シルクロードの旅で、敦煌の莫高窟は、
メインの観光スポットである。
莫高窟には、4世紀から14世紀まで、
1千年間の壁画や塑像の仏教美術があって、
“砂漠の大画廊”といわれる。
しかし、14世紀以降の莫高窟は、
風に侵食され、砂に埋もれ、
荒れるがままになっていた。
莫高窟。イギリス人の探検家、オーレル・スタインが撮影(1907年)。
写真は、国立情報学研究所の「遷画~シルクロード」から。
写真の使用をお願いしたところ、快諾をいただいた。
莫高窟は、地域住民の信仰の場ではあったが、
石窟の仏教美術は、まったく荒廃していた。
文化財としては、忘れ去られていた。
その莫高窟が、世界から見直される、
“きっかけ”となったのは、“100年前”に、
道教の僧侶、“王圓籙”(おうえんろく)が、
経典や古文書、絵画の“敦煌文書”を、
発見したからである。
敦煌文書を発見した王圓籙。
オーレル・スタインが撮影(1907年)。
写真は、国立情報学研究所の「遷画~シルクロード」から。
王圓籙が、第16窟の壁を壊してみると、
小部屋が現れて(第17窟)、中には、
文物がうず高く積まれていた(1900年)。
20世紀最大の発見、“敦煌文書”である。
この敦煌文書が、世界に知られることになって、
莫高窟の仏教美術も、評価されることになる。
1987年に、莫高窟は世界遺産になった。
「中央アジア踏査記」、オーレル・スタイン著、
白水社には、イギリス人の探検家、スタインが、
敦煌文書を、王圓籙から入手する“いきさつ”を、
書いている。スタインは1862年生、1943年没。
それによると、スタインは、
敦煌で、膨大な“古代文書”が発見された、
という“うわさ”を聞いて、莫高窟に行き、
王圓籙に会った(1907年)。
敦煌文書を発見し、管理している王圓籙は、
最初は警戒して、第17窟の扉を開けなかった。
王圓籙が、玄奘三蔵を熱心に崇拝していることを、
知ったスタインは、自身も玄奘三蔵への思慕から、
足跡を追って、インドから山岳と砂漠の難路を、
越えてきたことを話して、王圓籙の心を動かした。
ついに、第17窟の扉が開けられて、スタインは、
うず高く積まれた巻物を見た……敦煌文書である。
敦煌文書の通覧を許されたスタインは、
「多方面の研究の対象になりうる大宝庫」
と、敦煌文書の重要性がわかった。
そして、王圓籙から、
4万点の敦煌文書のうち、1万点を、
馬蹄銀貨で買って、イギリスへ持ち帰る……。
シルクロードの旅、莫高窟では、
――第16窟を、この目で見たい。
100年前の大発見、“敦煌文書”を、
発見した人、発見したいきさつ……を、
現地で確かめてみたい。
現代の莫高窟。
第96窟の楼閣の前。近くに、平山郁夫画伯の石碑がある。
メインの観光スポットである。
莫高窟には、4世紀から14世紀まで、
1千年間の壁画や塑像の仏教美術があって、
“砂漠の大画廊”といわれる。
しかし、14世紀以降の莫高窟は、
風に侵食され、砂に埋もれ、
荒れるがままになっていた。
莫高窟。イギリス人の探検家、オーレル・スタインが撮影(1907年)。
写真は、国立情報学研究所の「遷画~シルクロード」から。
写真の使用をお願いしたところ、快諾をいただいた。
莫高窟は、地域住民の信仰の場ではあったが、
石窟の仏教美術は、まったく荒廃していた。
文化財としては、忘れ去られていた。
その莫高窟が、世界から見直される、
“きっかけ”となったのは、“100年前”に、
道教の僧侶、“王圓籙”(おうえんろく)が、
経典や古文書、絵画の“敦煌文書”を、
発見したからである。
敦煌文書を発見した王圓籙。
オーレル・スタインが撮影(1907年)。
写真は、国立情報学研究所の「遷画~シルクロード」から。
王圓籙が、第16窟の壁を壊してみると、
小部屋が現れて(第17窟)、中には、
文物がうず高く積まれていた(1900年)。
20世紀最大の発見、“敦煌文書”である。
この敦煌文書が、世界に知られることになって、
莫高窟の仏教美術も、評価されることになる。
1987年に、莫高窟は世界遺産になった。
「中央アジア踏査記」、オーレル・スタイン著、
白水社には、イギリス人の探検家、スタインが、
敦煌文書を、王圓籙から入手する“いきさつ”を、
書いている。スタインは1862年生、1943年没。
それによると、スタインは、
敦煌で、膨大な“古代文書”が発見された、
という“うわさ”を聞いて、莫高窟に行き、
王圓籙に会った(1907年)。
敦煌文書を発見し、管理している王圓籙は、
最初は警戒して、第17窟の扉を開けなかった。
王圓籙が、玄奘三蔵を熱心に崇拝していることを、
知ったスタインは、自身も玄奘三蔵への思慕から、
足跡を追って、インドから山岳と砂漠の難路を、
越えてきたことを話して、王圓籙の心を動かした。
ついに、第17窟の扉が開けられて、スタインは、
うず高く積まれた巻物を見た……敦煌文書である。
敦煌文書の通覧を許されたスタインは、
「多方面の研究の対象になりうる大宝庫」
と、敦煌文書の重要性がわかった。
そして、王圓籙から、
4万点の敦煌文書のうち、1万点を、
馬蹄銀貨で買って、イギリスへ持ち帰る……。
シルクロードの旅、莫高窟では、
――第16窟を、この目で見たい。
100年前の大発見、“敦煌文書”を、
発見した人、発見したいきさつ……を、
現地で確かめてみたい。
現代の莫高窟。
第96窟の楼閣の前。近くに、平山郁夫画伯の石碑がある。