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王圓ろくによる100年前の大発見、敦煌文書

2009-02-08 06:11:12 | Weblog
シルクロードの旅で、敦煌莫高窟は、
メインの観光スポットである。

莫高窟には、4世紀から14世紀まで、
1千年間の壁画や塑像の仏教美術があって、
砂漠の大画廊”といわれる。

しかし、14世紀以降の莫高窟は、
風に侵食され、砂に埋もれ、
荒れるがままになっていた。

莫高窟。イギリス人の探検家、オーレル・スタインが撮影(1907年)。
写真は、国立情報学研究所の「遷画~シルクロード」から。
写真の使用をお願いしたところ、快諾をいただいた。

莫高窟は、地域住民の信仰の場ではあったが、
石窟の仏教美術は、まったく荒廃していた。
文化財としては、忘れ去られていた。

その莫高窟が、世界から見直される、
きっかけ”となったのは、“100年前”に、
道教の僧侶、“王圓籙”(おうえんろく)が、
経典や古文書、絵画の“敦煌文書”を、
発見したからである。

敦煌文書を発見した王圓籙。
オーレル・スタインが撮影(1907年)。
写真は、国立情報学研究所の「遷画~シルクロード」から。

王圓籙が、第16窟の壁を壊してみると、
小部屋が現れて(第17窟)、中には、
文物がうず高く積まれていた(1900年)。
20世紀最大の発見、“敦煌文書”である。

この敦煌文書が、世界に知られることになって、
莫高窟の仏教美術も、評価されることになる。
1987年に、莫高窟世界遺産になった。

中央アジア踏査記」、オーレル・スタイン著、
白水社には、イギリス人の探検家、スタインが、
敦煌文書を、王圓籙から入手する“いきさつ”を、
書いている。スタインは1862年生、1943年没。

それによると、スタインは、
敦煌で、膨大な“古代文書”が発見された、
という“うわさ”を聞いて、莫高窟に行き、
王圓籙に会った(1907年)。

敦煌文書を発見し、管理している王圓籙は、
最初は警戒して、第17窟の扉を開けなかった。

王圓籙が、玄奘三蔵を熱心に崇拝していることを、
知ったスタインは、自身も玄奘三蔵への思慕から、
足跡を追って、インドから山岳と砂漠の難路を、
越えてきたことを話して、王圓籙の心を動かした。

ついに、第17窟の扉が開けられて、スタインは、
うず高く積まれた巻物を見た……敦煌文書である。

敦煌文書の通覧を許されたスタインは、
「多方面の研究の対象になりうる大宝庫
と、敦煌文書の重要性がわかった。

そして、王圓籙から、
4万点の敦煌文書のうち、1万点を、
馬蹄銀貨で買って、イギリスへ持ち帰る……。

シルクロードの旅、莫高窟では、
――第16窟を、この目で見たい。
100年前の大発見、“敦煌文書”を、
発見した人、発見したいきさつ……を、
現地で確かめてみたい。


現代の莫高窟。
第96窟の楼閣の前。近くに、平山郁夫画伯の石碑がある。
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