松尾睦のブログです。個人や組織の学習、書籍、映画ならびに聖書の言葉などについて書いています。
ラーニング・ラボ
変人を大切にする
ビートルジュース、シザーハンズ、チャーリーとチョコレート工場などで有名なティム・バートン監督は、自身の子ども時代をベースにしたアニメ『フランケンウィニー』を発表するらいしい。
主人公ビクターについて聞かれたバートン監督は次のように答えている。
「あのぐらいの年齢の時、多くの子どもたちは、ちょっぴり孤独を感じているんじゃないかな。自分はみんなとは違っていると思うと同時に、自分は普通なはずだとも思う。”普通”という言葉は嫌いだけど。私はいつも、他人が私を変人扱いしているとかんじていたけど、自分では変人だとは思わなかった。私にとっては、変なのは他の子たちだったから」(p.5)
変人がたくさんいそうなアメリカでも変人扱いされていたとは、相当な変人だったと想像できる。しかし、周りから変人と言われていても「自分は変じゃない」と思える気持ちこそ、独自性あふれる作品を創造できるベースになっているのだろう。「変なのはおまえの方だ」という開き直りが新しいものを産み出す出発的になるといえる。
創造的な組織かどうかを判断する基準の一つに「変人を大切にしているかどうか」があるような気がした。
出所:ビッグイシュー日本版204号(2012.12.1)
主人公ビクターについて聞かれたバートン監督は次のように答えている。
「あのぐらいの年齢の時、多くの子どもたちは、ちょっぴり孤独を感じているんじゃないかな。自分はみんなとは違っていると思うと同時に、自分は普通なはずだとも思う。”普通”という言葉は嫌いだけど。私はいつも、他人が私を変人扱いしているとかんじていたけど、自分では変人だとは思わなかった。私にとっては、変なのは他の子たちだったから」(p.5)
変人がたくさんいそうなアメリカでも変人扱いされていたとは、相当な変人だったと想像できる。しかし、周りから変人と言われていても「自分は変じゃない」と思える気持ちこそ、独自性あふれる作品を創造できるベースになっているのだろう。「変なのはおまえの方だ」という開き直りが新しいものを産み出す出発的になるといえる。
創造的な組織かどうかを判断する基準の一つに「変人を大切にしているかどうか」があるような気がした。
出所:ビッグイシュー日本版204号(2012.12.1)
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『夜の来訪者』(読書メモ)
プリーストリー(安藤貞雄訳)『夜の来訪者』岩波文庫
プリーストリーという作家の名前はどこかで聞いたことがあるという程度だったが、『夜の来訪者』というタイトルに引かれて読んでみた。原題は"An Inspector Calls"なので「警部の来訪」となるべきだが、はじめに翻訳した内村直也氏が『夜の来訪者』という邦題をつけたらしい。「警部の来訪」だったら、たぶん買っていなかっただろう。
あらすじが表紙に書かれているので紹介しておきたい。
「舞台は裕福な実業家の家庭、娘の婚約を祝う一家団欒の夜に警部を名乗る男が訪れて、ある貧しい若い女性が自殺したことを告げ、全員がそのことに深く関わっていることを暴いていく・・・・・」
本書はとにかくスピード感があり、スリリングな展開なので、あっという間に読めてしまう。はじめは「なんだか不自然なストーリーだな」と思っていたが、徐々に、「自分の持つ罪や社会との関わり」について深く考えさせられる。
ストーリーは、若くて善良だが貧しいエヴァ・スミスという女性が、実業家の家族のメンバーから冷たくされたあげく、自殺してしまい、突然現れた警部が彼らの罪をひとつひとつ追求していく、というもの。次の警部の言葉が心に残った。
「何千万、何百万という無数のエヴァ・スミスや、ジョン・スミスのような男女が、わたしたちのもとに残されています。かれらの生活、かれらの希望や不安、かれらの苦しみや幸福になるチャンスは、すべて、わたしたちの生活や、わたしたちが考えたり、言ったり、おこなったりすることと絡みあっているのです。わたしたちは、一人で生きているのではありません。わたしたちは、共同体の一員なのです。わたしたちは、おたがいに対して責任があるのです」(p.125-126)
メディアではいろいろと悲惨な事件や事故が報道されるが、どこか「他人ごと」のように感じてしまう。本書を読み、自分が持つ「自己中心性」や「無責任さ」に気づいた。
プリーストリーという作家の名前はどこかで聞いたことがあるという程度だったが、『夜の来訪者』というタイトルに引かれて読んでみた。原題は"An Inspector Calls"なので「警部の来訪」となるべきだが、はじめに翻訳した内村直也氏が『夜の来訪者』という邦題をつけたらしい。「警部の来訪」だったら、たぶん買っていなかっただろう。
あらすじが表紙に書かれているので紹介しておきたい。
「舞台は裕福な実業家の家庭、娘の婚約を祝う一家団欒の夜に警部を名乗る男が訪れて、ある貧しい若い女性が自殺したことを告げ、全員がそのことに深く関わっていることを暴いていく・・・・・」
本書はとにかくスピード感があり、スリリングな展開なので、あっという間に読めてしまう。はじめは「なんだか不自然なストーリーだな」と思っていたが、徐々に、「自分の持つ罪や社会との関わり」について深く考えさせられる。
ストーリーは、若くて善良だが貧しいエヴァ・スミスという女性が、実業家の家族のメンバーから冷たくされたあげく、自殺してしまい、突然現れた警部が彼らの罪をひとつひとつ追求していく、というもの。次の警部の言葉が心に残った。
「何千万、何百万という無数のエヴァ・スミスや、ジョン・スミスのような男女が、わたしたちのもとに残されています。かれらの生活、かれらの希望や不安、かれらの苦しみや幸福になるチャンスは、すべて、わたしたちの生活や、わたしたちが考えたり、言ったり、おこなったりすることと絡みあっているのです。わたしたちは、一人で生きているのではありません。わたしたちは、共同体の一員なのです。わたしたちは、おたがいに対して責任があるのです」(p.125-126)
メディアではいろいろと悲惨な事件や事故が報道されるが、どこか「他人ごと」のように感じてしまう。本書を読み、自分が持つ「自己中心性」や「無責任さ」に気づいた。
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疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています
疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています
(ヤコブの手紙1章6節)
(ヤコブの手紙1章6節)
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