平山郁夫画伯は、他国の文化・芸術であっても、
その価値を認めて、文化財の保護のために、
資金援助をし、世界遺産登録の支援をしている。
と、書いた。
シルクロードの旅、
敦煌(とんこう)の莫高窟(ばっこうくつ)で、
平山郁夫画伯の“石碑”と“看板”を見た。
莫高窟の文化財の保護、および、
研究者を育成するための奨学金に、
大きな貢献があったことを、
称えるものである。
シルクロードの旅で、敦煌の莫高窟は、
メインの観光スポット。莫高窟は、世界遺産である。
敦煌の郊外にある莫高窟には、
4世紀から14世紀まで、1千年間の、
壁画や塑像の仏教美術があって、
“砂漠の大画廊”といわれている。
平山郁夫画伯の、
“看板”は、その莫高窟の入口の近くに、
“石碑”は、莫高窟、第96窟の前の広場にあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/00/2134bb0530471bccb86908d5e2004c36.jpg)
中央が平山画伯の“石碑”。
後方の朱色の楼閣が、第96窟で、
中には、莫高窟で最大の大仏がある。
平山画伯の石碑は、“中国語”で刻まれていた。
「日中友好協会会長で、
敦煌研究院の名誉研究員の、
平山郁夫先生は、
敦煌の文物の保護のために設立する、
文化財保護振興財団、および、
研究者育成の奨学金制度に、
1989年、2億円を寄付されました。
これを称えて、記念します」
という趣旨に、読めた。
――いいものは、保存しよう、としている。
たとえ、それが外国の文化財であっても。
それに、2億円は、物価水準を考えれば、
10倍以上の価値はあるから、文化財保護に、
大きな貢献になったに違いない。
この平山画伯の石碑は、見落としがちである。
どうしても、莫高窟の石窟の見学に夢中で、
外にある平山画伯の石碑まで、気が回らない。
団体旅行は、石窟の見学が終わると、
みやげものやに直行する。それから、
バスに乗るから、石碑は、その間に見る。
もう一つ、平山画伯の“看板”は、
莫高窟の入口の近くにある。
バスから降りて、莫高窟に向かうと、
沖縄の首里城の“守礼の門”のような、
この門(石室寶藏)が、目に入ってくる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/65/0c46e5da6d5e8d9e1fc5fd92095395ec.jpg)
――ついに、莫高窟にきた!
と、わくわくして、門をバックに写真を撮り、
「早く、莫高窟を見たい!」
と、心はせいて、吸い込まれるように、
門をくぐって、莫高窟の入口に向かう。
この門の手前の右に、“看板”はあるのだが、
看板は、どうしても、見落としがちである。
それに、看板には、顔写真はあるが、
日本語の説明はない。
幅85センチ、高さ1.2メートルほどの、
3枚の看板があるから、近寄ると、
平山郁夫画伯、
日本大学の学生の越智佳織さん、
池田大作創価学会名誉会長であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/81/04ce8e87551958dd430720c0da564f32.jpg)
池田大作創価学会名誉会長の看板には、顔写真と、
“中国語”と“英語”の説明がある。英語を読むと、
「撮影・録画機材一式、フィールド調査用の車両6台、
それに、1千万円を寄贈された」とある。
越智佳織さんの看板には、
「“重要な古代遺跡が、日々荒れていくのは残念で、
人類の宝を保存することができたら、
どんなに、嬉しいでしょう”と、
中国へ留学することを決めていた。
しかし、不幸にも敦煌で、交通事故で亡くなった。
遺志を継いだ両親が、留学のために準備していた、
200万円を寄贈された」とある。
そして、平山郁夫画伯の看板には、
「2千万円を寄贈された」とある。
ほかに、敦煌郊外の小学校の校舎建設のために、
400万円を寄付した。これを記念して、
“平山郁夫校舎”と名づけられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/58/40b7696646af5f5ab3545cdb93484655.jpg)
これは、2008年に発売の、
“日中平和友好条約30周年記念切手”である。
上段の4枚は、平山郁夫画伯の絵を原画とした切手。
中段の2枚は、森田基冶さん(切手デザイナー)、
下段の4枚は、王 伝峰さん(中国画家)、によるデザイン。
莫高窟の保護には、日本政府からも援助があった。
荒れるがままの莫高窟の、大規模な整備・補強に、
4億円を援助している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/86/c46d109e37c49a0712d4e04bf0273686.jpg)
整備され、観光客が訪れる莫高窟、敦煌。
「敦煌石窟文物保護研究陳列センター」を、
日中両国の協力により10億円で設立している(1994年)。
敦煌の文化財の保護に、日本は多くの援助をしている。
敦煌空港は、日本の政府開発援助ODAによって、
建設された(外務省のホームページに記載がある)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/64/cf8fdf989cd085f10c4f60122e179fa9.jpg)
敦煌空港。夕方、西安から到着した。
西安や北京から、砂漠のオアシス都市、敦煌まで、
2~3時間で直行するから、便利である。
シルクロードの旅では、利用することになる。
日本人は、他国の芸術・文化であっても、
「いいものは、いい。保存しよう」
と、価値を評価して、
文化財の保護に、大いに貢献している。
敦煌へ行ったなら、
世界遺産、莫高窟のすばらしい、文化財と、
