「“ドゥッガDougga”の中心は、キャピトルです」
と、チュニジア人のガイドは言う。
「キャピトルの周りには、公共広場フォーラムがあり、
奴隷市場があります。そして、キャピトルから、
石畳の道路が四方に延びています」
公共広場フォーラムから見たキャピトル。
公共広場には、円柱の土台、“柱基”が並んでいる。
――この円柱が建っている公共広場は、
さぞかし、リッパだったに違いない。
キャピトルの円柱には、
縦の“溝(フルーティング)”が走る。
“柱頭”には、“アカンサス(アザミの葉)”が、
広がるようにデザインされている。
――“コリント式の円柱”を、
眺められるだけで、うれしくなる。
キャピトルの三角形の屋根の下の、
「破風に、鳥のレリーフが見えるでしょう?
わしが皇帝を乗せて、不死の世界へ飛んでいく」
と、ガイドから言われると、
――皇帝が乗っているように見える。
皇帝の究極の願いは、不死?
「ドゥッガは土に埋もれて、上に民家があった。
フランスの考古学者が、発掘したのは100年前で、
世界遺産に登録されたのは1997年です」
と、ガイドは言う。
“ローマ”の遺跡を、“フランス人”が発掘して、
“世界遺産”となり、“世界の人”が見にくる。
ドゥッガは4世紀に最も栄え、
ローマ帝国衰亡とともに衰退し、
1899年に発掘されるまで、
1,600年も忘れ去られた。
このような、花の下にドゥッガは、眠っていたのだろう。
後方はドゥッガの遺跡。
ガイドの1時間の説明が終わった。
ガイド料を払ってから、もう1度回った。
――ドゥッガを、もっと見たい。
文化・芸術は、人を引きつける。
しかし、こんなにスゴイ文化・芸術が、
どうして、忘れ去られたのだろうか?
1,600年たっても、見ごたえのある造形美だが。
――文化・芸術の“寿命”は、何年だろう?
栄華を誇り、天国のような都市だったのだが。
“源氏物語”は、1千年たっても、
忘れられることはない。それに、
“源氏物語絵巻”を、復元している。
原画は、はく落したり、色があせたりしていたが、
最新の科学技術と現代の画家の技によって、
平成版、19図がよみがえっている。
「源氏物語」一千年紀記念切手。2008年に発売。
――文学は寿命が長い。
イタリアのポンペイの街は、
ヴェスヴィオ火山の噴火によって、埋もれた。
“自然の猛威”は、“文化・芸術”を破壊することがある。
でも、ドゥッガは、自然の猛威で埋もれたわけではない。
人は、“民族”が違うと、
文化・芸術の価値が違ってくる。
そして、他民族の文化・芸術は、
廃(すた)る、“破壊”する。
あるいは、
人は、“貧乏”になると、
文化・芸術どころでは、なくなる。
そして、生活優先で、文化・芸術は、
“荒れるがまま”にする、“盗掘”する。
文化・芸術を破壊したり、
荒れるがままにするのはヤメよう。
人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」は、
遺(のこ)そうとする“世界遺産”は、
他民族の文化・芸術でも、価値を認めている。
平山郁夫画伯は、他国の文化・芸術であっても、
その価値を認めて、文化財の保護のために、
資金援助をし、世界遺産登録の支援をしている。
人類の歴史の中で、
いまが豊かで、争いが少ないとき。
だから、他民族の文化・芸術の価値も、
評価する余裕ができてきた。
そして、世界遺産には、世界の人が集まってくる。
文化・芸術を軽んじるときは、
戦争のとき。貧乏のとき、心までも。
そして、ユネスコUNESCOは、
世界遺産を制定した。
“人類の創造的な傑作”を遺そうとする、
ユネスコは、心が豊かだ、貧乏ではない。
と、チュニジア人のガイドは言う。
「キャピトルの周りには、公共広場フォーラムがあり、
奴隷市場があります。そして、キャピトルから、
石畳の道路が四方に延びています」
公共広場フォーラムから見たキャピトル。
公共広場には、円柱の土台、“柱基”が並んでいる。
――この円柱が建っている公共広場は、
さぞかし、リッパだったに違いない。
キャピトルの円柱には、
縦の“溝(フルーティング)”が走る。
“柱頭”には、“アカンサス(アザミの葉)”が、
広がるようにデザインされている。
――“コリント式の円柱”を、
眺められるだけで、うれしくなる。
キャピトルの三角形の屋根の下の、
「破風に、鳥のレリーフが見えるでしょう?
わしが皇帝を乗せて、不死の世界へ飛んでいく」
と、ガイドから言われると、
――皇帝が乗っているように見える。
皇帝の究極の願いは、不死?
「ドゥッガは土に埋もれて、上に民家があった。
フランスの考古学者が、発掘したのは100年前で、
世界遺産に登録されたのは1997年です」
と、ガイドは言う。
“ローマ”の遺跡を、“フランス人”が発掘して、
“世界遺産”となり、“世界の人”が見にくる。
ドゥッガは4世紀に最も栄え、
ローマ帝国衰亡とともに衰退し、
1899年に発掘されるまで、
1,600年も忘れ去られた。
このような、花の下にドゥッガは、眠っていたのだろう。
後方はドゥッガの遺跡。
ガイドの1時間の説明が終わった。
ガイド料を払ってから、もう1度回った。
――ドゥッガを、もっと見たい。
文化・芸術は、人を引きつける。
しかし、こんなにスゴイ文化・芸術が、
どうして、忘れ去られたのだろうか?
1,600年たっても、見ごたえのある造形美だが。
――文化・芸術の“寿命”は、何年だろう?
栄華を誇り、天国のような都市だったのだが。
“源氏物語”は、1千年たっても、
忘れられることはない。それに、
“源氏物語絵巻”を、復元している。
原画は、はく落したり、色があせたりしていたが、
最新の科学技術と現代の画家の技によって、
平成版、19図がよみがえっている。
「源氏物語」一千年紀記念切手。2008年に発売。
――文学は寿命が長い。
イタリアのポンペイの街は、
ヴェスヴィオ火山の噴火によって、埋もれた。
“自然の猛威”は、“文化・芸術”を破壊することがある。
でも、ドゥッガは、自然の猛威で埋もれたわけではない。
人は、“民族”が違うと、
文化・芸術の価値が違ってくる。
そして、他民族の文化・芸術は、
廃(すた)る、“破壊”する。
あるいは、
人は、“貧乏”になると、
文化・芸術どころでは、なくなる。
そして、生活優先で、文化・芸術は、
“荒れるがまま”にする、“盗掘”する。
文化・芸術を破壊したり、
荒れるがままにするのはヤメよう。
人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」は、
遺(のこ)そうとする“世界遺産”は、
他民族の文化・芸術でも、価値を認めている。
平山郁夫画伯は、他国の文化・芸術であっても、
その価値を認めて、文化財の保護のために、
資金援助をし、世界遺産登録の支援をしている。
人類の歴史の中で、
いまが豊かで、争いが少ないとき。
だから、他民族の文化・芸術の価値も、
評価する余裕ができてきた。
そして、世界遺産には、世界の人が集まってくる。
文化・芸術を軽んじるときは、
戦争のとき。貧乏のとき、心までも。
そして、ユネスコUNESCOは、
世界遺産を制定した。
“人類の創造的な傑作”を遺そうとする、
ユネスコは、心が豊かだ、貧乏ではない。