のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

東葛・印旛大師のシーズンです

2005年05月03日 | わが家の時時
わが家のある地域には、東葛・印旛大師講という民俗宗教行事が現在も続けられています。わが家の前の道が大師道になっていて、毎年、5月1日から5日のどこかの日で法螺貝とチリンチリンとした鈴の音が聞かれます。
四国霊場めぐりをまねて19世紀初頭に始められたと伝わっています。30余りのムラに88箇所の札所を設け、約76kmの道のりを同行二人と朱入りされた白装束を着た講員たちが5日間をかけて巡拝する行事です。本場さながらに札所ごとには接待の場が設けられ、飲物やおやつなどが振る舞われます。その年の当番のムラを結願区として、盛大なお祭りをします。近年はその出費に対する理解が得られないことから講から抜けるムラも出始め、行事そのものの存続も心配されています。

88箇所の札所は現在の行政区分でみると、旧沼南町53、柏市16、白井市10、鎌ヶ谷市5、松戸市4になっています。名前の通り、東葛と印旛という郡境も超えたネットワークになっているのが興味深いところです。戦前までは婚姻圏になっていたようです。また、札所を地図に落とすと、手賀沼に流れ込む大津川と金山落としという二つの流れの流域に分布しています。行政的なつながりよりも地形的なまとまりによるコミュニティということがいえるようです。
なぜこのような分布になったかという定説はないようです。仮説ですが、かつては田んぼに入れる水争いもあったでしょうから、もしかしたら水争いを事前に解決するための、宗教行事という姿を借りた社会装置だったのかもしれません。もしそうなら先人の知恵に敬服するとともに、現在のわたしたちも負けぬよう知恵を出さねばなりませんねえ。

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5 コメント

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「集落」というしくみ (佐藤K(KAZZ Satoh))
2005-05-05 07:11:45
このページを読んで、「集落のしくみ」を久しぶりに考えました。ありがとうございます。学生のとき、集落調査に明け暮れる、言わばフィールドワーク・ドランカーでした。建築の学生としてブツ(民家および外回り、道など)を実測していたのですが、家どおしの関係性や家庭内での家族の位置関係などなど、社会学だか、民俗学だか、人類学だかへ越境した調査でした。

 その時に感じたことは、民家は「実用の美」だということです。あらゆるものが、「必要」だから存在していました。美しいからではないことも実感しました。

 「社会装置」も現代において、必要かどうか。必要とするにはどうしたらいいのか。皆で考えるべきことはたくさんあると感じます。
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手賀沼をV字型に見る (mizdesign)
2005-05-05 08:22:28
 つながりがピンとこなかったので地図を見たのですが、手賀沼から伸びる大津川と金山落しが六実あたりで近づいてV字型のつながりを作っているわけですね。うちの近所にも札所がいくつかあるので、講を通してsuginoさんの地域とつながっているんだなと気が付きました。

 インターネットで調べると1,000人ほどの集まりになるみたいですが、その接待費用の負担は確かに地域の理解を得るのは大変だろうなと思います。うちの近隣はサラリーマンと定年退職した人が多いので「伝統行事なので臨時負担をお願いします」といわれても「何ですかそれは?」という感じで、大地主さんが支えているのだと思います。
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Unknown (高瀬)
2005-05-05 18:32:19
取手、柏、我孫子の利根川両岸に展開する相馬霊場のことは知っていましたが、東葛・印旛太子講は初耳で、興味深く読ませて頂きました。 

ネットで調べると今年の記事ではないかも知れませんが「観音寺にお遍路さん1000人」というページがあり、講の様子が報告されていました。(ご参考)

http://members.jcom.home.ne.jp/k-fujikake/sld020.htm

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泉はわが家のある地区です (sugino)
2005-05-05 21:06:07
高瀬様

大師講を記したHPを紹介いただきありがとうございました。HPの記事にある泉地区はわが家の属しているムラで、結願区になったのは5,6年前。私が地区の消防分団長をしていた時で、警護に借り出されて忙しかったことを思い出します。
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情報長者 (佐藤K(KAZZ Satoh))
2005-05-07 10:01:00
柏インフォメーションセンターでは、東飾大師の写真展をやったことがあるそうです。かなり、いろいろと調べたそうで、いまでも注目しているそうです。元沼南には、大師講の写真を何十年と撮っている方がいるそうです。

 みなさん、すごい。いろいろなところで接点が見えてきます。ぼくは、ほとんど「犬棒」状態です。
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