その文化財の保護に貢献した、日本人に会える。
その価値を認めて、文化財の保護のために、
資金援助をし、世界遺産登録の支援をしている。
と、書いた。
シルクロードの旅、
敦煌(とんこう)の莫高窟(ばっこうくつ)で、
平山郁夫画伯の“石碑”と“看板”を見た。
莫高窟の文化財の保護、および、
研究者を育成するための奨学金に、
大きな貢献があったことを、
称えるものである。
シルクロードの旅で、敦煌の莫高窟は、
メインの観光スポット。莫高窟は、世界遺産である。
敦煌の郊外にある莫高窟には、
4世紀から14世紀まで、1千年間の、
壁画や塑像の仏教美術があって、
“砂漠の大画廊”といわれている。
平山郁夫画伯の、
“看板”は、その莫高窟の入口の近くに、
“石碑”は、莫高窟、第96窟の前の広場にあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/00/2134bb0530471bccb86908d5e2004c36.jpg)
中央が平山画伯の“石碑”。
後方の朱色の楼閣が、第96窟で、
中には、莫高窟で最大の大仏がある。
平山画伯の石碑は、“中国語”で刻まれていた。
「日中友好協会会長で、
敦煌研究院の名誉研究員の、
平山郁夫先生は、
敦煌の文物の保護のために設立する、
文化財保護振興財団、および、
研究者育成の奨学金制度に、
1989年、2億円を寄付されました。
これを称えて、記念します」
という趣旨に、読めた。
――いいものは、保存しよう、としている。
たとえ、それが外国の文化財であっても。
それに、2億円は、物価水準を考えれば、
10倍以上の価値はあるから、文化財保護に、
大きな貢献になったに違いない。
この平山画伯の石碑は、見落としがちである。
どうしても、莫高窟の石窟の見学に夢中で、
外にある平山画伯の石碑まで、気が回らない。
団体旅行は、石窟の見学が終わると、
みやげものやに直行する。それから、
バスに乗るから、石碑は、その間に見る。
もう一つ、平山画伯の“看板”は、
莫高窟の入口の近くにある。
バスから降りて、莫高窟に向かうと、
沖縄の首里城の“守礼の門”のような、
この門(石室寶藏)が、目に入ってくる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/65/0c46e5da6d5e8d9e1fc5fd92095395ec.jpg)
――ついに、莫高窟にきた!
と、わくわくして、門をバックに写真を撮り、
「早く、莫高窟を見たい!」
と、心はせいて、吸い込まれるように、
門をくぐって、莫高窟の入口に向かう。
この門の手前の右に、“看板”はあるのだが、
看板は、どうしても、見落としがちである。
それに、看板には、顔写真はあるが、
日本語の説明はない。
幅85センチ、高さ1.2メートルほどの、
3枚の看板があるから、近寄ると、
平山郁夫画伯、
日本大学の学生の越智佳織さん、
池田大作創価学会名誉会長であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/81/04ce8e87551958dd430720c0da564f32.jpg)
池田大作創価学会名誉会長の看板には、顔写真と、
“中国語”と“英語”の説明がある。英語を読むと、
「撮影・録画機材一式、フィールド調査用の車両6台、
それに、1千万円を寄贈された」とある。
越智佳織さんの看板には、
「“重要な古代遺跡が、日々荒れていくのは残念で、
人類の宝を保存することができたら、
どんなに、嬉しいでしょう”と、
中国へ留学することを決めていた。
しかし、不幸にも敦煌で、交通事故で亡くなった。
遺志を継いだ両親が、留学のために準備していた、
200万円を寄贈された」とある。
そして、平山郁夫画伯の看板には、
「2千万円を寄贈された」とある。
ほかに、敦煌郊外の小学校の校舎建設のために、
400万円を寄付した。これを記念して、
“平山郁夫校舎”と名づけられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/58/40b7696646af5f5ab3545cdb93484655.jpg)
これは、2008年に発売の、
“日中平和友好条約30周年記念切手”である。
上段の4枚は、平山郁夫画伯の絵を原画とした切手。
中段の2枚は、森田基冶さん(切手デザイナー)、
下段の4枚は、王 伝峰さん(中国画家)、によるデザイン。
莫高窟の保護には、日本政府からも援助があった。
荒れるがままの莫高窟の、大規模な整備・補強に、
4億円を援助している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/86/c46d109e37c49a0712d4e04bf0273686.jpg)
整備され、観光客が訪れる莫高窟、敦煌。
「敦煌石窟文物保護研究陳列センター」を、
日中両国の協力により10億円で設立している(1994年)。
敦煌の文化財の保護に、日本は多くの援助をしている。
敦煌空港は、日本の政府開発援助ODAによって、
建設された(外務省のホームページに記載がある)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/64/cf8fdf989cd085f10c4f60122e179fa9.jpg)
敦煌空港。夕方、西安から到着した。
西安や北京から、砂漠のオアシス都市、敦煌まで、
2~3時間で直行するから、便利である。
シルクロードの旅では、利用することになる。
日本人は、他国の芸術・文化であっても、
「いいものは、いい。保存しよう」
と、価値を評価して、
文化財の保護に、大いに貢献している。
敦煌へ行ったなら、
世界遺産、莫高窟のすばらしい、文化財と、
その文化財の保護に貢献した、日本人に会える。