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『無名』(読書メモ)

沢木耕太郎『無名』幻冬舎文庫

沢木耕太郎さんが、自身のお父さんについて書いた本である。89歳のお父さんが倒れたとき、沢木さんは次のように思ったという。

「他人からは、その人生について、肉親以上の根気よさで聞いているのに、身内である父の話をまったく聞いていない。そこに罪悪感のようなものを覚えていたのだ」(p.16)

自分の父親の生涯もノンフィクション作品にしてしまう作家魂に驚いた。

沢木さんのお父さんは、企業経営者の次男として生まれるものの、会社が倒産して学業も途中で止めて放浪する。結婚した後も50歳を過ぎるまで定職につくことがなく、家計が苦しくても、家族のためにがむしゃらに働くということもない。

では、何をしていたのか?

読書である。いつも机の前に正座して本を読んでいるお父さんの読書量と知識は半端ではなかった。

「父には、何を訊いてもわからないということがなかった。この人といつか対等にしゃべることのできる日がやって来るのだろうか。そう思うと絶望的になることがあった。文章を書くようになっても、私はどこかで父を畏れていた。世の中には、たとえ無名であっても、どこかにこのような人たちがいるのだと思うと、無邪気にはしゃぐわけにはいかなかった」(p.218)

出世や有名になることにも関心がなく、ただ静かに本を読み、時に俳句を作って暮らしてきたお父さん。一言でいうならば「淡々と生きる人」である。お父さんは次のようにつぶやく。

「何も・・・・・しなかった」
「何も・・・・・できなかった」


お父さんの生きた証のために、お父さんの俳句を編纂し出版することを考えた沢木さん。しかし、次のように思った。

「私は句集を出すことで父の供養をしたいと思っていた。だが、それは私の思い込みにすぎなかったのではないか。父は最後まで無名であることを望んでいたのではないか。死の直前、父が発した、自分は何もしなかった、というひとことは、悔恨の言葉ではなく、ただ事実を述べただけだったのかもしれない。いや、むしろ、何もしなかった自分をそのまま受け入れての言葉だったかもしれない」(p.292)

本書を読み、偉人の評伝とは一味違った「人間としての生きざま」に迫力を感じた。






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