リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

ヴァイスのソナタ25番、51番、95番(14)

2024年04月29日 22時22分34秒 | 音楽系

さてモスクワ写本の筆記者ティモフェイ・ビエログラドスキですが、ベルリン在住中の1737年にヴァイスの弟子入りを許可され翌年にはヴァイスを仰ぎ奉る弟子のひとりとなっていました。ヴァイスがベルリンにやってきたとき、彼はベルリンの宮廷楽団のリュート奏者であったエルンスト・ゴットリープ・バロンにも会いました。後にバロンがドレスデンに行ったとき彼はヴァイスからテオルボを頂きました。

その後彼は役職を終えロシアの宮廷に戻りましたが、そこには長く留まらず1740年にドレスデンに戻り※ブリュール伯ハインリッヒに仕えました。そこで彼はヴィルツオーゾとして名を馳せ、指導者としても人気でした。


※解説にはビエログラドスキがドレスデンに住んでいたとは書かれていないのでここで「ドレスデンに戻り」というのはよくわかりません。でもヴァイスについていたのならベルリンよりドレスデンですね。なお注には1738年にはドレスデンに住んでいた、という説が紹介されています。

以上ル・ルート・ドレ出版の現代版の解説を少し補足しつつ訳しました。ちょっとこの解説、文脈が混乱していますが・・・このモスクワ写本の筆者についてまだ解説はあと少し続きます。


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