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『罪と罰』(読書メモ)

ドストエフスキー(亀山郁夫訳)『罪と罰(1~3)』光文社

大学生の頃に読んだ本だが、内容はすっかり忘れていた。亀山郁夫さんの訳を改めて読んだところ、迫力あるスピーディな展開に驚いた。すべての登場人物が個性的かつ魅力的であり、構成がすばらしく、古典の堅苦しさがまったくない。 『カラマーゾフの兄弟』よりも断然面白い

ストーリーは、自分を特別な人間と勘違いして強盗殺人を犯す元大学生ラスコーリニコフが、家族や友人に支えられながら人間性を回復していく、という内容。

どんな人間でも、どこかに弱さを抱えていて、そんな弱さをさらけ出しながら生きている。息子に寄せる過度な期待、お金への執着、アルコール依存、行きすぎた自己犠牲、傲慢、中傷、ねたみ、高すぎるプライドなどなど。殺人という明らかな罪は犯していないけれど、犯罪にはならないさまざまな罪を抱えて生きている私たち。本書では、人間が持つ無意識の罪があぶりだされていく。

ところで、この小説の中に、スヴィドリガイロフという謎のおじさんが出てくるのだが、実にいい味を出している。なぜなら、善と悪の両面を持っており、いい人なんだか悪い人なんだかよくわからない怪しさがあるからだ。明らかにいい人っぽかったり、明らかに悪そうな人がいるが、実は皆、スヴィドリガイロフのように両面を持っているのではないか。

巻末の「読書ガイド」を読んで興味深かったのは、この本が書かれた経緯である。

莫大な借金を抱えていたドストエフスキーは、悪徳出版社からお金を借りて国外に逃亡するものの、ギャンブルで使い果たしてしまう。絶体絶命のドストエフスキーは、モスクワで起きた強盗殺人事件をヒントに小説のアイデアを思いつき、雑誌の編集者に売り込んだ。それが、この『罪と罰』だったのだ。

ドストエフスキーは次のように書いている。

「借金で八方ふさがりながら[小説の材料は]ふくれあがって豊かになりました」(p.461-462)

傑作というものは書こうと思って書けるものではなく、追い詰められた状況の中で生まれてくるものなのかもしれない、と思った。



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