リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

「すり替わり」その2、クルマ編

2021年03月15日 18時39分27秒 | 日々のこと
クルマ編を書こうと思っていましたら、そういやリュートのガット弦でもよく似たことがあるなと思い書き始めたら、妙に膨らんできて「その1」として書いてしまいました。

さて先日の新聞に、電気自動車(EV)が「(日本は)欧州や中国に比べて普及が遅れている」という表現がありました。私はこの表現に少し違和感を感じました。「普及が遅れている」という書き方は、例えば昔、「カラーテレビの普及が遅れている」みたいに言うことがありましたが、この場合は、世の中にカラーテレビが間違いなく増えてくる、あるいはすでに増えつつある状態で、まだ普及していないときに「普及が遅れている」と言うわけです。

これからEV一色になるの?他の選択肢は?お値段高いしそれで距離は走れないし。ハイブリッド(PHEV、HEV)は?燃料電池車は?など、新聞記事はこれらの疑問や他の選択肢をばっさりと切ってゴールをすり替えてしまった印象を受けます。もうEVに替わっていくのは間違いないみたいな言い方です。

よく売れ筋連発の某出版社が、「なぜ人はリュートを弾くとハンサムになるのか」みたいな題の本の宣伝をしますが、意外な因果関係を断定的に言うと、ホンマかいな?と思いつつも人はそれにひきつけられます。EVの普及が遅れている、と断定されると、ホンマか、ヤッパリなぁ、などと思って記事を読んでしまいます。いろいろなことが複雑にからんでいてはっきりしないことや関係がよくわからないことを断定すると人は引きつけられます。でもこういうのって少し危ないですよね。さらに件の新聞記事はは断定的な印象も受けないので、ある意味ちょっとタチが悪いです。