ご参考)
http://members.jcom.home.ne.jp/k-fujikake/sld020.htm
大師講を記したHPを紹介いただきありがとうございました。HPの記事にある泉地区はわが家の属しているムラで、結願区になったのは5,6年前。私が地区の消防分団長をしていた時で、警護に借り出されて忙しかったことを思い出します。
みなさん、すごい。いろいろなところで接点が見えてきます。ぼくは、ほとんど「犬棒」状態です。