自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

米子弁

2008年01月08日 | ことば
「米子弁で書かんと」。このブログの読者の一人であり、私と同郷のカミさんからクレームがありました。初めてのクレームです。このことについて少し書きます。
 私は方言が大好きです。大学にいるといろいろなところから人が来ていますから、会話を聞きながら出身地を当てるのが私の趣味のひとつです。いわゆる関西弁、あるいは東北弁、九州弁などは簡単ですが、京都と大阪、神戸とか、福岡と長崎、岐阜と名古屋などになると、なかなか奥深くなり、まあイチローくらいの打率で当てています。
 「そんなんおかしいやんか、ええかげんにせえよ。アホちゃうか」といった典型的な大阪弁を東京で聞くと、ちょっと複雑な気持ちです。いま方言のコミュニケーションを語っているのではありません。方言を使う心理です。この大阪人は心のままを自分がそのことばを使わない土地で使っています。そこには「わしにはわしの言葉がある。東京に来たからいうて、東京弁なんか、使えへんわい」という気持ちがありそうです。それは自負といえますが、傍若無人という感じもします。これは仙台でも同じですが、仙台ではまちがいなく反発を買います。というのは東北大学には東北地方出身者が多く、その人たちは自分たちのことばを東京弁に「翻訳」しているので、「なんで大阪の奴らが仙台で大阪弁を使うのだ」と不公平感をもつのです。そこには「東北弁はダサくて笑われるのに、大阪の奴らはそれがない」というひがみめもあります。
 NHKの朝ドラマなどで地方を舞台としたものがとりあげあれてから、方言が「恥ずかしいことば」でなくなったことはとてもよいことで、大きな意味があったと思います。しかし「非東京弁」にも関西弁に代表される「主流派」があり、広島弁や九州弁もその部類です。
 さて米子弁です。私たちのふるさとである米子は鳥取県の西にある伯耆の国です。同じ鳥取でも因幡の鳥取や倉吉とはまるで違います。もちろん隣の出雲とは大違いです。これらの方言は「非東京弁」のなかでもマイナーです。そういう地方の人でもそのまま使う人もまれにはいますが、私を含めて多くの人は相手に通じない、あるいは通じても変なことばと思われるだろうからと察して、「翻訳」をするのです。これはコンプレックスとは違う、微妙なところです。
 そういうわけで伊豆半島でのわたしたち夫婦の会話(元旦のブログ)は東京訳をしましたが、それが客観的記載をむねとする私の文章としてよくないというのがカミさんのクレームで、返すことばもありません。それで以下はリアルな会話の再現です。

 「わしらが子供のときと大違いだナ。そいでも一応水族館はあったわけだよナ。今の北朝鮮にはたぶんないだろうけんナ」「そうだなぁ」とカミさん。

となりましょうか。文字にするとちょっとニュアンスや抑揚が表現しきれませんが。
 というわけで、自然日誌とはちょっと違う話題で、写真もなしでした。
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