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世界遺産を遺すユネスコは心が貧乏ではない

2009-02-01 07:09:09 | Weblog
「“ドゥッガDougga”の中心は、キャピトルです」
と、チュニジア人のガイドは言う。
「キャピトルの周りには、公共広場フォーラムがあり、
奴隷市場があります。そして、キャピトルから、
石畳の道路が四方に延びています」

公共広場フォーラムから見たキャピトル。
公共広場には、円柱の土台、“柱基”が並んでいる。
――この円柱が建っている公共広場は、
さぞかし、リッパだったに違いない。

キャピトルの円柱には、
縦の“溝(フルーティング)”が走る。
柱頭”には、“アカンサス(アザミの葉)”が、
広がるようにデザインされている。
――“コリント式の円柱”を、
眺められるだけで、うれしくなる。

キャピトルの三角形の屋根の下の、
「破風に、のレリーフが見えるでしょう?
わしが皇帝を乗せて、不死の世界へ飛んでいく」
と、ガイドから言われると、
――皇帝が乗っているように見える。
皇帝の究極の願いは、不死?


「ドゥッガは土に埋もれて、上に民家があった。
フランスの考古学者が、発掘したのは100年前で、
世界遺産に登録されたのは1997年です」
と、ガイドは言う。

ローマ”の遺跡を、“フランス人”が発掘して、
世界遺産”となり、“世界の人”が見にくる。

ドゥッガは4世紀に最も栄え、
ローマ帝国衰亡とともに衰退し、
1899年に発掘されるまで、
1,600年も忘れ去られた。

このような、花の下にドゥッガは、眠っていたのだろう。
後方はドゥッガの遺跡。

ガイドの1時間の説明が終わった。
ガイド料を払ってから、もう1度回った。
――ドゥッガを、もっと見たい。
文化・芸術は、人を引きつける。

しかし、こんなにスゴイ文化・芸術が、
どうして、忘れ去られたのだろうか?
1,600年たっても、見ごたえのある造形美だが。
――文化・芸術の“寿命”は、何年だろう?
栄華を誇り、天国のような都市だったのだが。

源氏物語”は、1千年たっても、
忘れられることはない。それに、
源氏物語絵巻”を、復元している。
原画は、はく落したり、色があせたりしていたが、
最新の科学技術と現代の画家の技によって、
平成版、19図がよみがえっている。

「源氏物語」一千年紀記念切手。2008年に発売。
――文学は寿命が長い。

イタリアのポンペイの街は、
ヴェスヴィオ火山の噴火によって、埋もれた。
自然の猛威”は、“文化・芸術”を破壊することがある。

でも、ドゥッガは、自然の猛威で埋もれたわけではない。
人は、“民族”が違うと、
文化・芸術の価値が違ってくる。
そして、他民族の文化・芸術は、
廃(すた)る、“破壊”する。

あるいは、
人は、“貧乏”になると、
文化・芸術どころでは、なくなる。
そして、生活優先で、文化・芸術は、
荒れるがまま”にする、“盗掘”する。

文化・芸術を破壊したり、
荒れるがままにするのはヤメよう。
人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」は、
遺(のこ)そうとする“世界遺産”は、
他民族の文化・芸術でも、価値を認めている。

平山郁夫画伯は、他国の文化・芸術であっても、
その価値を認めて、文化財の保護のために、
資金援助をし、世界遺産登録の支援をしている。

人類の歴史の中で、
いまが豊かで、争いが少ないとき。
だから、他民族の文化・芸術の価値も、
評価する余裕ができてきた。
そして、世界遺産には、世界の人が集まってくる。

文化・芸術を軽んじるときは、
戦争のとき。貧乏のとき、までも。

そして、ユネスコUNESCOは、
世界遺産を制定した。
人類の創造的な傑作”を遺そうとする、
ユネスコは、が豊かだ、貧乏ではない。
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